インタビュー

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恩師と考えた「一区切り」という結論 先に見据える普及と指導の道

体操 杉原愛子さん

「教えてもらいたい」と大野監督の元へ 感謝の想いを伝えたいのは両親と恩師

 今年6月に行われた全日本体操種目別選手権で高い技術と確かな演技力を披露し、ゆかで2位入賞を果たした杉原愛子さんは、同大会を最後に競技生活に「一区切り」をつけた。

 4歳から体操を始め、「一区切り」するまでの約18年間を体操競技に捧げてきた杉原さん。スポンサーを始め、多くの方の支えがあったからこそ、競技者生活を続けてこられたと感謝の言葉を述べるが、その中でも特に想いを伝えたいのは両親と大野和邦監督だという。

「まず、両親がいなかったら体操を始めていないですし、両親がいたからこそ、ここまで続けることができたとすごく感じています。そして、体操がやりやすいような環境を考えて整えてくださった大野監督には本当に感謝しています。スポンサーさんも集めてくださってご支援いただいている。本当に自分一人では何もできないからこそ、たくさんの人に支えてもらってオリンピックまで行けたんだなと強く感じていて、感謝の気持ちでいっぱいです。監督がいなかったら東京オリンピックにも行けていなかったと思えるくらい、監督の下でやってこられて良かったと思っています」

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 大野監督は、感謝の気持ちが尽きない「特別な存在」だ。2019年に活動の場を武庫川女子大学に移してから二人三脚で走ってきた、東京オリンピックまでの約2年半。「逆にそれぐらいしか経っていないんだって感じるぐらい濃い時間だった(笑)」と振り返る。

 所属こそ違ったが、恩師とは「ジュニアの頃の合宿とかで教えていただく機会が多々ありました」という間柄だった。2018年末で前所属クラブを辞め、関西を拠点にトレーニングできる場所を探していた中で、「村上茉愛さんを教えていた方でしたし、自分自身もうまくなりたかったので教えてもらいたい」と大野監督が指導する武庫川女子大学への入学を決めた。

 大野監督からは、技術面の向上と人間としての成長を教わった。一般的に大学生になると「技を減らして、いかに美しく安定した演技を観せるか」に注力していくという。しかし、大野監督の下では新しい技の習得や技の質をより高めることができた。例えば、「ロンダートやバク転を教えていただき、ゆかのタンブリング(跳躍や回転などの動き)の質が上がりました。それにビッグタンブリング(高難度のアクロバット)も練習ではできるようになったんです」と目を輝かせる。

 ただ、それ以上に人間的な成長を促してくれた。「監督からたくさんのことを教わり、考え方が変わりました」。周囲への感謝を忘れない今の杉原さんを形作ったのは、間違いなく大野監督だという。

「以前は自分勝手なことしか考えていませんでした。周りも見えていなかったですし、自分ができていれば、それで満足でした。でも、今はそういう考えではなくなりました。監督とたくさん対話を重ねていく中で、変わることができたんです」

 もちろん「一区切り」についても、恩師と一緒に考えた末の結論だ。

体操はマイナー競技だと思っているからこそ支える仕組みは「本当にありがたい」

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 現在は体操の普及活動を行いながら、選手兼学生コーチという立場の杉原さん。今後は普及活動を継続しつつ、指導者の道を目指していく。早速、10月からは公認体操コーチの資格取得に向けた勉強が始まったが、審判の知識も必要だと審判の資格取得も考えている。さらに、それだけで終わらないのが、実に杉原さんらしい。いずれは、「国際体操連盟(FIG)の役員にもなりたい」という夢があり、そのために「今、英語を勉強している」という。

 9月には、普及活動の一環として鹿児島のショッピングモールの特設会場で、ゆかのタンブリングを披露した。そこには子どもから大人まで、買い物を楽しむたくさんのお客さんが集まった。

「鹿児島でエキシビションをやらせていただきましたが、トークショーなどを通して、体操の普及活動をしていきたい気持ちが今はすごくあります。鹿児島での反響も大きかったので、これを機に全国を回って体操の魅力をもっと伝えていきたいと思っています」

 競技生活に「一区切り」をつけてから週に行うトレーニングの回数は減ったが、真摯に体操に打ち込む姿は全く変わっていない。今は、自身の演技で体操の魅力を知ってもらうことに重点を置いている。

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「体操を知らない方にもその魅力を知ってもらって、例えば子どもたちが私を目指して体操をやりたいとか、内村航平さんやオリンピック選手を目指して体操を始めるきっかけになればすごくうれしいです。それが体操の普及に繋がるのかなと思って活動しています」

 老若男女、幅広い層の人々が体操をはじめとするスポーツの魅力に触れられるよう、スポーツくじの収益による助成金は次世代アスリートの発掘や育成、地域のスポーツ大会・教室の開催や施設の整備、国際大会の開催など、幅広く活用されている。

「スポーツくじのおかげで、世界体操を始めいろんな大会が運営できているのは本当にありがたいことだと思います。ただ体操はまだまだマイナー競技だと思っているので、それをこれからメジャー競技に広げていきたいですし、フィギュアスケートのアイスショーのように体操のエキシビションができたらいいなと考えています。例えば、大きな体育館でそれができたら。そして、そこにはたくさんのお客さんが観に来てくれて、たくさんの人に体操を知ってもらって、好きになってもらいたいなと思っています」

 大好きな体操の普及と指導。10代の頃から女子体操界の先頭を走り続けてきた杉原さんは今、ようやくプレッシャーから解き放たれて大好きな体操を心から楽しんでいる。「もちろん以前から体操は大好きですけど、今の方が自分の観せたいものだけを観せる、楽しいことだけをやることができています」と満面の笑みを浮かべた。

 次なる夢へと向かって踏み出した新たな一歩。大好きな体操を、みんなに知ってもらいたい。そして好きになってもらいたい。ただ、そのためだけに、これからも体操界を走り続ける。

(当記事は2022年9月に新型コロナウイルス感染症対策を行った上で取材・撮影を行いました。)

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杉原 愛子すぎはら あいこ

1999年9月19日、大阪府生まれ。姉の影響で4歳から体操を始め、体操クラブに入団した小学4年生の頃から本格的に体操競技に取り組み始める。中学3年生の時にアジアジュニア体操競技選手権大会で団体優勝、個人総合2位を果たすと、同年の全日本ジュニア体操競技選手権大会では個人総合優勝。高校生になると、シニアで初の国際大会となったアジア体操競技選手権で団体総合優勝、個人総合優勝を果たし、日本代表の一員として貢献した。世界体操競技選手権には、2015、2017、2018、2019年の4大会で日本代表入り。2017年のカナダ・モントリオール大会では平均台で足持ち2回ターンを成功させるとE難易度の認定を受け、新技として自身の名前『スギハラ』と命名された。オリンピックは2016年リオデジャネイロ大会と2021年東京大会に出場。2022年6月の全日本体操種目別選手権を最後に競技者生活に「一区切り」をつけた。

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