インタビュー

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インタビュー

「与えられるものは有限、求めるものは無限」 金メダルの裏にあった“覚悟”

なぜ、3度目のオリンピックで金メダルを獲得できたのか

 冬季オリンピック史上最多のメダルラッシュに日本中が沸いた2月の平昌オリンピック。日本選手団主将の大役を務め、躍動したのが、女子スピードスケートの小平奈緒選手だ。1000メートルで銀メダル、500メートルで金メダルを獲得した。なぜ、3度目のオリンピックにして悲願を成就させることができたのか。そして、31歳となった今、スケート界にどんな未来を描いているのか。率直な想いを明かしてくれた。

 この冬、小平奈緒選手は、輝いていた。平昌オリンピックスピードスケート女子500メートル。36秒94のオリンピック新記録で金メダルを獲得。日本中に感動を届け、そして、時の人になった。プロ野球の始球式をはじめ、オリンピック後はあらゆるイベントに引っ張りだこ。「金メダリスト・小平奈緒」と形容詞がついて紹介されるようになった。ただ、そんなフィーバーぶりも、本人は至って冷静に受け止めていた。

「今はすごく自分を客観的に見ています。どこか他人事のような感覚。オリンピックが始まる前から『オリンピックは通過点』と、ずっと言ってきたので。実際に通過してみると、今は新しい目標が目の前にあり、『オリンピックの金メダリスト』ということより、スピードスケーターとしてどういう選手になれるかという方向に目が向いています」

 メダルは自宅の棚にしまい、特に見返すこともないという。自身は変わらず、変わったのはむしろ、周りの方だったのかもしれない。「その変化には、すごく驚いています」と笑う。ただ、大きな反響はもちろん、うれしい出来事だった。

「一番、私の心に響いているのは、日本に帰ってきて『おめでとう』って言ってくれる人のほとんどが涙を流してくれることです。色々なことを思い出して、心を動かしてくれていたんだなというのを実感すると、オリンピックの金メダルの力ってすごいなと感じさせられました」

 4年に一度のスポーツの祭典。その影響力を身をもって知った平昌オリンピック。表彰台の真ん中に上り詰めたのは、31歳だ。前回のソチオリンピックは500メートル5位、1000メートル13位に終わっていた。なぜ、ベテランの域に達する年齢にして、悲願の金メダルを手にすることができたのか。

「世間の時間軸で見れば、遅咲きに見える結果。だけど、自分がスポーツをやりたい環境で、自分が教わりたいコーチに教わってやってきて、常に自分を高めてきた。それが、いつ花開くかは人それぞれなのかなと思っていました」

ソチオリンピック後、武者修行でオランダを選んだ理由

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「いつ花開くかは人それぞれ」ということは、それが明日かもしれないし、1年先かもしれないし、もっと遠い未来かもしれない。それでも、自分を信じることができた。「どんな努力を重ねていったら、なりたい自分になれるかは想像できていたので、恐怖、不安はなく、自分が目指している道を自分のペースで歩くことができたと思います」と振り返る。

 飛躍のきっかけとなったのは、異国での武者修行だった。ソチオリンピック後、オランダに渡った。「決してオランダがソチオリンピックで23個のメダルを獲ったからではなくて、メダルを獲る前からオランダのチームに入り、文化として根付いている国でスケートがどういう役割を果たしているか、文化としてのスケートを見に行きたかったんです」と理由を明かす。

 文化を知る。それが、成長につながると信じた。

「競技をする中で、スケートを好きな気持ちとか、スケートが愛されている環境とか、スポーツとしてのスケートの在り方に触れることは、自分の競技力を高める上でもすごく大切になるのではないかと思っていました」

 かつては凍った運河をスケートで滑って通勤する人がいるくらい、スケートが日常に溶け込んでいるオランダ。過ごした日々は新鮮そのものだった。

「道路が凍った時はみんな靴を履いてスケートリンクのように滑り出す風景を観たり、街のおじいちゃん、おばあちゃんが国内で行われるスケート大会をいつも楽しみに見ていることを肌で感じたり。オランダは夜になってもあまりカーテンを閉めないのですが、街を歩いていると家の窓越しのテレビにスケートが映っている。そういうスポーツなんだということを感じました」

「日本でいう相撲のような感じ」というスケートが文化となったオランダで過ごした2年間。「オランダのいいところは確かにあるけど、オランダに行ったことによって、日本のすごくいいところに気づいて帰って来られたというのは収穫」。技術はもちろん、人間としてひと回り成長して戻ってきた。

 今も大事にしているモットーが生まれたのも、オランダでのことだった。

発展途上の競技を陰で支えている存在とは

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「自転車をこいでいる時、ふと『与えられるものは有限、求めるものは無限』と考えた。当たり前に与えられていたものの大切さに気づいて、でも、求めるものは自分が求めさえすれば無限にあると気づくことができました」

 さらなる成長という無限の可能性を求め続け、迎えた平昌オリンピック。ソチオリンピックとは違う自分になっていた。

「4年前は周りの期待ばかりを気にして、自分のスケートを見失っていた部分があったと思う。平昌では、オランダで2年間、一人で武者修行に行ったことによって、何か覚悟のようなものが身について、自分自身にものすごく集中できていたのが、すごく変わったところかなと思います」

 だから、500メートルを無心で滑ることができた。「誰かのために成績を出そうと思わなかった。それよりも自分自身のスケートを極めた姿を見てもらいたいと思うことができた。競技としてのスケートだけではなく、スポーツの良さを見失わないスケートを追求していったからではないかなと思います」と胸を張った。

 しかし、オランダと比べ、スケート文化が発展途上にある日本。キャリアを辿れば、自身も苦しい時代を過ごしたことがあった。「高校を卒業してから国立大学で4年間、やらせていただいた。金銭的に苦しい時もあったし、施設を使うにも恵まれない状況もありました」と振り返る。

 伊那西高を経て、一般入試で国立の信州大に進学。卒業後は相沢病院に所属したが、卒業直前まで不況のあおりもあり、所属企業が決まらず、苦労した。環境面で支えられていると実感したものの一つが、スポーツくじの助成金だったという。

「エムウェーブ(長野市オリンピック記念アリーナ)はもちろん、地域のスケートリンクの整備などにスポーツくじの助成金が使われていてすごくありがたいです」

真のスピードスケート大国になるために必要なもの

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 平昌オリンピックではチームパシュートで金メダルを獲得するなど、高木菜那、美帆の高木姉妹を筆頭にメダルを量産した日本。ただ、真のスピードスケート大国になるには、まだまだ発展の余地が残されているという。

「リンクで滑れないことが一番に防ぎたい状況。地方の屋外リンクもかなり老朽化が進んでいると思う。これから小さい子どもたちが滑りたいと思った時にスケートリンクがいつでも滑れる形で、そこに存在することがすごく大事なことだと感じています。日本のトップの選手はかなり科学的なサポートもされているので、とにかく底辺の競技環境が充実すれば、将来的に見て競技力を伸ばしていけるのではないかなと思います」

 どんな選手であっても、いずれ競技を退く時は来る。しかし、競技はこれからも、続いていく。果たして、10年、20年、もっと先の未来、スピードスケートはどう育っていってほしいと思っているのだろうか。

「周りから与えられるもので環境が整うだけでなく、子どもたちが自分たちの道を切り開いていきたいという気持ちに溢れれば、いい文化になっていくのかなと。求めたいという想いに対して、温かいサポートがあると、加速度を持って競技が普及していくと思う。だからこそ、子どもたちには何事も興味を持って見てみることを大事にしてほしい。見ることで学ぶことができて、次のステップでやってみるという行動に移せる。そういうステップを踏むために色々な世界を見てほしいと思っています」

 自身は「500メートルの世界新記録」と「究極のスケートを追求する」という目標を掲げている。最後に「私らしいスケートを極めていきたいと思うので、皆さんの心に響くものがあれば、私もうれしいです。これからも頑張ります」とメッセージを寄せてくれた。

 自身の、そして、スピードスケート界の“無限”の可能性を信じ、小平奈緒は滑り続ける。

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小平 奈緒こだいら なお

1986年5月26日、長野県茅野市生まれ。社会医療法人財団 慈泉会 相澤病院所属。 2010年バンクーバーオリンピックで、女子団体パシュートで史上初となる銀メダルを獲得。2014年から2年間のオランダ留学を経て、2017年世界スプリント選手権で総合優勝。同年 世界距離別選手権 500m 優勝、 世界距離別選手権 1000m 2位。
2018年の平昌オリンピックでは主将を務め、スピードスケート女子500メートルで金メダル、1000メートルで銀メダルを獲得。日本女子スピードスケート史上初の金メダリストとなる。

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