インタビュー
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「跳ぶと絶対に笑顔になれる」 第一人者が語るトランポリンの魅力
観て面白い、やって楽しいトランポリンの奥深さ
前人未到の全日本トランポリン競技選手権大会10連覇。実績は他の追随を許さない。トランポリン競技の第一人者である。2004年のアテネ大会、2008年の北京大会と2大会連続でオリンピックに出場した廣田遥さん。2011年の現役引退から8年。生まれ故郷の大阪でジュニアの育成、トランポリンの普及活動に力を注いでいる。実は老若男女、誰もが楽しめる競技である、トランポリンの知られざる魅力を語ってもらった。
体育館に廣田さんの声が響く。トランポリンを跳ぶ子どもたちの姿は実に楽しそうだ。
「跳ぶと笑顔になるんです。みんな絶対に笑顔になる。嬉しい時って飛び跳ねますよね。跳んでいると楽しいので、あの時と同じ脳波になるんです。怒った顔でトランポリンを跳ぶのは難しいんですよ」
子どもたちに負けないくらい、柔和な笑みで話してくれた。小学校6年生の時にホームステイ先のオーストラリアで偶然出会ったトランポリン。すぐに虜になったという競技の魅力はいったいどこにあるのだろうか。観る側の視点と、実際に跳ぶ側の視点をそれぞれ解説してもらった。
「観る場合はまずはやっぱり高さ。男子だと7~8メートル跳ぶんですが、あれだけの高さの中でアクロバティックな演技を繰り広げられるダイナミックさがトランポリンならではの魅力です。人それぞれ演技の違いもありますし、サーカスっぽい要素もある。こんなことができるんだ、っていう驚きも楽しんでいただける要素だと思います。あとはたった一度の失敗で結果が大きく変わってしまうというドラマ性も魅力の一つだと思います」
天井に届きそうな高さまで跳び上がり、くるくると回転してまた同じ場所に降りてくる。これを10回連続で繰り返し、技の難度や高さ、正確性で得点を競う競技だ。途中で一度でも失敗するとその時点で演技終了となり、得点が大きく落ちてしまう。失敗の許されない緊張感の中で、オリンピック選手ともなれば人間業とは思えないような回転を繰り返す。まさにサーカスのように観て驚きを感じられるのだが、では実際に跳ぶとどうなのだろうか。
「浮遊感がすごく気持ちよくて病みつきになります。トランポリンの力は借りますが、あれだけの高さを自分の力で跳び上がっていく。跳び出しのスピードとか、特に気持ちいいです。下がっていくというのはジェットコースターなどでもあるんですけど、上に突き上がっていく体験というものはなかなかできないですよね」
前人未到の全日本選手権10連覇「1年1年の積み重ねが振り返れば10回あった」
ホームステイ先のオーストラリアから帰国後に高速道路の高架下のスクールで歩み始めたトランポリンのキャリア。後に全日本選手権10連覇を成し遂げた絶対女王も、始めた当初はうまく跳べなかった。
「すぐにもっと高く跳べるだろうと思っていたのですが、(トランポリンの)中央で跳ぶことが難しくて…。ジャンプの練習はたくさんしました。それまでにやっていた器械体操では、前に行くために力を伝えるのですが、トランポリンは垂直に力を伝える必要があります。器械体操の動きが体に染みついていたので、そこが凄く難しかったです」
それでも、いつかはオリンピックに出たいという想いで懸命に練習を重ね、実績を積み、がむしゃらに走り続けた結果“トランポリンと言えば廣田遥”と言われるようになった。2001年からは全日本トランポリン競技選手権大会で10連覇。他の競技も含め、出色の記録だ。重圧に、孤独……、頂点に立ち続ける難しさは身をもって経験している。
「孤独と言えば孤独でしたね。自分の中では連覇しようと思ってやっていたわけではないですが、1年1年の積み重ねが振り返れば10回あった。全日本選手権で優勝することは世界で戦うための最低条件。日本一になれていないのに、世界で戦えるはずがない。そういう信念がずっとありました。全日本選手権は世界で戦うためのステップ。ずっと自分との戦いでしたね。女子のトップでずっとやってきているということは、それが基準になる。日本一としての背中を作る。そういう感覚も持ちながらやっていましたね」
第一人者としての孤独とトランポリン界を背負っていく使命を感じながら、跳び続けた廣田さん。モチベーションはどこにあったのだろうか。
「オリンピックでメダルを取りたいというのが一番大きかったですが、連覇する中でプライドのようなものも出てきます。そういう気持ちと、世界に挑戦し続けたいという気持ちは常にありましたね。毎年ワールドカップで自分よりもすごい選手と出会えるので、同じレベルに私も行きたいという気持ちがすごく強かった。それが一番大きかったのかもしれません。
自分が背負っていかないといけないという思いはありました。私が始めたころは、『トランポリンって、どんな楽器ですか?』って言われたことがありました。すごくショックだったんですよね。(2000年の)シドニー大会でオリンピック種目になり、私が出場したアテネ大会でメディアでも注目されるようになってきて、トランポリンって技を競う競技なんだなと知ってもらえるようになって。でもまだまだ日の当たらない競技だとずっと思っていました。もっと知ってもらいたい。やりたいと思ってもらえる人が増えたらいいなと。その想いはずっと持ち続けていました」
スポーツを通じての成功体験が人間としての成長にもつながる
その想いがジュニアを教える立場となった今も、廣田さんの胸中にはある。実際に競技人口は増え、選手登録されている数は男女合わせて約2,600人。その数は年々増え続けている。「右肩上がりですよ」と目を細めて話しながらも、普及への課題も口にする。
「普及のためにはやっぱり施設にトランポリンがあることが一番です。市の体育館などに置いてあって、しっかりと教えてくれる指導者がいるというのが大事な部分。ですが、トランポリンの数自体が少ないうえ、指導者も少ないことがネックになっています。トランポリンは競技用のものだと1台200万円くらいします。海外から輸入するケースもあるので、どうしても高価なものになってしまいます」
跳びたくても数が足りない。需要に供給が追い付いていないのだと強調する。
トランポリンをするための環境の整備にスポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金が役立てられている。具体的には、地方公共団体やスポーツ団体によるトランポリン教室の開催や地方公共団体が行うトランポリンの設置、トランポリンを行う体育館の改修に活用されている。廣田さんは、感謝の思いを口にする。
「トランポリンのようなマイナー競技にも助成されており、本当にありがたいです。どこで跳べるのかとよく聞かれます。なかなか供給が追いついていない。もう少しトランポリンの数が増えればと、いつも思っています。跳びたい人は本当にたくさんいるんです」
跳びたい人はたくさんいるのに、指導者や環境が追いつかないジレンマを抱えながらも、トランポリンの普及が、幼少期の子どもの成長へ与える好影響についても熱く語る。
「子どものころからトランポリンを跳ぶとすごく良いのです。体幹や三半規管が、楽しく跳んでいる間に鍛えられる。バランス感覚も身に付きますし、良いことずくめ。学校の授業で取り入れるのにも、すごく良い器具だと思います」
運動能力の向上だけでなく、トランポリンを通じて学んで欲しいことがあるという。
「トランポリンって楽しい、という気持ちを持ちながらもチャレンジしていく気持ちは持っていてほしいです。やる前からこれは出来ないという子も多いですが、こちらが『やってみようよ』って声をかけて挑戦してみると、実際に『やれたやん』ってなることもあります。成功体験になります。そういう気持ちを育てていけたら、トランポリン以外のことにも通じていく。勉強だったり、これからの中学、高校の生活だったり、色々なことに生かせると思います。そういうお手伝いもできたらいいなと思っています」
スポーツを通じての成功体験が、人間としての成長にもつながる。廣田さんはそう確信している。同時にトランポリンは幼少期の育成だけでなく、生涯スポーツとしての魅力もあるのだという。
「大人がやってもすごく良いです。有酸素運動としての運動量もあります。10分くらい跳び続けているだけで、汗が噴き出してきます。女性のダイエットにもいいですし、高齢者の健康維持やリハビリ施設にも使われています。生涯スポーツとしてのトランポリンの普及にも携わっていきたいという気持ちも持っています」
溢れる“トランポリン愛”を最後まで語ってくれた廣田さん。トランポリン界の第一人者は、トランポリンの普及のため、これからも笑顔を届ける。
廣田 遥ひろた はるか
1984年4月11日、大阪府生まれ。阪南大学在学中の2004年にアテネオリンピックに出場し7位入賞。2008年北京オリンピックでも日本代表として2大会連続出場を果たす。全日本トランポリン競技選手権大会では2001年から10連覇を達成。2011年に現役引退。引退後はトランポリン指導者の他に、タレント、コメンテーターとしても活躍。
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