インタビュー

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インタビュー

“炎の守護神”は今も忘れない 「4年に1度しかない」4回分の記憶

ワールドカップを4度経験した“炎の守護神”が見た「夢と希望」の世界

 6月になると思い出す。夢にまで見た特別なピッチで、世界を相手に戦っていた時間を。

「42歳になった今も自分は現役選手としてプレーし、ポジションを争っています。だからワールドカップに出場したことが、どれだけの経験値になったのか、正直分からないんです。でも4年に1度しかないワールドカップはやっぱり特別。自分は恵まれていたなと感じられる大切な大会です」

 川口能活選手(SC相模原)が初めて見たワールドカップは1986年のメキシコ大会だった。家のテレビにかじりつくように、ブラウン管の中で躍動するスーパースターたちのプレーに夢中になった。

「マラドーナ、プラティニ、ジーコといった名選手がいて、GK(ゴールキーパー)だと西ドイツのシューマッハがアイドルでした。僕は小学校3年生の時にサッカーを始めて、メキシコ大会が小学校5年生の時に開催されました。当時は日本にプロリーグすらなくて、ワールドカップのピッチに立つのは夢のまた夢でしたが、子どもながらに憧れを抱きました。僕のサッカーの原点ともいえる大会ですし、夢と希望を与えてもらいました」

 そう話すと、少年のようにキラキラと目を輝かせた。

 夢が現実に変わったのは、12年後のこと。日本が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会当時、川口選手は22歳だった。大きな期待とプレッシャーを感じながらアジア最終予選を勝ち抜いた先の夢舞台だが、ようやく実感が湧いてきたのはキックオフ直前。

「入場する時、両チームの選手がそれぞれ1列に並ぶじゃないですか。そうしたら、隣の列にいた11人が全員アルゼンチンのユニフォームを着ていた。ワールドクラスの選手が何人もいて、その時に初めて自分がワールドカップに出場していることを実感しました」

 世界最高峰のピッチでプレーできる喜びを全身で感じる一方で、日本は3戦全敗と勝利どころか勝ち点にすら手が届かなかった。それでも、ここでの悔しい経験は「自分にとって大きな財産」へと変わっていく。

控え、レギュラー、第3GK…異なる立場から見えたもの

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 その4年後には日韓共同開催でワールドカップが行われ、日本は初めて決勝トーナメントに進出。惜しくもベスト16で敗退したものの、日本におけるサッカー人気を不動のものとした。フランス大会当時はインターネットがあまり普及しておらず、日本国内の報道を知る手段は日本からのFAXが主流だった。それが2002年の日韓大会は自国開催であったため、リアルに反響が聞こえてきた。

「フランス大会ではアジア最終予選の時も本大会中も、日本からスポーツ新聞をFAXで送ってもらっていました。ヒデ(中田英寿選手)は当時からノートパソコンを持ち歩いていましたが、僕はアナログな人間なので(笑)。でも2002年(の日韓大会)は自国開催ということで、ワールドカップの熱を肌で感じることができました。フランス大会とはまた違ったワールドカップの盛り上がりを感じられる経験でした」

 2度目のワールドカップでは自身は出場機会に恵まれず、4年前の借りを返せなかった。しかし、この経験が自身の考え方を変えるきっかけとなった。23人がグループとしてまとまり、勝利を目指す。試合に出られない選手が異論を唱えるのではなく、サポートに回る。それが勝つためにどれだけ重要なことか。フランス大会とは異なる意味でサッカー人生に影響を与えた大会になった。

 続く2006年ドイツ大会では再びレギュラーとして日本のゴールマウスを守った。中田英寿選手(当時)や中村俊輔選手、小野伸二選手をはじめ、才能溢れるプレーヤーが集結し、かつてない期待を日本代表は背負った。しかし、結果は1分2敗でグループリーグ敗退。川口選手は第2戦のクロアチア戦でPKをストップするなど奮闘したが、チームとして結果が出なかった3度目の経験はほろ苦いものとなった。

「ドイツ大会は優れた選手が多く集まっていたタイミングだったと思います。ですが2002年の日韓大会以降に積み上げてきたものを自分たちが発揮できませんでした。力が足りなかったというより、力を出し切れなかった印象が強い。自分もチャンスが与えられた中で結果を出せず、歯がゆさが残りました」

 自身4度目となる2010年の南アフリカ大会に臨む際の立ち位置は「第3GK」。過去3大会でさまざまな経験を積んだからこそ、出場機会が限られた状況でも快く招集に応じた。

「当時はケガの影響でほとんどリーグ戦に出場していませんでしたが、代表発表の前日に岡田監督から直接連絡をもらって『招集したい』という考えを伝えられました。しばらく代表招集から遠ざかっていた時期で、もう一度あのグループに入りたい、日本代表のユニフォームを着てプレーしたいという思いがあった。試合に出場するチャンスは少ないかもしれないけど、これまでの(ワールドカップの)経験を伝えることで、再び日本代表に貢献できる。行くしかない、と思いました」

 最年長選手としてチームの精神的支柱となり、日本は2度目となる決勝トーナメントへ。川口選手をはじめとする経験豊富なベテラン選手たちが、我を見せることなくチームを下支えする姿がチームの士気を高め、一体感に繋がった。

世界を知る第一人者が思う「日本が強くなるために絶対に必要なこと」

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 ワールドカップを通じて酸いも甘いも経験した川口選手は、その道中の2001年に日本人GKとして初めて欧州リーグ移籍を果たしている。以降、イングランドとデンマークで研鑽を積み、第一人者として不動の地位を確立した。その過程で、サッカー文化の違いや歴史・伝統を肌で感じてきた。

「ヨーロッパではサッカーが人々の文化になっていて、日本とは熱狂度が違いました。それに天然芝のグラウンドが普通にあって、そこで子どもたちがボールを蹴っている。Jリーグが誕生したことで運営や組織の面ですごく整備されたかもしれないけど、サッカーの競技普及という観点や環境面ではまだまだ大きな差があると感じました」

 川口選手は、Jリーグクラブの育成組織ではなく、いわゆる“部活”で育ち、日常的に土のグラウンドで腕を磨いてきた。雨の日も風の日も関係なく、擦り傷を作るのは当たり前。ユニフォームの汚れは、スキルアップの証明でもあった。出身高校の清水商業高校(現清水桜が丘高校)は多くのプロサッカー選手を輩出していることで知られる名門だが、土の上で汗を流すのが普通だった。

「試合も市大会までは土のグラウンドで、県大会に進出すると初めて天然芝のグラウンドでプレーできました。当時、人工芝はほとんどありませんでしたから。でも今は人工芝のグラウンドを持つ高校も増えています。小さな子どもからお年寄りまで、スポーツで得られるものはとてつもなく大きいですから、環境面が整備されるのはサッカー以外のスポーツにとっても意味のあることだと思います」

 スポーツの環境整備や競技普及を支える仕組みとして、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金がある。スポーツ施設の整備といったハード面から、選手の発掘・育成、スポーツ教室や大会の開催といったソフト面まで、スポーツのさまざまなシーンでスポーツくじの収益による助成金は活用されている。

 ワールドカップはサッカーにおける最高峰の大会だが、その入り口は身近なところにあると力説する。

「みんな最初は子どもです。どの競技でも、まずは『やってみよう』と思う子どもが増えることに意義があると思います。身近な場所に天然芝や人工芝のグラウンドが増えることで、単純に競技意欲が高まります。するとたくさんの人が集まり、優秀な人材が出やすくなる。『やってみたい』と思う子どもが増えることが、良いサイクルの1歩目だと思います。また、育成のスキームがしっかりしていないと良い選手は育ちません。環境面と育成面の両方が整備されることが、日本が強くなるために絶対に必要なことです」

 スポーツくじによる助成金は、サッカーにおける若手選手の発掘・育成、指導者養成の講習会等の開催にも活用されている。

「シビアな世界」を生きる“炎の守護神”が歩むこれから

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 現在、川口選手はJFA公認B級コーチライセンスを所持しており、将来は指導者としてのさまざまな選択肢も考えられる。

 だが、今は現役のサッカー選手として過ごす日々に充実感を覚えている。SC相模原に所属し、今もなおライバルとしのぎを削り、たった1つしかないポジションを争っている。試合に出ることもあれば、ベンチを温める日もある。そのすべてがサッカー選手としての誇り。闘志は衰えるどころか、増していくばかりだ。

 世界中の耳目がロシアへ向くのをよそに「チャンスを生かさなければ消えてしまうシビアな世界」を生きる。ワールドカップを4度経験した“炎の守護神”はこれからも戦い続ける。

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川口 能活かわぐち よしかつ

1975年8月15日、静岡県生まれ。清水商業高校(現清水桜が丘高校)では3年冬に全国高校サッカー選手権優勝。1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)入団。2001年からイングランド、2003年からデンマークでプレー。2005年にジュビロ磐田に移籍しJリーグ復帰。FC岐阜を経て、2016年からSC相模原に在籍。日本代表では1996年アトランタオリンピックで「マイアミの奇跡」を演じる。ワールドカップは1998年フランス大会から4大会連続メンバー入り。2002年日韓大会、2010年南アフリカ大会では16強入りを経験した。国際Aマッチ出場116試合。

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