インタビュー

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インタビュー

「泳いで、漕いで、走って」51.5キロ 過酷な競技に魅せられたワケ

9歳で初出場したレースには「ママチャリを借りて出ました(笑)」

 トライアスロン佐藤優香選手の朝は早い。拠点を置く山梨県でも、合宿をする沖縄県でも、一日の練習は朝6時半、プールの中から始まる。集中力を高めて1~2時間をみっちり泳ぎ込む。午後は、2~4時間にわたって自転車に乗り、ランニングを1~2時間して18時には練習を終える。合宿での強化練習ともなれば、10時から18時まで8時間も自転車に乗り続けることもある。「疲れます。翌日は布団から出られないこともあります」と言うが、スイムもバイクもランも「全部好きですね。楽しいです」と笑顔が弾ける。

 トライアスロンは、スイム(1.5キロ)、バイク(40キロ)、ラン(10キロ)の3種目を、一人のアスリートが連続して行う。1974年にアメリカで世界初のレースが開催され、オリンピックの正式競技に採用されたのは、2000年のシドニーオリンピックからだ。佐藤選手がトライアスロンと出会ったのは、その1年後、9歳の時だった。3歳から水泳を始め、とにかく身体を動かすことが「大好きでした」という佐藤選手に、トライアスロンを勧めたのは母親だったという。

「私はトライアスロンが何かも分からず、ただ母の言うとおりに出場したら、初めての大会で優勝したんです。地元の小さい大会だったんですが、学校にあるレンタルのママチャリを借りて出ました(笑)。私は『あ、勝ったんだ』くらいな感じでしたが、何よりも母が喜んでいましたね」

 ここから20年にわたるトライアスロン人生が始まったわけだが、競技の楽しさを感じ始めたのは1、2年後のことだった。「トライアスロンをやっていることがカッコいいと、学校でもすごく注目を浴びるようになったんです。それがすごくうれしくて。自分でもすごい競技をやっているんだなって思うようになりました」と、当時を振り返る。

魅せられたトライアスロンの楽しさ 「自分の限界に挑戦できる競技」

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 中学校時代は陸上部に入り、スイミングスクールに通いながら、週末に自転車のトレーニングをして、トライアスロンのレースに出場し続けた。3年生で進路を選択する際に、1つの種目に専念するか、トライアスロンを続けるか、頭を悩ませたという。

「陸上だけ、水泳だけで勝負するのは、私には厳しいし伸び悩むと感じていました。でも、トライアスロンだったら3種目ありますし、それぞれを伸ばしていけば(1種目が伸びる以上の)可能性があると感じていたので、自分にはトライアスロンの方がいいと思ったんです」

 トライアスロンは3種目の練習をしなければならないため、大変だと考える人もいるが、佐藤選手は「成長できる分野が3倍あるからチャンスは広がる」と考えた。もちろん、くじけそうになったり、やめたいと思ったことも「しょっちゅうでしたね(笑)」。高校に進学後は、同じチームに所属する先輩たちと寮生活を送りながら、トライアスロンに専念した。初めて親元を離れ、最大9歳の年齢差がある先輩たちとの共同生活。新たな環境に戸惑うこともあったが、「自分を鍛えるために必要な時間だと思って、先輩に食らいついていけるように頑張りました」と、環境の変化をポジティブに捉えていった。

 物事を前向きに捉える姿勢は、負けず嫌いの裏返しでもあるという。試練や課題から逃げ出してしまえば、成長の機会を失うと考えている。「とにかく負けるのが嫌いなので」と笑顔で言いながらも、その目には芯の通った意志の強さが宿る。先輩に必死で食らいつきながら練習をした結果、2010年の第1回ユースオリンピック競技大会で見事、大会第1号となる金メダルを獲得。この頃には、トライアスロンが持つ魅力の虜になっていた。

「トライアスロンは自分の限界に挑戦できる競技だと思っているので、限界に挑みたいと思う人が向いていると思います。自分の限界を超えられた時の達成感は本当にすごいです。そのためにやっている感じ。一度味わうと次も、次も、とクセになる感覚がありますね。最近は趣味でトライアスロンを始める方も増えていますが、皆さん、その魅力に引き寄せられるんだと思います」

出場を逃したロンドンオリンピック 「自分が変わらなくちゃ何も変えられない」

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 佐藤選手が初めてオリンピック出場を意識したのは、2008年に北京オリンピックを観戦した時だ。所属チームの飯島健二郎監督と一緒に北京へ行き、レースに出場する選手の姿を目の当たりにし、「次のロンドン大会には絶対に出場しようと思いました」。だが、残念ながら2012年のロンドンオリンピックへの出場は叶わず。リフレッシュのために休養期間を取る選択肢もあったが、佐藤選手が選んだのはオフを取らないことだった。

「悔しい思いをして、自分が変わらなくちゃ何も変えられないと思いました。なので、監督に『次のリオは出場したいので、誰よりも早く練習を始めます』と言って、オフは取らずに練習を始めました。練習量は変えず、質を上げるために中身にこだわると、高いパフォーマンスが出て、自分のキャパシティーも広がってきた。そうなると、もっとトライアスロンが楽しくなってきたんです」

 リオデジャネイロオリンピック代表の座を巡り、女子選手は激しい争いが繰り広げられた。「熾烈な争いで、誰になるか分からなかった。その中で私の名前を挙げていただいて。『最後の最後まで粘って良かった、4年間積み上げたことが繋がった』と思えたオリンピックの舞台でした」。念願叶った2016年のリオデジャネイロオリンピックでは日本人トップの総合15位でゴールした。

「全く緊張しなくて、レース中は周りの歓声も、風の音も、全てが透き通って感じました。自分だけの空間にいるような不思議な舞台でしたね。今までにない達成感があって、東京でもあの感覚をもう一度味わいたい。その気持ちが一番大きいですね」

佐藤選手の抱く願い 「子どもたちにトライアスロンという競技をもっと知ってもらうこと」

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 2018年から体調不良が続き、2019年には甲状腺機能低下症と診断された。今でも自分の身体が発する声に耳を傾けながらの調整が続くが、東京オリンピック出場を最大の目標に据えている。

「自国開催のオリンピックに出場して活躍すれば、競技の知名度も上がります。私が願うのは、子どもたちにトライアスロンという競技をもっと知ってもらうこと。子どもたちに『私も、僕もトライアスロンをやってみたい』と思ってもらえるような選手でありたいです」

 トライアスロンのジュニア世代の選手の発掘や育成、また幅広い層の人々が競技を知るきっかけにもなる国際大会の開催などに、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金が役立てられている。「トライアスロンがもっと盛り上がるためにも大事なこと」と感謝する佐藤選手は、子どもたちへの普及活動について「自分から発信できればうれしいです。小学校や中学校でトライアスロン教室を開催するのもいいですね」と、将来的には様々な形で活動していきたいという。

 東京オリンピックの出場者が決まるのは、2020年5月の予定。開催国の日本は男女各2名と、新種目の混合リレー1チームの出場枠が与えられている。リオデジャネイロ大会で味わった「透き通った感覚」と「今までない達成感」をもう一度味わうためにも、トライアスロンという競技をもっと多くの人に知ってもらうためにも、オリンピック2大会連続出場を目指す佐藤選手の挑戦は、最後の最後まで続く。

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佐藤 優香さとう ゆか

1992年1月18日、千葉県生まれ。トーシンパートナーズ・NTT東日本・NTT西日本・チームケンズ所属。9歳の時に母の勧めでトライアスロン大会に初出場し、初優勝を飾る。中学生の頃から頭角を現し、日本橋女学館高等学校に進学後、トライアスロンに専念。卒業後は飯島健二郎監督率いるチームケンズで才能を磨く。2010年の第1回ユースオリンピック競技大会で大会第1号の金メダリストとなった。同年のITUトライアスロン仙台アジアカップとITUトライアスロン天草アジアカップではエリートカテゴリーで優勝。その後も国際大会で好成績を残し、2014年に日本トライアスロン選手権で初優勝を飾ると、翌2015年はITUトライアスロンワールドカップ統営大会で表彰台の頂点に立った。2016年のリオデジャネイロオリンピックに初出場し、日本人最高となる15位でゴール。2020年オリンピック・パラリンピック招致最終プレゼンテーションに登壇し、開催決定に一役買った東京オリンピックへの出場を目指す。

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