インタビュー

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ユメミルノート vol.3|夢を与える唯一無二の存在へ 髙橋藍が目指す未来
バレーボール 髙橋藍選手
闘い抜くアスリートたちはこれまでにどんな夢を掲げ、叶えてきたのでしょう? そして、その夢のためにどのような努力をし、失敗や苦労を乗り越え、どんな人やものに支えられてきたのでしょうか。そんなアスリートの夢を紐解く連載「ユメミルノート by スポーツくじ」。第3回はバレーボールの髙橋藍選手が登場。
髙橋選手はイタリアのプロリーグ・セリエAで活躍後、2024年より国内トップリーグである大同生命SVリーグのサントリーサンバーズ大阪に加入。日本代表としてはもちろんのこと、プロリーグでも目覚ましい活躍を続け、バレーボール界に旋風を巻き起こしています。
チームの本拠地であるサントリー箕面トレーニングセンターを訪れると、2024-25シーズンの厳しい戦いの最中にも関わらず、髙橋選手は温かい笑顔で迎えてくれました。幼少期に思い描き、叶えてきた夢。そして、活動の原動力になっている「バレーボール選手を夢見る子どもを増やしたい」という現在進行中の夢、スポーツくじの助成についてもお話を伺いました。


髙橋藍選手をバレーボールに導いた!? 〇〇〇〇カード
練習終了後に「最近のお気に入りなんです」と、ココアを片手に取材場所に現われた髙橋選手。チームの中心メンバーとしてはもちろん、練習中のBGMを選曲する「音楽係」を担当する彼は、サントリーサンバーズ大阪のムードメーカーらしい笑顔をのぞかせます。
弱冠23歳にして国内外のバレーボールチームで活躍するほか、多くのメディア出演でも注目を浴びている髙橋選手は、多くのファンや観客に夢を与え続けています。2024年に行われたパリ2024オリンピックでの活躍に、心躍らせた方も少なくないのではないでしょうか。

髙橋選手が幼少期に思い描いた夢が、「バレーボール日本代表としてオリンピックに出場すること」でした。小学5年生の頃にテレビで観たバレーボール選手の姿に憧れ、東京2020オリンピックの開催が決定した6年生の時には「絶対に日本代表になる」と決意をしたのだそう。
そんな彼をバレーボールの世界に招き入れたのは、地元のバレーボールチームを率いていた片岡聡さんでした。チームには実兄でサントリーサンバーズ大阪のチームメイトでもある髙橋塁選手が所属していました。兄と共に髙橋選手が練習に足を運ぶと、片岡コーチは「思いもよらぬ方法」で彼をチームに誘ったのだと当時を振り返ります。
「僕は当時ポケモンカードが大好きだったんですよ。『バレーを始めるならカードをあげるよ』と片岡コーチに言われチームに入ることを決めました。実は、ポケモンカードにつられてバレーを始めたんです(笑)片岡コーチ自身が楽しい人柄であるのはもちろんのこと、楽しんでプレーすることの大切さを教えてもらいました」

苦難の時期を乗り越えて叶えた「春高バレー優勝」
小学校卒業後は地元・京都市内の中学校に進学。当時はまだ小柄な体格だった髙橋選手はリベロとして活躍し、全国大会に出場。その後、東山高等学校に進学し、中高ともに兄の塁選手と肩を並べてプレーしていました。
19歳で日本代表入りを果たした髙橋選手は学生時代から華々しい成績を残してきたのかと思いきや、そうではありません。高校1、2年生の時は思うような結果に結びつかず、苦難の時期を過ごしていたといいます。京都府の強豪校・洛南高等学校に勝つことができず、全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)への切符を手にすることができなかったのです。

そんな髙橋選手のターニングポイントとなったのは、東山高校のコーチ、監督を務めた松永理生さんとの出会い(2024年11月に監督を退任、2025年2月にサントリーのアシスタントコーチに就任)。3年生に進級した2019年、松永さんがコーチに就任するとチームの雰囲気が一変し、より自律的に動くチームへと成長していったといいます。同時に髙橋選手の試合に対する向き合い方も変わっていきました。
「1、2年生の頃は、自分のプレーに自信を持てず、緊張から良いパフォーマンスを出せないこともありました。結果が出ないことがとにかく悔しかった。
でも、松永コーチと共に練習に励む中で、そうした悩みがちっぽけなことだと気づかされたんです。試合でうまくいかなければ、また練習すればいい。そうすれば、次の試合で成長したプレーを見せることができる。そういうメンタリティを持てるようになってからは、気持ちが楽になるのと同時にパフォーマンスも上がっていきました」
チームのキャプテンに就任し、苦難の時期を乗り越えた髙橋選手は同年、夢を掴みます。同年に開催された春高バレーに出場し、見事優勝。自身は最優秀選手を受賞したのです。

「それまでの人生で一番嬉しかった瞬間でした。プレッシャーからバレーを楽しめない時期もあったのですが、優勝後は楽しんでプレーする気持ちを取り戻せましたね」
春高バレー直後の2020年2月、髙橋選手は東京オリンピックを控えた2020年度日本代表登録メンバーに選出。21世紀生まれの選手としてはじめてとなるバレーボール日本代表選手になりました。19歳にして、幼少期からの夢を実現させたのです。

2つの夢を実現し、世界トップのイタリア・セリエAに挑戦
日本体育大学に進学後は1年目から試合に出場し、全日本バレーボール大学男子選手権大会(全日本インカレ)で準優勝。翌2021年には延期となった東京2020オリンピックに日本代表として出場、続くアジア選手権でも中心メンバーとして活躍し準優勝に貢献しました。
幼少期からの夢であったオリンピック選手になり、世界の大舞台で活躍。バレーボール選手としてのキャリアを着実に積み重ねる中、髙橋選手は大きな決断をします。それが、バレーの強豪国イタリアのプロリーグであるイタリア・セリエAへの挑戦でした。高校在学時に恩師・松永コーチから石川祐希選手の海外挑戦の話を聞いたことが、この決断を後押ししました。
「言語の壁もありましたし、自分のプレーが通用するかという不安もありました。でも、実際に挑戦してみなければ世界までの距離は測れない。その壁を乗り越える過程で大きく成長できると信じていました」

2021年にパッラヴォーロ・パドヴァへ入団。2023年には同じくイタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァへと移籍し、イタリアの地で3シーズンを過ごします。
東京2020オリンピック出場時は19歳だった髙橋選手。当時はブラジルやポーランド、イタリアといった強豪国との対戦には気持ちが臆する場面があったといいます。しかし、セリエAでの経験は、その意識を大きく変えました。
「セリエAではブラジル代表のリカルド・ルカレッリ・ソウザ選手やポーランド代表のウィルフレド・レオン選手など、世界のトップ選手と対峙することが日常でした。それは、決して特別なことではない。
そうした環境に身を置いたことで、日本代表として戦う時の心構えが変わりましたし、自分のバレーが確かに通用するという自信になりました。僕自身はもちろんのこと、この経験を日本代表や所属チームに還元し、日本のバレーのレベルアップに貢献していきたいです」

挑戦に「失敗」はない 決断の積み重ねが自信をつくる
身長188cmの髙橋選手はバレーボール選手としては小柄であり、大柄な選手が名を連ねるセリエAでは、その体格は大きなハンディキャップとなります。加えて、慣れない異国の環境。なぜ、逆境に負けず、高い目標に向かって常に挑戦を続けることができるのでしょうか。そう問いかけると、小学生時代「21対0」で惨敗した試合の思い出を話してくれました。
「試合の悔しさは今でも鮮明に覚えていますし、親からもいまだに『21対0で負けたこともあったよね』といじられることもあります(笑)でも、そういった経験をしているからこそ、どんな時もあきらめず、挑戦することができるのだと思います。そんな経験をした僕が日本代表になり、海外に挑戦することができた。先のことなんて誰にもわからないんです」

髙橋選手は繰り返し「自信」という言葉を口にします。自信を持つことが重要。誰もが頭ではわかっていながらも、自信を持ち続けることは決して簡単ではありません。彼はどのように自信を獲得してきたのでしょうか。
「自分が考えたこと、人に勧められたこと、きっかけはどうあれ最終的に決断するのは結局自分じゃないですか。自分の『やりたい』という気持ちを大事にしながら決断を積み重ねることが、自分を信じる材料になるのだと思います。
成功か失敗かは重要ではないんですよ。どんな経験でも、気持ちの持ち方次第ですべてが成長につながっていくのではないでしょうか」


「夢を与えられる存在になりたい」 唯一無二のアスリートを目指して
春高バレーでの優勝、日本代表としてオリンピックへの出場。2つの夢を実現させた髙橋選手が目指すのは、バレーボール選手を「夢のある職業に変えていくこと」。そうした思いから彼はメディアへの出演やスポンサー企業との活動、兄・塁選手と運営するYouTubeチャンネル『らんるい』の活動など、コート外での活動にも精力的に取り組み、活躍の舞台を広げています。
バレーボール選手の枠を飛び越え、自身の可能性を広げ、その姿を次世代を担う子どもたちに示していく。その先にはバレーボールの競技人口を増やし、競技レベルを向上させていきたいという思いがあります。
「バレーボール選手としてではなく、一人のアスリートとして、唯一無二の存在になりたいですね。子どもたちの目はとても純粋です。選手の姿を見て『自分もこうなりたい』と夢を持つことができる。プレー中だけではなく、そんなきっかけを与えられる存在になることが今の僕の夢です」

バレーボール界ではスポーツくじの助成金を活用し、長身の小中高生を発掘、世界に通用するアスリートとして育てるための合宿を開催するなど、ジュニア育成・強化の機運も高まっています。髙橋選手は自身の経験を振り返りながら、ジュニア世代の育成環境についても思いを語ってくれました。
「幼少期に一番大切なことはバレーボールを楽しいと思えること。僕自身、片岡コーチと出会ったことでバレーの楽しさを知りました。そうした出会いに恵まれてなければ、上達はしなかったと思います。
所属チームの監督からの指導だけでなく、例えば代表選手から直接指導を受けられるような機会があれば、子どもたちにとってより良い環境になるのではないでしょうか。僕もそういった環境作りにも貢献していきたいです」
バレーボールの普及・発展のためにも、スポーツくじの収益は役立てられています。
長身選手発掘育成合宿などのエリート育成に加えて、バレーボール教室などの草の根の活動など、スポーツくじの助成金が広く役立てられており、髙橋藍選手ら日本を代表するバレーボール選手の輩出を後押ししています。
スポーツくじの助成金は、バレーボールをはじめとした日本のスポーツの国際競技力向上、地域におけるスポーツ環境の整備・充実など、スポーツの普及・振興のために役立てられています。

(取材:2025年1月)
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髙橋 藍たかはし らん
2001年9月2日生まれ、京都府出身。兄の影響で小学2年生からバレーボールを始める。東山高校3年時にキャプテンとして活躍し、春高バレー優勝。自身も最優秀選手賞に輝いた。直後の2020年2月に日本代表メンバーに選出されると、翌2021年には東京2020オリンピックに出場。全試合にスタメン出場し、29年ぶりのベスト8進出に貢献した。2021年からイタリア・セリエAで3シーズンプレーし、パリ2024オリンピックでも2大会連続のベスト8進出に貢献。2024-25シーズンは大同生命SVリーグのサントリーサンバーズ大阪でプレーしている。
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