インタビュー

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インタビュー

甦った風を切る感覚と身体を動かす喜び パラカヌー界の星が語る原点(2/3)

パラカヌー 瀬立モニカ選手

パラカヌーに転向して2年でリオデジャネイロパラリンピック出場も「あまりにも情けなくて恥ずかしくて」

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 パラカヌーには、パドルを左右交互に漕いで進む「カヤック」と、パドルで左右どちらか一方を漕ぐ「ヴァー」の2種目があるが、いずれも200メートルのタイムを競うもの。「カヌーは『水上のF1』と呼ばれていて、誰が一番速くゴールに着くかを競うシンプルで分かりやすい競技。純粋にスピードを楽しんでもらいたいと思います」と瀬立選手は話す。

 新たにパラカヌー選手としてスタートを切った瀬立選手だが、カヌー経験者とはいえ、体幹機能障害と両下肢麻痺で下半身を思い通りに動かせない。カヌーは腕で漕ぐ競技に思われるが、「足の踏ん張りからくる身体の捻転を使って上半身にパワーを繋げる全身スポーツなんです」。それまで足で操作していた舵の代わりに、今度はパドリング技術で方向を定めなくてはならず「ものすごく苦労しました」という。

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 コーチやトレーナー、メカニックら競技生活を支えてくれる「チームモニカ」の仲間と試行錯誤を繰り返した。コーチから受けるアドバイスを頭で理解しても、身体が動かせないことがある。そんな時、トレーナーから「自分の身体を一番理解しているのは自分でなければいけない」というアドバイスをもらった。

「自分の身体と向き合い、理解することからスタートしました。こういう時は身体がこう反応する、という事例を積み上げて、対応策を考える。その繰り返しです。健常者でオリンピックに出るトップ選手と話をすると、やはり自分の身体と向き合って理解を深めている。パラリンピックを目指すようになって、こういう思考が身についたのは大きな財産です」

 パラカヌーを始めて、わずか2年後にはリオデジャネイロパラリンピックに出場。8位入賞も「ラッキーが重なっただけ」。目標は達成したが、世界との差を思い知らされた。

「トップから10秒くらい離されてのゴールは、あまりにも情けなくて恥ずかしくて。東京では絶対にこんな思いはしたくない。この悔しさが原動力になりました」

 まずは、在籍する筑波大学で練習環境の整備に努めた。基礎体力や筋力を上げるため、授業での学びも生かしながら自分で練習メニューを組み立て、リオデジャネイロパラリンピックからの2年間は下地作りに費やした。3年目の2018年は夏に休学し、石川県小松市にある木場潟カヌー競技場での合宿でカヌーのスキルアップに打ち込んだ。

「最初の2年が畑を耕し、種を蒔く作業だとしたら、2018年からは畑に肥料を撒きながら、本格的に野菜を育ててきた感じですね。そして今年、その野菜を収穫する形です」

 リオデジャネイロで受けた刺激もまた、東京への原動力となっている。開会式で浴びたスポットライトの明るさと会場を包む雰囲気に、言葉には表せない感動が沸いた。「ちょっと泣きそうになってしまうくらい。この光を浴びるためにいろいろな方に助けられたと実感し、すごく感動したのを覚えています」。そして、地元選手がメダルを獲った時に「地響きのような大歓声を初めて生で聞いて、自分も東京ではこうありたいと思いました」と目を輝かせる。

 選手村で得た新たな気づきも大きかった。車いすで暮らすようになり、日常に違和感を抱いていたが、選手村では障がいを持った人が大多数で、健常者が少数派。いつもと状況が逆転していた。

「それまでの概念がひっくり返されました。普通ってなんだろう。自分がいる場所でマジョリティとマイノリティが変わるのであれば、自分の個性を大切にすることが一番大切なんじゃないか。そう思うと一回りも二回りも大きな自信が沸いてきました」

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