インタビュー
インタビュー
想いをつなぐ、今と未来のなでしこ達 #女子サッカーを文化に
「女子サッカーがブームではなく文化になっていけるように」と語った宮間あや選手。この言葉の裏には、好きなサッカーを続ける、そのシンプルなことに苦労をしつづけた彼女自身の経験があります。試合に勝つことだけでなく、サッカーそのものをあきらめず、強い意志をもって取り組んでいる、女子サッカーの選手たち。その意志は、空間を超え、時間を超え、未来のなでしこをめざし全国各地から中学生が集まるJFAアカデミー堺の少女たちにも引き継がれています。宮間あや選手やJFAアカデミー福島1期生の山根恵里奈・菅澤優衣香選手、JFAアカデミーの生みの親である川淵三郎氏へのインタビューから、「スポーツを文化として根付かせる」ことの意味を考えていきます。
―― インタビュー記事内に、上記ムービーの対になる「JFAアカデミー堺の少女たち篇」も公開中です。ぜひご覧ください。
宮間あや選手インタビュー
ボールが好きで、仲間が好き。だからずっと一番、サッカーが好き
――サッカーとの出会いについて、お聞かせください。
宮間 最初にボールを好きになりました。丸くてコロコロと転がるボール。それは何のボールでもよかったのだと思います。それからサッカーの練習をするようになると、足で扱えることが面白くて、みんなより少し上手にできたことが嬉しくて、得意げな気持ちになって。その時期から成長するにしたがって、人と一緒に何かをするのが好きになりました。チームメイトだけでなく、対戦相手もいるからサッカーができるのであって、そういうみんなとサッカーというゲームを創り上げていく感動が、私の心を離しませんでした。
――宮間選手が10代の頃は、どのような環境でサッカーをやっていましたか?
宮間 小学校に入学した時から、地元・千葉県のサッカークラブで活動していました。中学2年生になると、読売ベレーザ(現在の日テレ・ベレーザ)の中学・高校生チームにあたる「メニーナ」に入り、高校1年生の年にはベレーザに登録されてL・リーグ(現在のなでしこリーグ)の試合にも出場しました。九十九里浜の自宅から東京都稲城市の練習場まで、往復7時間かかりました。千葉での学校生活と東京でのサッカー生活を両立させようとすると、寝る時間を確保するのに苦労しました。
たったひとつの行動ですべてを失うかもしれない、という切迫感
――「サッカーを辞めたい」と思うことはありましたか?
本気で辞めたいと思ったことは一度もありません。ただ、先ほど話したように、ベレーザの練習場に通う時間が負担になったことなどが理由で、高校2年の時に私はベレーザを退団しました。それから私は、高校の男子サッカー部の練習に交ぜてもらうようになったのですが、選手としては登録できず、試合にも出られませんでした。だからこの時は、「私のサッカー選手としての人生は、このまま終わってしまうかもしれない」と漠然と感じていました。そのような私の状況を心配してくださった周囲の方々のおかげで、岡山湯郷Belleに選手として所属することができました。私は千葉県在住の高校生のまま、週末だけ岡山湯郷Belleで活動することになったんです。
――当時から将来を嘱望された宮間選手でさえ、「サッカーをやる場所」を見つけるのに苦労していたということに、あらためて驚かされます。そのような環境に身を置いた日々、どんなことを感じていましたか?
女子サッカーが世の中の話題になることは、とても少なかったと思います。L・リーグに加盟しているチームですら、「いつ支援が打ち切られるか分からない」「ある日突然、解散してもおかしくない」という不安定な状態でした。先輩たちは、常にそういう危機感を背負いながらサッカーに接していました。私も先輩たちの姿を見て、同じ意識を強く持ちました。たとえば、たったひとつでも気を抜いたプレーをしたり、追いつけるかもしれないボールを追うのをあきらめたりしただけで、チームの敗戦につながり、ひいては女子サッカー界の衰退につながるのではないかという危機感です。そのように、たったひとつの行動ですべてを失うかもしれない、という切迫感は、今も私の中にあります。
なでしこジャパンは、勝つために選ばれた集団
――準優勝を遂げた2015年のカナダ女子ワールドカップもそうだったように、なでしこジャパンからはいつも、結束力の強さが伝わってきます。何か理由はありますか?
宮間 まず、日本代表は勝つために選ばれた集団ですから、一人ひとりの目的がズレることはありません。なでしこジャパンは、カナダ女子ワールドカップまで何年もの間、大幅にメンバーが変わることなく活動を続けてきました。同じ目的を持った選手同士が、長い時間をかけて、細かいプレーの一つひとつにまでこだわって話し合い、選手同士の連携を積み上げることができました。そればかりか、お互いに言葉を交わさずとも、表情を見ているだけで相手の気持ちが分かるほど、お互いのことを感じ合えていたと思います。私は、そんなふうに分かり合える代表メンバーが集合するたびに、ほっとして、なつかしい気持ちになるほどです。
――2016年2〜3月には、大阪でリオデジャネイロ五輪予選が開催されます。この予選と、さらにその先に向けて、新しいなでしこジャパンが目指したいチームの方向性は?
宮間 これまで積み上げてきた連携力を発展させ、予想を裏切るプレーを積み上げたいです。対戦相手の予測できないプレー、味方も予想していないようなプレーを誰かが仕掛けたら、みんながそれに呼応して連携する。そういうサッカーを積み上げたいです。五輪予選は自国開催なのでプレッシャーもありますが、応援してくださる方々の力を自分たちのパワーに変えて戦いたいです。
新しい世代の良さを活かしたなでしこジャパンへ
――ご自身の経験をもとに、若い選手や新しい世代のなでしこたちに伝えていきたいことはありますか?
宮間 「この経験を伝えたい」という明確なものは、実はあまりありません。時代によって、構成するメンバーの特徴によって、なでしこジャパンというチームの色も形も違って良いのではないかと思っています。私たちぐらいの世代までは、活動するための場所や資金、仲間や競争相手などが限られていて、女子がサッカーをやることに対する世間のイメージも今とは違っていたと思います。「世界を目指す」と同時に「日常プレーできる環境を失わない」ことが、私たちまでの世代にとって大事なことでした。ですが、今の状況は当時より変化していると思いますので、今の若い選手たちに「私たちの頃はこうだったよ」という話をして型に嵌めても、彼女たちの良さを引き出せないと思っています。これからのなでしこジャパンには、新しい世代の選手たちの良さを全面に出したチームになってほしいと思います。世界につながる道を、小さい頃からイメージしてサッカーに取り組んできた世代ですので、彼女たちの持つ長所や自分たちが培ってきたものを、チーム作りの段階から活かしてほしいと思います。
次の世代へつながる夢
「人を大事にするように、サッカーを大事にしてほしい」
――私たちスタッフは、JFAアカデミー堺の中学生女子たちを取材してきました。彼女たちは宮間さんをはじめとした先輩たちに憧れ、将来なでしこジャパンに入ることを夢みて日々練習を重ねています。今、彼女たちの映像を宮間選手にも見ていただきましたが、どんなことを感じましたか?
宮間 アカデミーの選手たちと接する機会は、これまでありませんでした。映像を見ていて、みんなきれいな目をしていると思いましたし、何より15歳であそこまで自分の言葉でしっかり考えを伝えられることに驚きました。私自身は、とにかくボールが蹴れたら嬉しいというだけの中学生でしたので、彼女たちのようにはとうてい話せなかったと思います。
――JFAアカデミーのような整備された環境ができたことについて、どんなことを考えていますか?
宮間 もちろん環境が整うことはいいことだと思います。アカデミー生たちは親元を離れて寮生活をするという決断を中学入学前にしているわけですから、それだけ高い目標を持っているのだということも伝わってきます。彼女たちの映像を見た私も、今日からまた頑張ろうという気持ちになりました。でも、そんなアカデミー生の中でも、大きな夢を叶えられるのは一握りの選手だけだと思います。ですから、思い切りサッカーに打ち込んでほしいという気持ちもありますが、同時に「サッカーだけ」しか残らない3年間にはしてほしくないと思います。
――JFAアカデミー堺の少女たちに、宮間さんから伝えたいメッセージは何ですか?
宮間 サッカーはあなたのことを裏切ったりしません。みなさんはこれからの人生で、成功も失敗もたくさん経験すると思います。私もたくさんの失敗や、悔しい敗戦を経験してきました。それでも私は、サッカーというものを雑に扱ったことはありませんし、サッカーに対して誠実でない行いをすることもありませんでした。たとえ失敗しても、悔しい結果を突きつけられても、サッカーと真剣に向き合うことをあきらめなければ、サッカーは必ずあなたの心に大切なものを残してくれます。だからみなさんも、人を大事にするように、サッカーのことも大事にしてください。
必ず実現するとは限らなくても、向かっていく人生は悪くない
――女子サッカーの未来に向かって、次の世代につなげたいものはありますか?
宮間 多くの少女や若い選手たちにとって、女子サッカーがあこがれのスポーツになれるような行動をしていきたいです。そして、現役の選手が環境を整備することは難しいですが、次の世代の選手たちが「サッカーをやっていてよかった」と思ってもらえるような環境が整って、人々が当たり前のように女子サッカーのことを話題にするような世の中になってくれたら良いと思います。
――女子サッカーを世の中に根づかせるためには、ご自身に、そして世の中に何が必要ですか?
宮間 その答えが見つかっていれば、もうみんな実践していると思います。女子サッカーを文化として根づかせることは、お金の力や誰かの力を使って一気にできることではないと思っています。実際、そんなに簡単なことではなく、時間はとても掛かるでしょう。長い時間を掛けて、少しずつ築き上げるものだと思っていますので、一人ひとりが「今できること」をやり続けることが大事だと思います。私たち現役選手にとって「今できること」とは、サッカーを大切にして、サッカーと真摯に向き合うこと。それは必ずやり続けなければなりません。努力すれば必ず実現するというものではありませんが、そこに向かっていくという人生も悪くないと思います。
全国のグラウンドでtotoの看板を見るたびに、支援を実感
――スポーツ振興くじ“toto”は、JFAアカデミーをはじめ、女子サッカーの選手、大会運営、施設整備などに対して助成しています。助成が役に立っていると実感することはありますか?
宮間 個人としてアスリート助成という形で支援していただいていることを、たいへんありがたく思っています。そのことはもちろん、練習試合などで地方に行った時、「このグラウンドはtotoの助成によって作られています」という看板を目にする機会が多いです。かつて女子サッカーは、芝生や人工芝ではなく、土のグラウンドで練習するチームも多かったので、totoの看板を見るたびに支えていただいていることをすごく実感しています。
――totoは女子サッカー以外にも、様々なスポーツに対して助成しています。それについてどのような感想を抱いていますか?
宮間 個人ではとてもまかないきれない莫大な費用をスポーツ界に活かしていただいて、競技力の向上に間違いなくつながっていると思います。totoの助成は、私たちアスリートにとって、すごく大切なものだと思っています。
――totoを購入することで女子サッカーをはじめ様々なスポーツ全般を応援しているスポーツファンに向けて、メッセージをお願いします。
宮間 たくさんの方がtotoを買うことを通じて応援してくださるからこそ、私たちは存分に競技に打ち込めていると思います。いつか女子サッカーも、男子サッカー同様、スポーツ振興や助成の力になっていけるように頑張っていきたいと思います。
宮間 あやみやま あや
1985年1月28日、千葉県大網白里町(現在の大網白里市)出身。岡山湯郷Belle所属。ポジションはMF。2001年、高校2年生で岡山湯郷Belleに入団。2009年からアメリカ女子プロサッカーリーグで活躍後、2010年9月より岡山湯郷Belleに復帰。ワールドカップには2003年より4大会連続出場し、2011年の優勝に大きく貢献、2015年はキャプテンとして準優勝を勝ち取った。2015年、アジアサッカー連盟による年間最優秀女子選手に選出。2011年、2012年と合わせた3度目の選出は史上最多。
山根恵里奈選手、菅澤優衣香選手 インタビュー
男子のクラブで活動した小中学生時代
――お二人は日本サッカー協会初のエリート育成機関・JFAアカデミー福島の1期生として高校時代の3年間を過ごしましたが、アカデミーに入校する前はどんな環境でサッカーをしていましたか?
菅澤 小学生の時は地元のクラブチームで、男子に交じって女子ひとりでやっていました。中学に進む時、私は「女子サッカー」というカテゴリーが存在することを知らず、やはり男子のクラブで活動していました。中学生といえば思春期に差し掛かる時期ですから、チームメイトの男子たちが次第に私を避けるようになって…。「私はもうサッカーを辞めたほうがいいのかな」と思いかけた頃に、JFAアカデミー福島・女子が創設されることを知りました。
山根 私も小学生の時は男子中心のクラブでしたけれど、女子が5人ぐらいいました。中学3年間は広島の女子サッカースクールで週1回、男子中心のクラブで週2回活動していました。子どもの頃に男子に交じってサッカーをやることはよい面もあって、私の場合は中学時代にスピードやパワーの面で勝る男子と一緒にやる機会があったおかげで、女子同士でプレーした時に余裕ができたのではと思います。
――JFAアカデミーに入りたいと思った強い動機は何ですか?
菅澤 女子の初代ヘッドコーチの今泉守正さんから直接声をかけていただいたことです。サッカーに集中できる環境について詳しく説明していただき、「将来の代表入りのチャンスも開けると思うよ」と聞いて、魅力を感じました。
山根 私は入校案内のパンフレットを読んですぐに「行きたい」と思いました。親は、最初は反対していましたが、私が「どうしても行きたいんだ」と説得すると、「親が子どもの夢をつぶしてはいけない」と、協力してくれました。ただし「行くなら将来、絶対に代表選手になれ。お盆と正月以外は実家に帰ってくるな」と強く言われました。
地域に支えられ、色々な経験ができたアカデミーでの生活
――JFAアカデミーだからこそ得られたものは何でしょうか?
山根 サッカーの技能だけでなく、様々な教育カリキュラムが充実していたので、いろんなことにチャレンジできました。
菅澤 普通の高校生とは違う経験ができたと思います。ボイストレーニングなどもありましたね。
山根 人前で、自信をもって、感情豊かに自分を表現するという狙いがあったと思います。その成果として、みんなでアカペラで歌を歌いました。
――女子サッカーはいま、日本に文化として根づくために何ができるかを考えていることと思います。JFAアカデミーは、地域に根ざした活動も行っていますね。
菅澤 そうですね。田植え、稲刈り、餅つきなど、季節ごとに地域の方々の生活に触れ、体験させていただきました。夏祭りやクリスマス会など、地域の方々を私たちの寮にお招きしてイベントを開くこともありました。家族のように接することができて、とても印象に残っています。
山根 私はアカデミーを卒校した後も、同じく福島の楢葉町を拠点とする東京電力マリーゼに進みましたので、福島には6年近く暮らしていました。ところが2011年、私がちょうど足首の手術を終えた頃に震災があり、チームは活動を休止。私はこの先自分がどうなるか分からない状態で、避難先でリハビリをしていました。その頃、ボランティア活動で楢葉町の役場を訪れる機会がありました。お世話になった方たちに会って、色々と思い出話をする中で「また応援に行くからね」と言われた時に、私はサッカーを辞めてはいけないんだ、と強く思いました。本当に地域の方たちに支えていただきました。
寮のルールについて、川淵キャプテンに直談判
――1期生ということで、苦労したこともあったのではないでしょうか。
二人 ありましたね(笑)。
菅澤 寮内のルールづくりとかも、最初だったのでいろいろ苦労しました。
山根 川淵(三郎)キャプテン(=現・日本サッカー協会最高顧問)に直談判に行ったこともありました。
菅澤 携帯電話を全面使用禁止にすると言われた時ですね。
山根 有害サイトがたくさんあるからダメ、という理由でしたが、私たち生徒側も一方的に従うだけじゃなく、ちゃんと交渉しようと決めまして。
菅澤 結局彼女(山根選手)が生徒を代表して川淵キャプテンのところへ行くことになったんです。
山根 「離れた家族や学校の友だちとのコミュニケーションのために使っています。悪用はしません」と、しっかり伝えました。
――JFAアカデミーは福島に続き熊本宇城(男子のみ)、そして堺、今治にも開校しました。サッカー少女たちにとって、どういう場であってほしいですか?
菅澤 多感な時期をすごす場所ですから、サッカーの技能はもちろん、一人の人間として成長できる場であってほしいなと思います。
山根 将来の道はそれぞれが決めることですが、選考試験を通過して、選ばれてアカデミーにいるということをしっかり考えながら毎日をすごしてほしいと思います。私は1期生だったので、絶対に代表に入らなければいけないと思っていました。今のアカデミー生たちも、選ばれた人材としての責任を果たすつもりで励んでほしいです。
totoのおかげで環境が整えられていることを広めていきたい
――最後に、totoがJFAアカデミーや女子サッカーをはじめ、様々なスポーツを支援していることについて、どのような考えを持っていますか?
菅澤 私たちなでしこジャパンの選手はアスリート助成の対象にも選んでいただいているので、本当にありがたいと感じています。
山根 totoの売上がグラウンド整備などの支援につながっていることを知らない選手も結構いるのではないかと感じます。totoがスポーツを育ててくれているということを、広めていきたいです。
菅澤 totoを通じて様々なスポーツを応援してくれているみなさんに、本当にありがとうございますと、この場を借りて感謝の気持ちをお伝えします。普段女子サッカーを応援してくれているファンの方たちにも「totoのおかげでこういう環境が整えられているんだよ」ということを伝えていきたいです。また、くじとしても高額当せん金が魅力ですよね。totoは最高5億円、BIGは最高6億円!※ このインタビューを読んで「私も買ってみようかな」と思ってくれた方、6億円を目指してがんばってください!
※キャリーオーバー発生時。通常totoは1等最高1億円、BIGは1等最高3億円。当せん金は、売上金額や当せん口数によって変動します。なお、特別開催回は除きます。
山根 恵里奈やまね えりな
1990年12月10日生まれ、広島県広島市出身。ジェフユナイテッド市原・千葉レディース所属。ポジションはGK。2003年、中学1年で広島大河FCレディースに加入。2004年にはJFAによる将来の代表GK育成を目的とした「スーパー少女プロジェクト」に選出。2006年にJFAアカデミー福島第1期生として入団し、2009年より東京電力マリーゼ、2012年よりジェフユナイテッド市原・千葉レディースに加入。2015年ワールドカップでは対スイス戦に出場、無失点で勝利に貢献した。
菅澤 優衣香すがさわ ゆいか
1990年10月5日生まれ、千葉県千葉市出身。ジェフユナイテッド市原・千葉レディース所属。ポジションはFW。2006年にJFAアカデミー福島第1期生として入団。高校3年時の2008年にはなでしこリーグ特別指定選手としてアルビレックス新潟レディースに選手登録され、公式戦に出場。卒校後は2009年より新潟レディース、2013年よりジェフユナイテッド市原・千葉レディースに加入。2015年ワールドカップでは4試合に出場、対カメルーン戦でゴールを決めた。
JFAアカデミー堺スクールマスター 川淵三郎氏 インタビュー
厳しい環境下でも、ひたむきにサッカーに打ち込む姿に感動
――川淵さんが日本サッカー協会会長に就任した当初から、女子サッカーの環境が次々に整備されていきました。
2003年にアメリカで開催された女子ワールドカップを、現地で視察しました。フェアに、ひたむきに、最後まであきらめずにプレーする彼女たちの姿に胸を打たれた私は、日本サッカー協会として、彼女たちの気持ちにしっかり応えたいと思い、彼女たちを前に「協会への要望があったら遠慮なく言ってほしい」と話しました。すると選手たちから、「代表合宿参加のための交通費を各自で立て替えるのが苦しい。協会に前払いしてほしい」と言われ、その時、あらためて彼女たちが置かれている環境の厳しさを思い知らされました。
当時のL・リーグ(現在のなでしこリーグ)には田崎真珠とYKK東北が企業チームとして参加していましたが、他の多くの選手たちはアルバイトをしながらサッカーに打ち込んでいたのです。女子代表は彼女たちの自己犠牲で成り立っている。私は「すぐに改善する」と、その場で選手たちに約束しました。そして、アテネオリンピックの時には、宮本ともみ選手にベビーシッターを帯同させ、ママになっても代表として活躍できるような体制を築きました。
また、中学生年代の女子チームが少なく、13〜15歳の女子サッカー人口が極端に減ってしまうことも分かったので、U-15女子チームの新規創設に対する補助金を協会が用意することを決めました。
サッカーの技術だけではない、「真の世界基準の人材」を育てたい
――2006年にはJFAアカデミー福島を設立しました。その背景にあった思いを聞かせてください。
JFAアカデミー福島からは山根恵里奈選手、菅澤優衣香選手をはじめ、なでしこジャパンの選手も誕生していますが、日本サッカー協会は「代表選手輩出」だけを目指してアカデミーを設立したわけではありません。将来有望な選手の育成は、全国津々浦々のクラブや学校で行われています。また、小さい頃から海外の環境で育つ選手もいます。JFAアカデミーは、選手が育まれる多種多様なルートの“one of them”にすぎません。
サッカーの技能に秀でる人材を抱え込むことが目的ではなく、またサッカーの技術向上だけに特化するのでもなく、将来の社会人として世の中をリードしていける「真の世界基準の人材」をサッカー界から育てていきたい、という理念が根底にあります。その理念はJFAアカデミー福島をはじめ、熊本宇城(男子のみ)、堺、今治でも同様です。
――人間教育という側面から、手応えを感じた出来事はありますか?
アカデミー生は全員、近隣の公立学校に通っています。福島校の選手が通っていた富岡高校では、ある学年で成績上位5人がアカデミー生だったことから、校長先生から「高い目標に向かって励むアカデミー生の姿が、他の生徒たちによい刺激を与えている」と評価していただきました。
また、アカデミー生の携帯電話の使用をめぐって、選手たちから直談判されたこともよく覚えています。選手たちみんなで話し合ってまとめた意見を、山根選手が私のところに言いにきた。その時は特別褒めなかったけれど、10代の若者たちが大人に対して真剣に、論理的に意見を伝えてきたことは、頼もしく感じました。
スポーツを楽しみ、生活の一部となる環境を皆で作る、それこそが文化
――宮間あや選手が、2015年の女子ワールドカップ直後に「女子サッカーがブームではなく文化になっていければ」という思いを語っていました。女性がスポーツに存分に携わり、現役生活をまっとうするために、周囲の人々にはどのような視点が必要だとお考えでしょうか。
宮間選手の言葉を受け止めて、私なりの解釈を付け加えて考えています。それは女子サッカーの発展に限らず、女性も男性も好きなスポーツを楽しめる環境、スポーツを生活の一部として根づかせる環境を、みんなで作っていくこと。それこそが文化なのだと思います。そして女性のスポ—ツへの参加をもっと促し、周囲の理解をもっと深めるためには、社会における男女の役割を固定化せず、仕事も家庭も男女が共同で営んでいく世の中を実現させる必要があると思っています。
totoを購入しているみなさんこそが、日本のスポーツ界に貢献している
――様々なスポーツを助成するtotoは、現在、サッカーの試合を対象としたくじとなっています。サッカー界が日本のスポーツ全般を支える役割を担っているとも言えますが、どのように感じていますか。
totoの法案が成立した時、サッカー界が日本のスポーツの発展に貢献できることを、心から嬉しく思いました。女子サッカーも、JFAアカデミー堺などの活動、リーグ運営、大会運営などにtotoの助成が役立てられています。競技団体単独の財源ではなかなか手が回らないところに、totoの力が活かされています。
――くじの購入を通して様々なスポーツを応援しているファンの方々へ、メッセージをお願いします。
みなさんも第一の購入動機は高額当せんだと思いますが(笑)、totoはその売上を日本のスポーツ界の発展のために役立ててくれています。ですからtotoを買ってくださるみなさんこそが、この国のスポーツ界にものすごく貢献してくださっている。トップアスリートの育成から、国民の健康増進に役立つスポーツ施設の充実など、幅広いシーンでスポーツを支えていただき、本当に感謝しております。
川淵 三郎かわぶち さぶろう
1936年、大阪府高石市出身。早稲田大学時代に日本代表に選出される。61年に古河電工に入社し、同サッカー部でプレー。64年の東京オリンピックに出場。引退後、古河電工サッカー部監督、日本代表監督を経て、88年、日本サッカーリーグ(JSL)の総務主事に就き、プロ化を推進。Jリーグ初代チェアマン、日本サッカー協会会長を歴任し、現在は最高顧問。公立大学法人首都大学東京の理事長のほか、日本バスケットボール協会、日本トップリーグ連携機構の会長も務めるなど、幅広くスポーツの発展にカを注いでいる。
■JFAアカデミーについて
公益財団法人日本サッカー協会は世界トップ10を目標とし、代表チームの強化に加えてユース育成、指導者育成を合わせ、総合力向上を目指している。その中でJFAアカデミーは中学の3年間、(福島は中学・高等学校の6年間)ロジング形式(寮生活)をしながら、サッカーの指導や専門的な教育を受ける。全国に育成モデルを示し発信することを目的として活動しており、スポーツ振興くじ(toto)の「将来性を有する競技者の発掘及び育成活動助成」の対象となっている。2006年4月のJFAアカデミー福島の開校後、JFAアカデミー熊本宇城(男子のみ)、JFAアカデミー堺、JFAアカデミー今治(いずれも女子のみ)が開校した。(注:JFAアカデミー福島は2011年の東日本大震災の影響で、2016年現在、静岡県御殿場市に一時移転している)
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