私たちの街のGROWING

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私たちの街のGROWING

震災を乗り越え、栄光を釜石に。ラグビーワールドカップ2019™誘致までの物語

 かつて鉄鋼の街として栄えた岩手県釜石市は、日本選手権7連覇を成し遂げた新日鉄釜石ラグビー部に代表される“ラグビーの街”でもあります。「北の鉄人」と呼ばれた選手たちの活躍によって街にラグビー文化が根付いており、ラグビーワールドカップ2019™日本大会の開催地にも選ばれました。2018年夏、ワールドカップの会場であり、震災復興のシンボルともいえる「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」が完成。ワールドカップの開催を支援しているスポーツくじの助成金は、このスタジアムの建設にも活用されており、地域活性化の一翼も担っています。震災に見舞われた釜石市がワールドカップの開催地になるまでの道のりと釜石鵜住居復興スタジアムについて、大会招致をけん引したラグビーワールドカップ2019™推進本部事務局の増田久士さんと、釜石シーウェイブスRFCの小野航大主将にお聞きしました。

嘘でもホラでもいい。とにかく街に希望を

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 2011年3月11日、三陸海岸に面した街は強い揺れに見舞われ、巨大な津波によって飲み込まれました。岩手県釜石市の職員であり、ラグビーワールドカップ2019™推進本部事務局の増田久士さんは、「木造建築はほとんど流され、残ったコンクリートづくりの建物も内部は原型を留めず、壊滅的。3階部分に車が突き刺さっている建物もあるという、悲惨な状況でした」と当時を振り返ります。
「嘘でもホラでもいい。とにかく何かしらの希望がほしかった。ラグビーワールドカップ2019™の誘致はそういった状況の中で動き出したプロジェクトでした」

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「北の鉄人」 と呼ばれた 新日鉄釜石ラグビー部。1985年日本選手権大会決勝の同志社大学戦

 かつて日本における近代製鉄業発祥の地として発展を遂げた釜石市は、日本選手権7連覇を果たすなど、数多くの栄冠を手に入れた新日鉄釜石ラグビー部の本拠地でした。地元の高校を卒業したばかりの選手を積極的に採用して鍛え上げ、ひたむきでありながら、チーム一体となってボールをつなぐプレーに多くのラグビーファンが熱狂。「北の鉄人」と呼ばれたチームは、釜石市民はもちろん、多くの岩手県民の声援を受けながら、1980年代前半まで圧倒的な強さを誇りました。

 しかし、日本選手権で最後に優勝した1985年以降、チームは低迷することになります。なかなか勝てない時期が続き、2000年シーズンには下部リーグに降格。2001年4月に企業の単独運営ではなく、地元の企業や自治体と共同運営のクラブチーム「釜石シーウェイブスRFC(以下、釜石SW)」に姿を変え、地域に根ざしながら昇格を目指したものの、結果が伴わず、いつしか“ラグビーの街”としての熱気も過去のものになっていきました。

旗頭として、ラグビーが復興をリードする

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 震災が起きた2011年、増田さんは釜石SWの事務局長として、チームの再建を担っていました。
「当時の私の仕事は、勝てずに苦しんでいたクラブをとにかく存続させることでした。一人のラグビー好きとして、V7の栄光を引き継ぐこのチームを潰すわけにはいかなかった。震災が起きて、このチームを存続させなければならない想いがより強くなりましたね」と増田さん。——なぜそう感じたのか。
「震災直後、選手たちに対して病院のベッドや資材の運搬を手伝ってほしいという依頼が相次ぎました。彼らのパワーはもちろん、団体競技で培った明るさが落ち込む街にとって重宝したのでしょう。
 ところが、手伝い始めて数日が経過したころ、一人の選手が『明日から手伝いに来なくていい』と言われたと報告してきたのです。詳しく話を聞いてみると、『お前たちはラグビー選手だろ。練習しなさい!』と言われたのだとか。それで改めて自分たちにできることは何だろうかと考え、翌日から練習を始めることにしました」

 同じころ、ヤマハ発動機ジュビロの清宮監督から一本の電話がかかってきました。
「『試合をやろう』という電話でした。電動アシスト付き自転車30台を持って、選手たちが来てくれたんです」
 練習開始直後の試合とあって結果は完敗。しかし、増田さんは「試合を観に来てくれた人たちに笑みが見えたんです。家は流され、家族や友人を失って到底笑っていられる状況ではないはずなのに。そのとき、ラグビーで復興をリードするんだと自分の中で固まりました」と語ります。

大会誘致を勇気付けたラグビー関係者の応援

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釜石市を訪れたチェスター・ウィリアムズ氏 左から2人目(2014年)

 ラグビーが復興の旗頭になると信じていたものの、「ラグビーなんてしている場合じゃない」という声も当然あったと増田さんは言います。
「もちろん震災直後ということもあって、そういう声が上がるのは分かっていました。でも、街が一体となって未来へ強く歩んでいくためには、何か大きな目標が必要だったんです。国際的な大会の誘致、つまりラグビーワールドカップ2019™の開催地候補に釜石市が名乗りをあげたのは必然でした」

 2013年、誘致への動きが本格的に始まります。当初はアドバイザーとして携わっていた増田さんは、外部の立場ではできることに限界があると感じ、公務員試験を受けて市の職員になりました。
 大会を誘致するにあたり、まず考えなければならなかったのがスタジアムの建設について。釜石市には大会規定の観客席数を満たすスタジアムがなく、開催地に立候補した15都市で唯一新設する必要がありました。さらにスタジアムの整備以外にも、キャンプ地・選手村の設営、釜石へと通じる交通網や防災のためのインフラの整備、大会後のスタジアムの運用など、計画を要する事項は山積みの状況。それでも、増田さんは悲観的に捉えていなかったと言います。
「自分の中ではスタジアムの構想もその後の展開案も明確にありました。震災後に打ち立てた釜石市復興まちづくり基本計画の中でも、『歴史文化やスポーツを活かしたまちづくり』として掲げている。大会まで期間もあるのでスタジアムの建設やインフラの再整備も間に合うだろうし、資金もなんとか集まるのではないかと。詰将棋で例えるのであれば、“あと一手”という印象でしたね」
 ——では、誘致できると確信した最後の一手は何だったのか。増田さんは「多くのラグビー関係者が後押ししてくれたこと」だと言います。
「誘致をしている間、ラグビーを愛する人たちとのつながりを強く感じましたね。南アフリカの英雄であるチェスター・ウィリアムズ氏がスタジアムの建設予定地を訪れてくれたり、元日本代表監督のエディー・ジョーンズ氏が自作のビデオメッセージを送ってくれたりと、いろいろな方が釜石への誘致を応援してくれました。当時、日本ラグビーフットボール協会会長を務めていた森喜朗氏が、視察の際に釜石SWの試合を観戦され、釜石伝統の大漁旗を振るスタイルでチームを応援してくれたのには、私をはじめ、多くの関係者が勇気づけられたでしょう。

 市民有志のもと情報発信と交流を目的にオープンした『ラグビーカフェ』(http://www.rwc2019-cafe.com/)も、大会開催の期待感を街の人々に伝えるのに貢献しています。多くの人が、釜石での開催を応援してくれて、とても心強かったです」

助成を受けて、こだわりのスタジアムが完成

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 たくさんの人の後押しがあったとはいえ、苦労したこともあったそう。
「資金を集める算段は立っていたものの、当時の法律では対応が難しかったりして、実際に確保するのにはかなり苦戦しましたね。市長とともに省庁に粘り強く通い詰めるなどして、①国土交通省の社会資本整備総合交付金、②復興庁の復興交付金、③日本スポーツ振興センター(JSC)のスポーツ振興くじ助成金の協力を得ることができました。スタジアムをつくるのにあたり、スポーツくじの助成金を受けられたのは大きかったですね」

 迎えた2015年3月、朗報が届きます。釜石市がラグビーワールドカップ2019™の開催地に決定したのです。
 誘致が決まれば、早速スタジアムの建設開始。スタジアムの建設地は、津波の被害が甚大だった鵜住居町の鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地です。校舎の3階部分まで津波に飲まれながら、児童生徒のほとんどが迅速に避難し無事だったことから「奇跡」の地とされています。
「構想段階から、スタジアムの場所はここしかないと思っていました。周囲は海と山と川に囲まれており、自然を感じられる立地。避難経路が確保されているので災害に強く、何より復興のシンボルにふさわしい場所と言えます」

 そして2018年夏、釜石鵜住居復興スタジアムが無事に完成。

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釜石市内で発生した山火事の被害木600本を利用して作られた客席

船の帆や鳥の羽ばたきを想起させる屋根が特徴のスタジアムについて増田さんは、「こだわりはたくさんあります。まず、素材に山火事の被害にあって運び出された杉の木を使用していること。木造部分は20年も経たないうちに取り替える時期になるため、そのたびに地元の材料を活用でき、持続的に働き手を生むことが期待できます。

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 また、震災の経験を生かし災害対策も十分。メインスタンド裏の山にある作業用通路を緊急避難路として活用できるほか、耐震性の貯水槽と貯留槽がスタジアムの下に埋められているため、山火事の初期消火など、津波以外の防災拠点にもなります。
 スタジアムの機能面としては、芝生にマイクログラスファイバーを使用したハイブリッド芝を採用。保湿性とクッション性が高いのが特徴です。
 ここまで整備できたのは、助成があったおかげ。スポーツくじの助成金はハード面に使用されています」と話します。

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 2018年から釜石SWの主将を務める小野航大選手はスタジアムについて、「まさかこの場所にスタジアムができるなんて、完成したスタジアムを見るまでは想像ができなかったです」と語ります。

「入団1年目だった2014年に訪れた際は、建設地は瓦礫の撤去が終わったばかりの更地でした。
 震災があり、たくさんの人に支えられ、支援されて、その先にスタジアムができました。震災から復興していく様子や大会を誘致する過程を身近で体感し、携わってきた街の人の想いを知っているからこそ、このスタジアムを本拠地としてプレーできることの重さを感じています」

選手にとってもファンにとっても待望の瞬間

 8月19日、完成を記念して、釜石SWとヤマハ発動機ジュビロが試合を実施しました。「1回きりのイベント、必ず満員にしたかった。相手はやはり2011年に来てくれたヤマハ発動機ジュビロだろうとお願いし、清宮監督から二つ返事で承諾をもらいました」と増田さん。
 記念試合に出場した小野主将はピッチに立ってみて、「大会用の特設スタンドがまだできていないこともあって、風が吹き抜けた先に海が見える。ほかのスタジアムにはないような独特な雰囲気を感じました。
 ハイブリッド芝に対しては特に違和感はなく、しっかり力が入る印象。一般的な陸上競技場と比べてスタンドとの距離が近いため、観客の声援を身近に感じることができました」と話します。
 試合は後半に点差を広げられ、終盤に怒涛の追い上げを見せたものの、24-29で惜敗。

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 「試合には負けてしまいましたが、チームとしても、個人としても、いいチャレンジができました。もちろん、勝ち切ることがベストですし、自分たちのベストゲームかと言われるとほど遠いです。それでも、このスタジアムにたくさんの人が観に来てくれて、喜んでいただけるようなゲームができたということに関しては、とても意味のあることだったと思います。
 ビッグマッチにならないとなかなか味わうことができない観客の多さ、しかもほとんどの方が釜石SWのファン。僕らだけでなく、ファンの方たちにとっても、スタジアムの完成は待望だったと思います。すごくいい雰囲気の中で試合をさせてもらい、とても幸せな時間でした」(小野主将)

スタジアム完成までの過程を飛ばすことはできない

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スタジアムのオープニングイベントでは、両チームの選手と地元の子どもたちとの交流が行われた

 大会を誘致したことにより、「街に効果が現れ始めている」と増田さんは指摘します。
「誘致できたからこそ、このスピード感でインフラの整備が進んだのだと思います。震災前よりも首都圏からのアクセスはよくなる予定です。かつては陸の孤島だったこの地を訪れる人も増えるでしょう」

 さらに、大会後のスタジアムの展望については、「スタジアムの計画にあたり、大会後は次の世代が活用することも考え、ワークショップを開くなどして、子どもたちの想いや意見をヒアリング。オープニングイベントでも子どもたちと選手が交流する機会を設けました。未来につなげていくために、杓子定規にやるのではなく、オリジナリティあふれるスタジアムにしていく予定です。次の世代が自分たちのやりたいことを見つけて、仕事につなげられるような基盤になれば嬉しいですね」と語ります。

 小野主将は、釜石市で大会を開催する意義について、「釜石鵜住居復興スタジアムは、震災から復興した姿を一番分かりやすく国内外に見せられる場所です。震災があって、復興が進んで、スタジアムができた。スタジアムができるまでの過程を飛ばして語ることはできません。
 記念試合を通してたくさんのエネルギーをもらいました。ワールドカップの試合では、もっとすごいエネルギーが集まるはずです。それを地元の方はもちろん、岩手の方、そして東北の方たちに体感してもらいたいです」と強調します。

東北からラグビーを盛り上げるために

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 大会までに釜石、そして東北を盛り上げていくためには、釜石SWの躍進が欠かせません。
「釜石SWが強くなることで、釜石だけでなく岩手県の方、そして東北の方に、ラグビーへの興味・関心を持ってもらいたいです。
 このチームはほかのラグビーチームとは存在してきた背景が異なります。かつての栄光があり、クラブチーム化した歴史があり、震災から復興した経験がある。それらがレガシーとしてチームに根付いているんです。今シーズンは、選手の多くが入れ替わり、震災から復興してきた様子を知るチームメイトが少なくなりました。僕の役割は前主将から学んだチームのレガシーを、新加入の選手や若手にしっかりとつなぐことだと思っています。
 街を歩けば声を掛けられて励まされるし、定食屋に行けば“ラグビー”や“スクラム”が付いた定食メニューを食べさせてもらえる。雪の日にスタジアムを雪かきしてくれるファンがいれば、その日一番試合で活躍した選手にイクラをくれるファンもいる。街ぐるみで応援してもらえるこの環境への感謝を忘れずに、地域に愛され続け、やがては岩手県、そして東北の方たちの支えとなる——まさに“復興のシンボル”となるようなチームを目指していきます」(小野主将)

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 増田さんも「ラグビーで東北をさらに盛り上げていくためにも、釜石SWには強くなってほしいですね。何年先になってもいいので、もう一回優勝が見たいです」と期待を寄せます。

 最後に、「ここまでたどり着いた原動力は?」と増田さんに聞くと、「言い方が悪いかもしれないし、すべての人がそうというわけではないが」と前置きしたうえで答えてくれました。
「ラガーマンは、あまり後先を考えずに行動を始め、あとは諦めさえしなければなんとかなると思っている人が多い。とんでもないスコアで負けていても、相手が先に諦めてくれればこっちの勝ちなんですよ。諦めずにチャレンジを続けたからここまで来ることができたと感じています。この街も、釜石SWも、そして未来の釜石を支える次の世代も諦めずにチャレンジを続けてほしいです」

 ラグビーワールドカップ2019™開幕まであと1年。豊かな自然に囲まれたスタジアムに、世界屈指のラガーマン達が集う日も間近です。三陸沿岸の新たなスポーツの拠点に、いま高らかにキックオフのホイッスルが響きます。

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