インタビュー

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インタビュー

日本人初のアジア女王が魅せられた、ボウリングが持つ奥深さと駆け引きの妙

2018年アジア競技大会のマスターズ戦で優勝、石本美来選手が明かす栄光の舞台裏

 日本各地で数多くの人々に“レジャー”の一つとして親しまれているボウリング。子どもから高齢者まで幅広い年代の人々が性別を問わずに一緒に楽しめるスポーツで、「レジャー白書2019」によれば、平成30年のボウリング参加人口は約950万人で「体操(器具を使わないもの)」「ジョギング、マラソン」「トレーニング」に次ぐ4位だったという。最近では、ロックバンドのサザンオールスターズ桑田佳祐氏が「KUWATA CUP」という全国規模のボウリング大会をプロデュースするなど、広く親しまれている。

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 レジャーとしての側面に注目されがちではあるが、ボウリングは競技スポーツとしても確かな地位を築き上げてきた。オリンピック競技にこそなってはいないものの、“第2のオリンピック”とも呼ばれる国際総合競技大会「ワールドゲームズ」では公式競技として採用。他にも、4年ごとに世界選手権が開催され、アジア競技大会でも正式競技となっている。

 そんな競技ボウリングの世界で、2018年8月、日本人初の快挙が生まれた。インドネシアで開催された「第18回アジア競技大会」で、日本代表の石本美来選手がマスターズ戦女子で日本人初優勝を飾ったのだ。

 世界の競技力を見てみるとアメリカが圧倒的な強さを誇るが、それに追いつけ追い越せと急速に力を伸ばしているのが韓国、マレーシア、シンガポールといったアジア諸国。「もう国技に近いレベル。日本でいう柔道のような感じで、国を挙げて強化に力を入れているのでレベルが違いますね」という中でのアジア競技大会優勝は、石本選手自身「ちょっとビックリしました」と驚きを隠せない。

 驚いたのは、強豪国を抑えて優勝できたから、という理由だけではない。実は、そこへ至るまでの1週間で、プレースタイルの大改革に挑戦していたのだ。

 アジア競技大会の約1か月前、石本選手はアメリカ・デトロイトで開催された「第15回世界ユースボウリング選手権大会」に出場していた。37の国と地域から集まった21歳以下の代表選手が世界一をかけて戦う国際大会。ここで石本選手はシングルスでもダブルスでも予選落ちの悔しさを味わい、「自分の限界を感じてしまった」と振り返る。

「世界ユースが終わった1週間後にアジア大会という少しタイトなスケジュールだったので、世界ユースはアジア大会に向けての調整というか、自信をつける場所として頑張ろうと思っていました。でも、そこで自分の限界を感じてしまった。何か技術面を高めないとアジア大会でメダルは獲れない。そう思って、世界ユースの大会期間中からメカテクターをつけ始めました」

大一番を前に下したスタイル変更の決断「何もしないで臨むのは絶対に悔いが残る」

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 メカテクターとは、ボールを投げる利き腕の手のひらから手首にかけて装着するプロテクターで、ボールの重さに負けないように手首を支える役割を果たす。競技ボウラーの場合、女性でも15ポンド(約6.8キロ)のボールを投げるため、調子の良くない時は手首がボールの重さに耐えきれず、ボールに思い通りの回転をかけられなくなってしまうという。つまり、ボールが曲がる角度などを調整しづらくなり、スコアが伸びにくくなってしまうのだ。

 世界ユース選手権では、ボールを投げ始めるファールラインから1番ピンに程近い位置までレーンの広範囲にオイルが塗られる「ロング」と呼ばれるパターンだった。事前に発表されたアジア競技大会のオイルパターンも「ロング」の予定。この時、石本選手は「点数やストライクが出なさすぎて、これでは(同じロングの)アジア大会では勝てない。4年に一度しかない大会に、何もしないで臨むのは絶対に悔いが残る」と考え、メカテクターの装着を決意した。

 ボウリングは緻密なコントロールが要求されるスポーツだ。レーンの板に描かれたスパットと呼ばれる三角形印のマークを目掛けて投げた時、左右わずか1センチのずれでストライクを逃してしまうこともある。それほど繊細なコントロールが求められる中、ボールを投げる利き腕にメカテクターをつけることは大きな変化を意味する。

「メカテクターを着けると手首が後ろには折れなくなるので、ボールをしっかり転がしやすく、回転がかかりやすくなるんですが、ボールが乗りすぎて指に大きな負担がかかり、怪我のリスクが高まります。本当ならメカテクターをつけた投げ方に慣れるまで、1年くらいは試行錯誤しながら練習するもの。指のフィッティングも変わるので指穴の位置も変えないといけないんですが、変更する時間もなかった。本当にドタバタで、とにかく必死。4年に一度しかない大会だから、自分のやれることはやろうという想いで臨みました」

 その奮励が実を結び、アジア競技大会の決勝では強豪・韓国のイ・ヨンジ選手を抑えて、見事優勝。「信じられなかったというか、ビックリしました。でも、うれしかったです」と、当時の喜びを改めて噛みしめながら笑顔を浮かべる。

「神様が勝たせてくれたと思っています」

 石本選手は、こうも言った。「オリンピックがないので、目指す一番大きな大会はアジア大会」と位置づける舞台にかける強い想いが、勝ち運をたぐり寄せたのだろう。

2度と同じ状態にはならないボウリングレーン「生き物のように変化するんです」

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 ボウリングは、ボールを転がして60フィート(約18.28メートル)先に並ぶ10本のピンを倒す、極めてシンプルなスポーツだ。だが、競技ボウリングの場合、細部に目を向けて見ると、その奥深さに驚かされる。レーンに塗られたオイルのパターン、投げるボールの選択、選手自身が持つスキルを総合的に考え、一投ごとに最良の選択を積み重ねていかなければならないのだ。

 まず、レーンに塗られているオイルのパターンは、ファールラインから塗られる長さによって、大きくショート、ミディアム、ロングの3つに分けられる。また、レーンと正対した時、オイルは左右両端が薄く、中央部分が厚く塗られているが、オイルの厚さの差や幅は大会によって変化する。どのパターンだと難易度が高いとは一概に言えず、自身の持つスキルによって得手不得手が分かれる。

 オイルが塗られた部分は、ボールにかかる摩擦が少なく真っ直ぐ進みやすい。塗られたオイルの厚さによってもボールにかかる摩擦が変化するため、選手は事前に渡されるレーンコンディションの情報を元に、普段練習するボウリング場で本番環境を再現。そこで戦術を練り、対策を立てるという。

 だが、大会は予定調和には進まない。レーンに塗られたオイルは、ボールが通過するたびに、その状態が変化するからだ。新雪が積もるスキー場を想像してほしい。スキーヤーが1人、2人と通過するたびに、雪上にはシュプール(通過した跡)が残り、次第にゲレンデは表情を変えていく。そして、その変化は誰にも予想することはできないし、2度と同じ状態になることはない。目には見えないがボウリングのレーンでも同じ現象が起きており、大会当日に誰と同じレーンで投げるのか、またどんな順番で投げるのか、様々な要因が重なってレーンの状態は大きく変化する。石本選手は「レーンは生き物のように変化するんです」と話す。

 刻一刻と変化するレーンの状態を読み、対戦相手との得点差も考えながら、次の一投で使うボールや攻めるコースを選択する。「ストライクが出たら正解だけど、人によって正解にたどり着く道は違うんです。だから、(戦術を考えるため)頭の中がずっとフル回転している状態。でも、対戦相手との駆け引きをしながら、戦術を考えて投げることに面白さを感じますね」と石本選手。大会が終わると「何も考えたくなくなりますし、試合後は、10時間以上寝るんですよ」と照れくさそうに笑うが、神経を張り詰めた中での勝負に全身全霊で臨んでいる証だろう。

真剣な顔から笑顔に変わった世界ユース選手権、師匠のアドバイスで開花

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 祖父に連れられ、小学1年生でボウリングを始めた当初は「おじいちゃんに負けたことが悔しくて、メラメラとしてきて(笑)。目標はおじいちゃんに勝つことでした」。生まれ育った広島市内の地域ではボウリングが盛んで、ジュニア教室なども開催され、「同い年の男の子とか、周りに上手な子ばかりいたんです」と当時を振り返る。負けず嫌いな性格に加え、周囲の環境も幸いし、石本選手は目を見張るばかりに上達していった。

 中学生の時に日本代表に選ばれて以来、世代のトップを走ってきたが、実は高校2年生まで主要な大会での優勝経験はなかった。当時は「自分とレーンの戦いだから、とにかく『集中! 笑わない!』と気合を入れて、真剣に向き合った方がかっこいいと思ってたんです」と言うが、ややもすると競技中に視野が狭くなりがちな石本選手に、小学生の頃から師事している松島匡紗志プロは「ボウリングを楽しみなさい」とアドバイスを送っていた。

「国内大会だと周りは知っている選手ばかりなので、余計に負けたくないと思って、自分を追い込んでしまう。だから、師匠の松島プロが『楽しみなさい』とおっしゃっても、頑固で受け入れられなかったんです。でも、高校2年生の時に出場した世界ユース選手権で変わりました。初めての海外で、周りの選手がどんな実力なのか分からない。こうなると、結局は自分が楽しめるかどうかが大事なのかな、と。それまで『集中!』とやってきて優勝できなかったこともあって、だったら松島プロの教えをやってみようと、楽しむことを心掛けて投げていたら優勝できたんです。あ、これだったんだ、と、それからはどんな時でも、たとえ点数が出ていない時でも、リラックスして笑顔でいるようにしています」

 現役真っ只中だが、「日本代表で海外に行った経験や、国際大会で成績を残した経験は、私にしか伝えられないこと」と、ボウリング界の未来を担うジュニア世代に、競技ボウリングが持つ楽しさを、積極的に伝えていきたいと考えている。だが、「ボウリングは結構、お金がかかるスポーツ。ボウリングが好きだけど続けられない子も多いんです」とも言う。

「ボールは1個5万円くらいしたり、大会に出場するのにもお金がかかる。ボウリングは好きだけど、いざ競技ボウリングとなると、なかなか始められないジュニア世代の子どもは多いと思います。だから、教室でもレジャーでも金銭的に余裕がある年代の方が多いので、ジュニアが育ちづらい環境はあると思います」

 こういった現状を知るからこそ、地域における有望選手の発掘やボウリング教室の開催など競技の未来を繋ぐ活動に、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金が活用されていることについて、感謝の言葉が続く。

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「サポートがないと、1人の力ではやっていけません。ボウリングは競技スポーツとしてはあまりメジャーではありませんが、支援していただけることが、みんなの支えにもなっているので本当にありがたいですね。こういう活動があるから、次の世代が育っていくんだと思います」

 競技ボウリングに限らず、レジャーとしても、より多くの人々にボウリングの楽しさを知ってほしいとも願っている。

「おじいちゃんでも子どもでも女性でも、いろいろな世代が共通で楽しめるスポーツなので、コミュニケーション作りの一環としてやってみてほしいですね。一緒にボウリングをすると仲の良さが深まると思います」

 ボウリングの奥深さと楽しさを、少しでも多くの人に伝えていきたい。そんな想いを胸に、笑顔の石本選手はレーンで10本のピンと向き合い、頭をフル回転させながら正解を弾き出すチャレンジを続ける。

(リモートでの取材を実施)

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石本 美来いしもと みらい

1997年3月10日、広島県生まれ。JFEスチール所属。祖父の影響を受け、小学1年生からボウリングを始める。松島匡紗志プロに師事し、本格的に競技ボウリングを始めると頭角を現し、中学2年生の2011年にユース日本代表に選出。以来、世代のトップとして日本代表でプレーし続ける。高校2年生で出場した2014年の第13回世界ユース選手権大会ではマスターズ戦、4人チーム戦で優勝。これをきっかけに国内外の大会で優勝を重ねるようになる。岡山商科大学4年生だった2018年、第18回アジア競技大会のマスターズ戦で日本人初の優勝という快挙を達成。大学卒業後は社会人として仕事と競技を両立させながら、日本代表としてボウリングを探究する道を歩んでいる。

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