インタビュー

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インタビュー

人生2度目のマラソンでオリンピック出場内定 可能性を探り続ける探究の道

公立高校から国立大学に進んだ女子長距離界では異色のランナー

 マラソン2度目にして、東京オリンピックへの出場権を射止めた強者がいる。それが鈴木亜由子選手だ。身長154センチと小柄な体には、自身の可能性に限界を設けない探究心が溢れている。

 人生初マラソンとなった2018年8月の北海道マラソンで初優勝を飾り、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の出場権を獲得。そのおよそ1年後の2019年9月に開催されたMGCでは、序盤は前田穂南選手と先頭争いを繰り広げ次第に離されたものの、最後は追い上げてきた小原怜選手を4秒差で振り切って2位でゴール。東京オリンピックの代表選手に内定した。

 2016年のリオデジャネイロオリンピックでは5,000メートルと10,000メートルの代表選手に選出、その経歴から女子長距離界のエリート街道を歩んできたと想像する人も多いだろう。MGCに出場した女子10選手のうち鈴木選手以外の9選手が高校卒業後すぐに実業団チームに進み、競技に専念しているが、鈴木選手が歩んだ道は、公立高校から国立大学への進学という異色のコース。なぜ、その道を選んだのだろうか。

 陸上と出会ったのは小学生の時だった。地元・愛知県豊橋市の陸上クラブに通い始めたのだが、長距離は「最初は正直、好きじゃなかったんですよね。苦しいですし、緊張するし」と苦笑い。だが、「走り終えた後の達成感とか、練習した分だけの結果がついてくること」に楽しさを感じた。

 中学時代にはバスケットボール部に所属しながら、週末になると陸上クラブに通った。すると、2~3年生の時に全日本中学校陸上競技選手権大会の女子1,500メートルで2連覇。陸上の強豪校に進学するのかと思いきや、選んだ先は進学校として知られる愛知県立時習館高等学校だった。

「スポーツ1つに絞る選択はしたくなかったんです。まだ、その先どういう可能性があるか分からなかったので」

 高校では陸上部に入り、長距離に専念することにした。だが、足を疲労骨折するなど怪我に泣かされる日々。それでも「走っている時の躍動感だったり、走ることでしか味わえない何とも言えない感情を、もう一度味わいたい」と、途中で諦めることはなかった。同時に、怪我のおかげで解放されたこともあった。

「中学の頃は勝つのが当たり前になっていて、そのプレッシャーがすごかったんです。でも、高校では怪我で歩けないところまでいってしまった。そうしたら逆にプレッシャーがなくなって、ある意味リセットされました。もう一度、本当に走る喜びを知ることができ、楽になれたんです。

 高校時代に燃え尽きなかったのは大きいですね。ジュニアの時期に心も身体も疲弊してしまって、その先に繋がらないケースがある中、私はリハビリ中心の競技生活だったので、いろいろな可能性を残したまま、大学、今、と繋げられたのかなと思います」

全力を出せなかったリオデジャネイロオリンピック「走っている記憶もあまりない」

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 大学もまた、スポーツありきの選択はせず、国立の名古屋大学経済学部に進んだ。理由は「選択肢を広げたい」から。「スポーツだけに限らず、自分の視野を広げて学ぶことも大事ですし、相乗効果はあると感じました」。自分に何が必要か、自分が何をしたいのか。「相談もしましたけど、最終的には自分で決断して、責任を持ってここまで進んできたのかなと思います」と選んだ道に迷いはない。大学では「限られた環境の中でも工夫して練習しました」という。特に「いつも胸を借りるつもりだった」という男子選手との練習は、実力の底上げに繋がった。

 また、大学では親元を離れて一人暮らしをスタート。米屋を営む実家では、祖父母と父母、姉兄のいる7人家族で育っただけに「最初は少し寂しかったです」というが、一人暮らしの日々は「充実していたので大変だとは思いませんでした」。バランス良く栄養を摂れるように自炊するなど「基本的な生活を自分一人ですることで、自立への一歩を踏み出して、最終的には競技力の向上に繋がったのかなと思います」と振り返る。

 大学時代には1年生から日本代表として数々の国際大会に出場。4年生で出場したユニバーシアード競技大会では、女子10,000メートルで金メダル、5,000メートルで銀メダルを獲得。大学卒業後は日本郵政グループに進むと、2015年に初出場した世界陸上競技選手権大会で女子5,000メートル9位となった。わずか0.29秒差でリオデジャネイロオリンピック代表内定条件の8位入賞を逃し、「(オリンピックに)絶対に行きたい」と決意。その後、リオデジャネイロオリンピックの5,000メートルと10,000メートルで日本代表の座を掴んだが、本番ではコンディションを崩し10,000メートルを欠場、5,000メートルは決勝に進めなかった。

「全力を出せる状況になかったので、あれだけ夢見ていた舞台なのに、そこにいる実感がなくて……。走っている記憶もあまりないですし、視界に入る景色が白黒というか色がないというか。悔しいよりも悲しかったです」

 このやりきれない思いが、鈴木選手をマラソン転向に踏み切らせた。以前から興味を抱いていたものの「故障がちのキャリアだったので、なかなか決心がつかなかったんです。でも、自分の可能性をもっと広げたい。やってみないとマラソンに適性があるかどうかも分からないですから」と決断。その結果、北海道マラソンでの初マラソン初優勝、MGCでの2位、そして東京オリンピック内定へと繋がった。

 マラソン転向は成功に見えるが「難しいですね。まだ掴み切れていません。そんなに簡単なものじゃないですね」と笑いながら首を傾げる。特に、マラソン2度目のMGCでは20キロ付近からペースダウン。「足が止まってしまって、どうすることもできない。ちょっとでも気を緩めたら止まると思っていたので、恐怖との果てしない戦いでした」と、マラソンの怖さを実感。追い上げる小原選手を4秒差でかわしたが「最後はメンタル。どれだけ勝ちたいか、どれだけやるかやらないか。本当にそれだけです」と振り返る。

東京は「皆さんに『やりきったよ』って言えるようなオリンピックにしたいですね」

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 東京オリンピックでは急遽、マラソンの競技会場が東京から北海道へ移った。驚きもあったが、「初マラソン初優勝の地。これも縁」と前を向く。前回の反省を生かし、「冷静に疲労を見極めながら、熱い気持ちも持って」最高の状態に向けてコンディショニングに徹する。本番では「真摯に競技にしっかりと向き合って走るだけだと思っているので、それを観てくれる方に、何か伝わるものがあったらいいなと思っています」と話す。

 最近では、子どもから大人まで幅広い世代の人々がランニングやジョギングを楽しみ、生涯スポーツとして社会に浸透している。スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金は、未来の陸上界を担う有望選手の発掘・育成事業や、地元のマラソン大会の他、地域の陸上競技場の整備などに役立てられている。市民ランナーたちは鈴木選手の挑戦し続ける姿に励まされるが、鈴木選手もまた市民ランナーの姿に心動かされるという。

「一般のランナーの方は本当にすごい。早朝や深夜でも通勤ランをしたり、(ランニングの)雑誌を見ると練習も工夫をされていますよね。あのランに対する情熱はどこから来るのか。教えられることが多いですし、私も負けられないなってモチベーションにもなります。応援を身近に感じることも多いですね。11月のクイーンズ駅伝が終わると開催地域の小学生と交流することもありますし、選手寮の近くで練習をしていると、地域の方々が声を掛けて下さったり。自分だけだったら、ここまで頑張れません。応援してくれる人、喜んでくれる人がいるから、また頑張れる。オリンピックでも私自身が納得いく走りができれば、皆さんにも一番喜んでもらえるのかなと思います」

 オリンピックに畏怖(いふ)の念を抱くあまり、これまで「優勝」という目標を言葉することは少なかった。だが、本番が近づくにつれ、「何となく転がり込んでくるものではない。簡単なことではないし勇気がいりますが、言うことで自分の行動も変わるし、覚悟も生まれてきます」と言葉にするようになった。

「冷静に考えると緊張してくるんですけど(笑)、4年に一度のオリンピックで自国開催。そこにマラソンで挑戦する。こんなチャレンジングなことに向き合えるってとても幸せなことだと思っています。スタートラインに立ってしまえば、もう42.195キロを走るだけ。最後に清々しい気持ちでゴールして、皆さんに『やりきったよ』って言えるようなオリンピックにしたいですね」

 フルマラソンを走ったのは、まだ2度。東京オリンピックでは、まだ見ぬポテンシャルが発揮されるかもしれない。いわゆる「ランナーズハイ」に話題が及ぶと「いや、苦しいだけですね(笑)。苦しいけど頑張れるという感覚が、まだできないんです。多分リミッターを外し切れていなんでしょうね」と話した。となれば、リミッターが外れた先には……。

「まだまだ可能性はあると思います」

 鈴木選手の中に秘められた無限大の可能性こそが、観る者を虜にする源なのかもしれない。

(2020年2月取材)

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鈴木 亜由子すずき あゆこ

1991年10月8日、愛知県生まれ。日本郵政グループ所属。小学生の頃、地域の陸上クラブに入り、長距離の楽しさに惹かれる。中学時代にはバスケットボール部に所属しながら、全日本中学校陸上競技選手権大会の女子1,500メートルで2連覇するなど才能を発揮。愛知県立時習館高等学校を経て、名古屋大学経済学部に進学。大学時代は1年生から日本代表に選ばれるなど国際大会で活躍。4年生だった2013年にユニバーシアード競技大会に出場し、女子10,000メートルで金メダル、5,000メートルで銀メダルに輝いた。日本郵政グループに進み、長距離トラック競技に専念し、2016年リオデジャネイロオリンピックの女子10,000メートルと5,000メートルの代表選手に選出。同大会で思うような結果が残せなかった悔しさを胸に、2018年にマラソンに転向し、同年の北海道マラソンに初出場初優勝。翌2019年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では2位となり、東京オリンピックの日本代表に内定した。

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