インタビュー

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インタビュー

プロ転向で掲げた3つの目標 NASAが刻む日本女子ゴルフ界の新たな歴史

史上最年少記録を次々と塗り替え、名前に込められた想いを体現

 2016年10月10日。プロ転向を宣言した畑岡奈紗選手は、2年以内にLPGA(全米女子プロゴルフ協会)ツアーで優勝し、5年以内に米メジャー大会で優勝、2020年には東京オリンピックに出場する、と目標を掲げた。この時、17歳271日。憧れの先輩、宮里藍さんの18歳110日を更新する日本女子史上最年少でのプロ入りだった。

 同年10月、プロ転向前に出場した「日本女子オープンゴルフ選手権競技」では、最終日に逆転優勝を飾った。JLPGA(日本女子プロゴルフ協会)ツアー公式戦でアマチュア選手が優勝するのは史上初の出来事だった。さらに、12月に出場したLPGAツアーのクオリファイングトーナメントでは、日本人最年少で翌シーズンのツアー出場権を獲得。LPGAツアー参戦2年目の2018年6月には、メジャー大会「全米女子オープン」で日本人初となる10代でのトップ10入りを果たし、同月の「ウォルマートNWアーカンソー選手権」で見事、ツアー初優勝を飾った。

 プロ転向時に掲げた目標を、まず一つクリア。有言実行で、日本女子ゴルフ界に新たな歴史を刻み続けている。

 日本人最年少、日本人初……。畑岡選手の歩みはまさに、その名を体現するものだ。「奈紗」という名前は、アメリカ航空宇宙局(NASA)に因んだもの。「前人未到のことを成し遂げるように」と両親が込めた想いに、しっかり応える人生を歩んでいる。

 茨城県で生まれ育った畑岡選手は、小学生の頃、地元の野球チームに所属していた。だが、ゴルフの練習に出掛ける母に連れられ、遊び感覚でゴルフボールを打ち始めると「上手く当たったらボールが真っ直ぐ飛んでいくのが、すごく楽しくて」と熱中。「女の子は将来プロになるのが厳しい世界だと思って」と、野球は1年ですっぱり卒業した。

 必ず部活動に所属しなければならなかった中学時代は、「ゴルフのいいトレーニングにもなる」と陸上部に所属。夏になると遅い時では午後7時頃まで部活があったが、夕食を済ませた後で練習場へ向かい、2時間ほどゴルフボールを打ち込んだ。

 本格的にプロゴルファーを目指そうと決めたのは、この頃だった。出場する国内外の大会で結果が出始めると、「だんだんプロゴルファーになりたいという気持ちになりました」。よりゴルフに専念できる環境を考えて、高校は通信制を選択。「練習がとにかく好きだったので、練習時間をたくさん取れるし、競技に集中するという面ではすごくいい選択をしたと思います」と振り返る。

「ほとんど毎日クラブを握っていました。練習時間はその日次第。ラウンドをする時は1日がかりになりますし、練習だけの時は5~6時間する時もあれば、1~2時間の時もありました。何時間やらないといけないと決めるのではなく、その時の状態で決めていましたね」

 ゴルフ中心のスケジュールの合間を縫って、オンラインで授業を受けたりレポートを提出したりしていたという。「ずっと練習をしていると、いつの間にか宿題がすごく溜まっていることもありました」と笑うが、畑岡選手にとってはこの選択は前人未到のキャリアを築く上で不可欠だっただろう。

ナショナルチームで学んだコースマネジメントの大切さ、データを通じた客観性を重視

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 高校時代には大きな出会いもあった。2015年に選ばれた日本ゴルフ協会(JGA)ナショナルチームでは、ヘッドコーチを務めるガース・ジョーンズ氏にコースマネジメントの大切さを学んだ。

「いいラインにつければ、高い確率でピンを狙える。どこから狙うのが一番シンプルな狙い方なのか。そういうコースマネジメントの大切さを学びました。アマチュアの試合だと、なかなかグリーンの傾斜がコースマップに記載されていることもないので、自分で水平傾斜機を使ってカップが設置されそうな場所の手前の傾斜を測っていたこともあります。プロはグリーンマップがあるので今はしていませんが、打ったクラブや飛距離を記録しておいたり、自分でスタッツを取ったり、プレーに集中しすぎて凡ミスをしないようにしたり、練習ラウンドでいろいろノートに書き込んでいます」

 ノートに書き込んだデータは試合ではもちろん、練習メニューの作成でも活用。「ゴルフに限らず、何でもデータという時代になってきている。少ない時間で効率よく練習するために、自分の苦手なポイントが数字やデータで目にできれば、そこを重点的に練習もできます」と、データを通じた客観的な目で自分の状態を見極めながら、LPGAツアー3勝、世界ランクトップ10入りという結果と成長に繋げている。

 目標を立てる時も、分かりやすく具体的な数字を盛り込むことが多い。本を読み、独学で身につけた術だが、自分が立てた目標に背中を押されることもある。

 LPGAツアーに本格参戦した2017年。生活拠点をアメリカに移したが、言葉や生活環境、文化の違いなどを経験。ゴルフでも、日本ではドライバーの飛距離が出る方だったが、世界の舞台では平均もしくはそのわずか下。初めての経験に戸惑い、思うような成績を残せずに「不安になることもありました」という。だがこの時、畑岡選手を奮い立たせたのは、プロ転向時に自ら掲げた目標だった。

「言ってしまったからには、頑張らないといけないな、という気持ちになりました」

 これまで日本国内ツアーを経ずに、プロ転向直後からLPGAツアーを主戦場とする例はほとんどなかった。畑岡選手はここでも道を切り拓いたわけだが、なぜいきなり世界を相手に戦うと決意したのだろうか。

「高校生の頃、アマチュアとしてLPGAツアーに出場させてもらった時、自分より2つか3つしか年の変わらないブルック・ヘンダーソンやミンジー・リーがすでに世界のトップで戦っていたんです。そこですごく衝撃を受けたのが一番のきっかけですね。早いうちから高いレベルの選手と一緒にプレーしたいな、という気持ちでアメリカに行きました。彼女たちの存在は大きかったと思います」

 国内でも、渋野日向子選手、小祝さくら選手、勝みなみ選手、原英莉花選手、河本結選手らと同じ1998年度生まれ“黄金世代”のメンバー。ジュニアの頃から知る仲で「同級生にもすごく恵まれています」と刺激を受けている。

アメリカで感じた練習環境の違い「すごく大きな差になることもあるかもしれません」

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 アメリカに拠点を移して感じた、競技環境の差もあった。「一番最初にビックリしたのは、ゴルフ場の環境がすごく整っていることです」と話す。

「芝からボールを打てたり、打つボールも自分が本番で使っているボールを置かせてもらえたり。パッティング用の練習グリーンもアプローチ用の練習グリーンもすごく整っているので、実戦的な練習ができると思いました」

 アメリカでは、市街地にある一般のゴルファーが利用できる練習場でも天然芝が使われていることが多く、ジュニア世代の子どもたちも普段から気軽に芝生や土の上で練習する機会に恵まれている。幼い頃から実戦的な練習を積み上げれば、成長してプロになった時にプレーの引き出しは増えるだろう。それに対して、日本の市街地にある練習場は人工芝のマットを利用している場所が多く、ジュニア世代を含む一般のゴルファーが天然芝で練習するためには遠出をしなければならず、機会は限られてしまう。この違いが、世界を舞台に戦う時に「差」として現れる恐れもある。

「アメリカでは場所を選びながら、いろいろなシチュエーションを考えて練習することができる。日本のようにただマットの上からボールを打っているだけでは、少し難しい局面になった時に対処しにくいこともあると思います。練習する方法次第ですが、すごく大きな差になることもあるかもしれません」

 日本でも、より多くのゴルファーが世界に羽ばたいていけるように、そして生涯スポーツとしてもゴルフを楽しめるように、スポーツ団体が行うゴルフ大会の開催などにスポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金が役立てられている。

 プロ5年目を迎える2020年シーズンは、初戦の「ダイヤモンド・リゾーツ・トーナメント・オブ・チャンピオンズ」からトップ5入りを果たし、順調なスタートを切った。だが、世界中を襲った新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、ツアーは中断。出場を目指していた東京オリンピックも2021年に延期された。プロゴルファーは1月から11月まで長いシーズンを過ごすだけに、自粛期間中にゴルフができなくなった時は「すごく苦しく感じました」と振り返る。だが、7月末からシーズンが再開すると、自然と周囲で支えてくれる人々に感謝の気持ちが湧いてきた。

「中断している間は、改めて試合をできる素晴らしさを感じました。再開後も、スポンサーさんがどれだけ大変な思いをして再開させてくれたのか。感染対策の準備などいろいろな方の協力がないと、ゴルファーという職業は成り立ちません。すごく感謝の気持ちを感じました」

「世界中で優勝を多く重ねながら、世界一の選手になれるように頑張りたいです」

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 ツアー再開後、調子は徐々に上向き、10月に開催された「ショップライトLPGAクラシック」では首位争いを演じた。プロ転向時に掲げた「5年以内にメジャー大会優勝」という目標も、決して夢物語ではない位置にいる。

 弱冠21歳とは思えない落ち着きと懐の深さを持つ畑岡選手。中学で陸上部だった頃、オリンピックに出場するウサイン・ボルト選手の姿に憧れたことがあったという。もし目標とする東京オリンピックが開催され、畑岡選手が夢を叶えて出場すれば、そのプレーする姿に憧れる子どもたちもいるだろう。今度は畑岡選手自身が、ゴルフを始めるきっかけを与える存在になるかもしれない。

「来年の東京オリンピックは大きい目標にはなりますが、東京を迎えるにあたっても、1つでも上を目指して、1つでもレベルを上げていきたい。世界ランキングも1位を目指して、自信を持って大会を迎えられるように、というのが今の目標です。世界中で優勝を多く重ねながら、世界一の選手になれるように頑張りたいです」

 キャリアはまだ始まったばかり。大好きなゴルフを追究しながら、これからも前人未到の偉業を成し遂げていくことだろう。

(リモートでの取材を実施)

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畑岡 奈紗はたおか なさ

1999年1月13日、茨城県生まれ。アビームコンサルティング所属。母の影響で11歳からゴルフを始めると、早々に頭角を現す。中学校では陸上部に所属しながら、部活動を終えた後にゴルフの練習に励み、大会出場を重ねた。2015年に日本ゴルフ協会のJGAナショナルチームに選ばれると、同年の「IMGアカデミー世界ジュニアゴルフ選手権」で個人、団体ともに優勝を飾り、翌年も個人、団体ともに連覇を果たした。2016年に「日本女子オープンゴルフ選手権競技」で史上初のアマチュア優勝、大会最年少優勝(17歳263日)を達成。同年10月、プロに転向し、12月にはLPGAツアーのクオリファイングトーナメントに出場し、翌年の出場権を手に入れた。LPGAツアーでは2018年に「ウォルマートNWアーカンソー選手権」で初優勝し、同ツアーでの日本人最年少優勝記録を更新(19歳162日)。2020年10月現在、LPGAツアーでは3勝を飾っている。日本では、2019年に「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」と「日本女子オープンゴルフ選手権競技」で優勝し、1977年の樋口久子選手以来となる史上2人目の同一年度での2冠を達成した。現在はアメリカを拠点に活動している。

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