インタビュー

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インタビュー

「頑張った先の結果」から見えるもの 水泳が育てる“自分を知る力”とは

元オリンピック日本代表・伊藤さんに聞く、子どもが25メートルを泳げるようになる方法

 夏が到来し、水泳シーズンがやってきた。子どもたちにとって、最初の目標の一つとなるのが、25メートルを泳ぎ切れるようになることだろう。しかし、水に対する恐怖心や息継ぎの難しさといった壁がある。では、いったいどうすれば上手に泳げるようになるのか。北京、ロンドンとオリンピックに2度出場した元競泳日本代表の伊藤華英さんに話を聞いた。

 子どもを対象とした水泳教室はもちろん、教員を務める大学で体育の授業を受け持ち、学生相手に泳ぎを教えることもある伊藤さん。まず、泳ぎ始めの子どもが苦手になりやすい原因はどこにあるのだろうか。

「泳ぐという動作は、日常生活では無い動きです。横になった状態、しかも重力を感じない水中で動くので、最初は体の使い方がわかりません。その部分が大きいと思います。もう一つは、水が怖いという印象があることです。水を飲んでしまったら、息ができなかったら……という怖さです。だから、私が教える時はまず『水は怖くないんだよ』ということを教えるようにしています」

 水中という非日常の場所で、経験したことがない動きをする。野球やサッカーのように陸上でするスポーツとは異なる難しさだ。「水泳は、膝や腰にも負担が少ないため、怪我のリハビリテーションにも使われています。(水中は浮力によって)体の動きを助けてもらえる面もあるのです。(水は怖いと感じている子どもたちには)小さなことでもこのような気づきを与えてあげることで、子どもたちは一歩を踏み出すことができます」と伊藤さんはいう。

「(水の中で)人と触れ合うことも怖さを克服する上では大きいと思います。ベビースイミング(3歳未満の乳幼児期に行う水泳)をやっていた子は水泳が好きな子が多いです。それは、小さい頃にお父さんやお母さんと一緒に泳いで楽しかったという記憶があるから。子ども同士や先生との触れ合いでも楽しくなっていきます。泳ぐという技術だけにとらわれず、コミュニケーションを取り、楽しさを感じながら上手くなっていくことが大切だと思います」

 水泳で基本の泳ぎとなるのが、クロールだ。伊藤さんは「クロールって、意外と難しいんです」と言い、上手に泳ぐためのポイントを明かしてくれた。最も大事になるのは「姿勢」だという。

「まずはしっかりと蹴伸(けの)びをすること。最近は体が硬い子も多いですが、蹴伸びに大切なのは柔らかさ。腕を耳の後ろにつけてストリームライン(水の抵抗が最も少ない姿勢)を作ります。体の横から見て、手の指先から足先まで一直線になる意識です。腕が曲がってしまうと頭が上がって、足が(水中に)下がってしまい一直線になりません。足首がしっかりと揃って、足の裏が天井を向いている状態にすることが大事です。この基本姿勢を水の中で保つことができれば、スムーズに泳ぎやすくなります」

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大切なのは「正しい姿勢」「伸びの意識」「キックの方法」

 ストリームラインとは、両腕を耳の後ろにつけて両手を重ね合わせて伸ばし、腰、膝を曲げず、水の対抗を減らした流線形の姿勢のこと。正しい姿勢を取れるようになると、次の課題は「息継ぎ」だ。

「良くない例は片方の手が入水した瞬間にもう片方の手で水をかこうとすること。そうすると進みにくいですし、呼吸もしにくいです。まず、入水したら“伸びる”という意識を持つこと。十分に肘が伸びてから、もう片方の手で水をかく。息継ぎは(顔を出す側の)手で水をかいている間にするものなので、その“伸び”の意識があると自然と呼吸もしやすくなります。

 もう一つはキックの仕方です。子どもに『しっかり蹴りなさい』と言うと、膝を曲げて水をバシャバシャと叩くように後ろに蹴ることで進むと思っている子が多いのですが、実は体が進むのは蹴った足が伸びた時。そのためには後ろではなく、(水底の)下に蹴って、足を伸ばすように伝えています。そうすることでいい姿勢が維持しやすいです」

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 正しい姿勢、伸びの意識、キックの方法とポイントを挙げてくれた伊藤さん。指導経験では、7メートルしか泳げなかった小学校低学年の女児が数時間で25メートルを泳げるようになったこともあり、「気持ちの面もすごく大事になります」とも語る。

「泳げない子は、どうしても怖くなって、すぐに立ってしまおうとする。『まだまだいけるよ』、『すごくフォームが良くなったよ』などと前向きな言葉をかけてあげることを意識しています。そして何より大事なのは『苦しくて立ちたくなったら、もう一度、キックをしなさい』と声をかけてあげること。それでもできなければ、また次にチャレンジすればいい。それを繰り返していくことで、少しずつでも距離は伸びていきます」

 このように泳ぎのコツを丁寧に教えてくれた伊藤さん。現在は指導者として水泳の魅力を伝える立場にある。子どもたちにとって泳ぐことの一番の楽しさは、どこにあると感じるのか。

「水に入ったら、誰でも笑顔になれると私は思います。普段の生活では大人しかったとしても、水に入ったら子ども同士の距離が自然と縮まる。友達、先生とも距離が近くなって、笑顔が生まれるのは水泳の良さだと思います。もう一つは、しっかりとした指導の下であれば、怪我が少ないスポーツ。子どもはみんな、プールが好きですから。泳げるようになることだけがプールの授業ではないですし、みんなで水に入って楽しかったと思ってくれることが一番大切なのではないかと思います」

 現役時代はオリンピックに2度出場。北京オリンピックでは女子100メートル背泳ぎで8位入賞、自由形に転向した後もロンドンオリンピックに出場するなど、日本のトップ選手として活躍した。水泳という競技が「人を育てる」ことに貢献することも大きいと考えている。

「タイムがすべて」の水泳で育った“自分を知る”力とは

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「水泳は個人競技ということもあり、自分を知ることができると思います。タイムですべて結果が分かれてしまうので、自分は今こんな位置なんだという現状を知ることができます。自分の努力の先に何番という結果が残るので、周りの人を妬む(ねたむ)こともありません。しかし、最大限の努力をしたとしても、この位置までしかいけないという限界もあります。全員が金メダル、日本一を獲れるわけではありませんが、最大限に努力することが大事です。水泳は日々の頑張りが結果に結びつくので、努力の大切さを知ることができるスポーツだと思います」

 現在は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の広報局に勤務し、2年後に迫った夢舞台に尽力している。水泳競技で培ってきた経験が、社会人として生きたことも「たくさんあります」という。

「大したことでは心が折れないですね(笑)。誰に何を言われても私の人生だから、と思えます。どれだけ努力しても結果が出なければ評価されない世界にいたからこそ、今は楽しみながら取り組めています。今の仕事では正解はなくて、自分自身で考えて行動したことが正解になるチャンスがたくさんあります。そのチャンスをしっかりと掴めるように努力することに楽しみを覚えています。

 一番おもしろいと思う瞬間は、最初のうちは『なんで、そんなことやっているの?』と言われることもありますが、それがうまくいき始めると周りから『どうやってやるの?』と質問してくるようになることですね。そういう瞬間も楽しいですし、たくさん正解があることが、楽しいと感じられていることのひとつですね」

 伊藤さんにとってたくさんの財産を与えてくれた競技人生。競技生活を支えていたものの一つが、スポーツくじの収益による助成金だという。現役時代は支援を受けながら、成績につなげてきたからこそ価値の大きさを理解している。

「現役時代は助成金を頂けることの価値をそこまで理解していなかった部分もありましたが、助成金をトレーニングやサプリメントなど、パフォーマンスを上げるための費用に使えたことで、選手寿命が延び、26歳までトップ選手として現役を続けることができたと思います。

 選手が何も与えられずに結果を出すことは難しい。子どもは親に育ててもらい、そして大人になっていく。選手も色々なサポートを受けながら育っていきます。こういった支援があると、選手たちももっと頑張ろうと思えますし、その結果、良い成績につながり日本全体が元気になったり、スポーツが素晴らしいと思ってもらえる。だからこそ、こういった支援はとても大事だと思います」

支える側と支えられる側が一緒に発展させていく“意識”を

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 スポーツくじの助成金は、アスリートへの支援だけでなく、地域のスポーツ施設の整備やスポーツ大会・教室の開催など、様々な形で水泳競技をはじめとしたスポーツの普及・発展のために役立てられている。伊藤さんは「競技力の向上は良い環境にあることが大前提」と話した上で「今の選手たちにはこれだけサポートしてもらえていることに感謝の気持ちを持ってほしいと思います」という。

 8月に日本で開催されたパンパシフィック水泳選手権大会(通称パンパシ水泳)にもスポーツくじの助成金が役立てられている。

「選手にとっては練習の成果を発揮するために試合が必要です。今回のパンパシは東京で行われ、注目度も高い。(出場する選手には)そういう機会が身近にあることを、当たり前に思わず大切に感じてもらいたいです。

 助成金を出している側だけが選手を支援したいという意識を持っていても、受け取る側の選手に感謝の意識がなければケミストリー(化学反応)が生まれず、発展につながりません。両方が一緒に作っていくような感覚を持てるといいと思います。選手たちは競技の結果で返せる立場にいます。支援を受けることが当たり前と思っていたら、成績も伸びない。やってもらうことに慣れるのではなく、高い意識を持って、スポーツ選手としてできることを考えてほしいと思います」

 現役時代にトップスイマーとして泳ぎ続けた水泳界が、どんな未来を築いていってほしいと願うのか。最後に聞くと、胸の内にあった並々ならぬ、熱い思いを明かしてくれた。

「スポーツ庁の鈴木大地長官もおっしゃっていますが、競技力を上げるだけではなく、日本で泳げない人が一人もいないようにしたい。水泳は競技人口も多く、マスターズ大会では18歳から100歳まで区分され、生涯スポーツの推進の一翼を担える。水泳は道具がなくてもできるのが魅力です。運動能力によって選ばれた人だけではなく、誰でもできるものですから。そして水泳に限らず、スポーツをすることで仲間が増えていきます。それがスポーツの魅力です。仲間が増えていくことで、裾野の拡大にも繋がっていくと思うので、これからもスポーツの楽しさ、すばらしさを伝えていきたいですね」

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伊藤 華英いとう はなえ

1985年、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。東京成徳大学高等学校、日本大学を経て、2008年に女子100メートル背泳ぎで日本記録を樹立。初出場した北京オリンピックでは女子100メートル背泳ぎで8位入賞。翌2009年に自由形に転向。世界選手権、アジア大会でメダルを獲得し、2012年ロンドンオリンピックに自由形で出場。同年10月のぎふ清流国体を最後に現役を退いた。引退後は、日本ピラティス指導者協会公認マットピラティスコーチの資格を取得。また、スポーツ界の環境保全を啓発・実践する「JOCオリンピック・ムーヴメントアンバサダー」としても活動。現在は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に所属している。

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