インタビュー

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インタビュー

「百聞は一投にしかず」リオ銀メダリストが魅せられた6球から広がる可能性

ボッチャ 杉村英孝選手

初めて出場した大会で3位入賞も「負けたことが悔しくて…」

 近年、「ダイバーシティ」や「インクルージョン」をキーワードとする社会の多様化が進む中、スポーツ界においても、年齢や性別を問わず、また障がいのあるなしに関わらず、みんなが一緒に楽しめるユニバーサルスポーツが注目を集めている。その代表的な競技の1つが、ボッチャだ。

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 イタリア語で「ボール」を意味する言葉から派生したボッチャ(Boccia)は、古代ギリシャの球投げを起源とし、6世紀のイタリアで競技としての原型が生まれたという。20世紀になると、ヨーロッパで重い障がいを持つ人でも参加できる形式に整備され、パラリンピックでは1984年ニューヨーク・アイレスベリー大会から公開競技として採用。重度脳性麻痺者もしくは同等程度の四肢重度機能障がい者を中心に世界で普及し、1988年ソウル大会から正式競技となった。

 競技はバドミントンとほぼ同じ大きさのコートで、男女の区別なく障がいの程度によってクラス分けを行いながら、個人戦や団体戦(2対2のペア戦や3対3のチーム戦)が行われる。ルールは至ってシンプルでジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに向かって、それぞれ赤か青の6個のボールを投げたり、転がしたり、蹴ったり、他のボールに当てたりしながら、ジャックボールに最も近く自分のボールを寄せられた選手(チーム)が勝ちとなる。ボールを投げられなくても、自分の意思が競技アシスタントに伝えることができれば、ランプ(勾配具)やリリーサーという補助道具を使っての参加も可能だ。

 国際大会では障がいの程度により「BC1」から「BC4」まで4つのクラス分けが採用されている。「BC1」は車いす操作が不可で、四肢や体幹に重度の麻痺がある脳原性疾患のみを持つ選手が対象となり、「BC2」は上肢での車いす操作がある程度可能で、脳原性疾患のみを持つ選手が対象となる。「BC3」は最も障がいが重いクラスで、自己投球ができないため競技アシスタントによるサポートによってランプを使用して投球する。「BC4」は筋ジストロフィーなど、BC1、BC2と同等の重度四肢機能障がいのある選手が対象となる。

 日本には1990年代に伝わり、日本代表チームは2008年の北京大会がパラリンピック初出場となった。杉村選手も参加した2016年リオデジャネイロ大会ではBC1とBC2の混合団体で銀メダルを獲得する躍進を遂げた。国内ではパラ競技として強化が進むと同時に、誰もが一緒に競い合えるスポーツとしても認知されつつある。

 2012年ロンドン大会から2大会連続で日本代表「火ノ玉ジャパン」の主将を務めた杉村選手は、高校3年生の時にボッチャと出会い、約20年の競技歴を誇る。先天性脳性麻痺を持つため、静岡市内の施設に入りながら特別支援学校に通った。元々スポーツをしたり見たりすることが好きで、卒業後も身体を動かす機会がほしいと思っていたところ、施設の先生からボッチャを紹介されたという。

「初めてビデオを見た時は、正直『へぇ~』という感じでイメージが沸きませんでした」と笑うが、その1年後に静岡県で初めて大会が開催されることになり、友人に誘われて出場した。練習を始めたのは大会のわずか1週間前だったが、団体戦で3位に入賞。「気軽にできて楽しいスポーツ」と思う一方、負けず嫌いに火が着いた。

「練習していないのに、そんなこと言える口ではないんですけど、負けたことが悔しくて。ボッチャを始めて20年近くになりますが、その時の悔しさが、今でもずっと続けている原動力になっているのかな、と」

 2009年の日本ボッチャ選手権大会で3位になると、翌年には日本ボッチャ協会の強化指定選手となり、同年に中国の広州で初開催されたアジアパラ競技大会で5位に入賞。以降は日本を代表する選手として、国内外の大会で次々と優勝する実力を身につけた。

ボッチャが持つ大きな魅力とは…「自分の意思で動けますし、やりたいことを表現できる」

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 ジャックボールに対していかに自分のボールを近づけられるか。シンプルな競技ゆえに、やりこめばやりこむほど難しさや奥深さが生まれてくる。杉村選手はボッチャが持つ魅力について「ルールが簡単で誰もができるところも1つだし、高い技術や戦略、相手との駆け引きなど、いろいろ楽しい要素がギッシリ詰まっている点も1つ」と話しながら、「自分自身が思うボッチャの魅力は他にもあるんです」と続けた。

「自分の日常生活において、やっぱり1人でできることは限られていて、いろいろ援助が必要です。でも、ボッチャのコート上では自分の意思で動けますし、やりたいことを表現できる。僕の中では自己選択と自己決定ができるスポーツという点が、すごく大きな魅力だと思っています」

 誰かの援助なしに、自分の力で選択し、決定する。いわば、自分を表現する方法の1つがボッチャだという。

「選手は自分の身体とプレースタイルを加味しながら戦います。自己選択と自己決定は6球のボールを選ぶところから始まる。コートの状態や対戦相手を分析しながら、どこで勝負しようか、何球目にどのボールを使おうか、どこで寄せようか、弾こうか……。どんなに障がいが重くても、最終的な判断はすべて選手が決められるところがすごい競技だなと、純粋に思いますね」

 ボッチャでは規定の範囲内であれば、選手それぞれが障がいの特性やプレースタイルに応じて、ボールの硬さや重さなどを自由にカスタマイズできるマイボール制が採用されている。杉村選手は握力が弱いため「柔らかくして握りやすくしています」。中には「自分の感触にすごく合っている」と、2012年のロンドン大会の頃から使い続けているボールもあるという。

 試合で使うのは1セット、赤6球、青6球、白1球の合計13球だ。会場の環境や対戦相手によっても使うボールは変わるため、大会には常に3セット分を持っていくという。練習では様々なボールを試しながら、「このボールは使えるぞ」と大会へ持っていくボールを選抜。試合で使うボールは、競争を勝ち抜いた「レギュラーですね」と笑う。

 ボッチャを観戦する際も、選手それぞれの自己選択と自己決定に注目すると面白いという。

「トップレベルになればなるほど、1ミリを争う戦いになる。その繊細かつ大胆な頭脳戦を見ていただきたいですし、技の凄さや正確無比な投球はもちろん、選手が投げた1球の意図を考えながら見てもらえると面白いと思います。選手目線に立って、自分だったらこうするだろうと考えたり、あの選手はどうするのかなと予想してみたり。結果、選手たちはきっとその予想を超えるプレーを見せてくれるはずなので」

「これからのスポーツ界や地域に、自分が培ってきたものを還元する役割を果たしていきたい」

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 杉村選手にとって今、ボッチャは「生きがい」と呼ぶほど大きな存在になっているという。「ボッチャというスポーツと出会ったことで、自分は人生が大きく変わりました」と話す。

「正直、始めた当初は競技としては考えていなくて、仲間と集まるためのツールという意味合いが強くありました。一歩外に出るのも誰かのサポートが必要なので、何かきっかけがないと行動しづらい現状がある中で、練習をするから集まろうとか、大会に出るから練習しようとか、一歩踏み出すきっかけを作ってくれた。ボッチャを通じて社会と繋がることができたんです。

 ボッチャに出会っていなかったら、他に楽しみがあったのかなとも感じます。ボッチャがパラリンピック競技であるおかげで夢を持つことができたし、競技を続ける中で自分次第で可能性はいくらでも広がることを実感している。なので、自分が活躍することで、同じように障がいを持つ人やスポーツを諦めている人に、可能性があることを伝えていきたいと思いますし、どちらかというと内向的な自分がこう思えるのもボッチャに出会えたからだと思います」

 ボッチャが持つ魅力や可能性を1人でも多くの人に知ってもらうため、杉村選手は「百聞は一投にしかず」を合言葉に、体験会などに参加した時には、なるべく全員にボールを投げてもらうことを心掛けているという。

「ボッチャは観て知ってもらうことも大事ですが、実際の楽しさはやっぱり投げて感じてもらいたいし、投げることで選手の凄さも感じてもらえたらいいなと思っています」

 現役選手でありながら熱心に競技の普及活動を続けるのには理由がある。それは自身の競技生活は様々な「形あるもの、ないものに支えられている」という想いがあるからだ。与えられ、培ったものを還元する。社会にいい循環の仕組みを作ることは、「スポーツ自体が発展していくと思うし、ボッチャの強化や底上げにも繋がる大事なこと」と話す。

「競技活動をするには、やはりお金が必要ですし、その現実は避けることができないと思っています。自分は仕事をしていますが、自己負担だけで工面するには限界があるし、金銭的事情で目標を限定せざるを得なくなったり、活動を諦めてしまう人もいる。そんな中、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金のサポートで、ボッチャ用コートの設置など競技環境が整備されることにより、競技活動が継続できることに日々感謝しています。

 アスリートの発掘・育成や私たちが暮らす地域のスポーツ環境の整備にスポーツくじの助成金が活用されていると思いますが、どういう形であれスポーツができる環境を整えてもらっている、つまり助けてもらっている立場としては、それを還元することが大切。今は現役として結果を残して恩返しすることはもちろん、スポーツの普及や若手の育成など、これからのスポーツ界や地域に、自分が培ってきたものを還元する役割を果たしていきたいと思います」

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 ボッチャと出会い、自分の人生が大きく変わったように、スポーツを通じて誰かの人生が変わるきっかけのバトンを繋ぎたい。杉村選手の真摯な想いは、必ずや次の世代に受け継がれていくはずだ。

(リモートでの取材を実施)

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杉村 英孝すぎむら ひでたか

1982年3月1日、静岡県生まれ。伊東市で生まれ育ったが、先天性脳性麻痺のため小学校から高校までは施設に入りながら、静岡市内の特別支援学校に通う。卒業を目前にした高校3年生の時、施設の先生からボッチャを紹介された。翌年、友人と出場した静岡県内の大会で団体戦3位に入賞し、本格的に競技をスタート。2010年に日本ボッチャ協会の強化指定選手となるとメキメキと頭角を現し、国内外の大会で好成績を収める。パラリンピックには2012年のロンドン大会に初出場し、日本代表の主将を務めると、団体戦7位に入賞。2016年のリオデジャネイロ大会でも主将を務め、団体戦銀メダルの快挙を遂げた。クラス分けはBC2クラスで、世界ランキング2位(2021年2月時点)。

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