インタビュー

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インタビュー

第二の内村航平、白井健三を「逆立ち女子」が“街の子ども”に体操を教える理由

楽しさを伝えたい――指導の原点となった体験

 視界が180度ひっくり返る。逆さまになった体を両手で支え、長い足を一直線にして前後に開く。そんな綺麗な逆立ちを横浜中華街、渋谷の路上――。あらゆる場所で挑戦し、インスタグラムに投稿する「逆立ち女子」として人気を集めているのが、岡部紗季子さん。現役時代、体操の日本代表として世界と戦った元トップアスリートだ。

 そんな岡部さんが今、体操を教えているのは、世界を目指すトップ選手でもなければ、強豪クラブの中高生でもない。幼稚園から小学生までを対象として、東京近郊を中心に体操の指導をしている。第一線を知る元トップ選手でありながら、“街の子ども”に指導する理由は何なのか。その裏には、「人を育てる」ことへの特別な想いがあった。

「私が体操と出会った時、体を動かしたり、回ったりすることが単純に楽しかった。その感覚を今でも覚えています。同じように子どもたちに楽しさを体験してほしい。特に、子どもはできないことができるようになる瞬間が多いし、私自身も一緒に頑張っている気持ちになれる。逆上がりとか、小さなことが一つ一つ、できた瞬間に立ち会えることが幸せなんです」

 楽しさを伝えたい――。自身の体験が、指導の原点だった。体操を始めたのは3歳。「縄跳びができるように」と両親の勧めで近所の体操クラブに通い始めた。些細なきっかけだったが、すぐに体操の楽しさの虜になった。

「体を動かすことが楽しくて、常に動き回っているような子どもでした。最初は前転、後転ができるまでに時間がかかって、ずっと3クラスあるうちの一番下のクラス。でも、ある時にできるようになった達成感が楽しかった。次第にぽんぽんと色々な技ができるようになって、6歳の時に先生から選手コースを勧めてもらい、選手を目指そうと思いました」

 できないことができるようになる。小さな達成感を大きな原動力に変え、才能は磨かれた。小学4年生で初めて出場した大会、東日本ジュニア体操競技選手権大会では4位に入り、全国大会に出場した。そして、中学2年生で全国大会初優勝。自然と一つの夢が生まれた。

届かなかった夢、それでも掴んだかけがえのないもの

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「オリンピック選手になりたい」

 だから、どんな過酷な練習も乗り越えられた。中学、高校と体重制限があり、設定値を超えると練習に参加できなかった。練習は365日休まずある。「体は日々痛いところがある。自分で自分の体の負担を支えないといけないので、肘、手首、膝、足首と関節は常に痛かった。疲労骨折もありました」と振り返る。しかし、北京オリンピックの舞台に立つという夢にはあと一歩、届かなかった。

 2008年の北京オリンピック代表選考。惜しくも代表の座から漏れた。

「十何年分の懸けてきた想いがあって、その分だけ緊張、プレッシャーもあった。なんとか思うような演技ができるように自分の心を落ち着かせようとしたけど、代表落ちしてしまった。十何年もかけてきたことに手が届かなかったことはすごく悔しかったし、『あの時、ああすれば良かった』という後悔もありました」

 当時、大学3年生。10代がピークと言われる体操、大学卒業を機に競技を退くことを決めた。ユニバーシアードに2度出場し、世界とも戦い、3歳から始めて20年間の競技人生。夢には届かなくても、完全燃焼した自分だったから得たものもある。

「一番に感じたのは、好きなことはとことんやるべきということ。私自身はそうすることで夢を見つけ、それを追いかけることができた経験が大きかった。つらいことを乗り越える力が身についたと思います。引退した後、どんな時でも『あの時の経験があったから大丈夫。自分なら乗り越えられる』と」

 第二の人生でどんな道を歩むか。大学4年生。普通の学生と同じように就職活動もした。しかし、何かしっくりこなかった。選んだのが、指導者の道だった。

「私ができることをやりたい」

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「とことん体操をやって楽しかった自分だからこそ伝えられることがあるのではないかと思った。就職活動もしたけど、その仕事は『私じゃなくてもいいのかな』と。私ができることをやりたい。好きなことは続けていきたいし、ここで体操と区切りをつけるのではなく、違った形で体操に関わっていけることは何かと思った時、体操を広める活動をしていきたいと思ったんです」

 大学を卒業し、カナダに単身コーチ留学。シドニーオリンピックで3個のメダルを獲得した名選手、エカテリーナ・ロバズニュクさんの元へ飛び込み、1年間、指導のイロハを学んだ。帰国後、札幌の体操クラブでインストラクターを務め、児童デイサービスという部署で発達障がいを持つ子どもたちを教えたことがあった。それが、指導人生のターニングポイントになった。

 自分の知識をただ伝えても、なかなか理解できない難しい指導。「次はこうしてみよう、こう言ってみよう」と指導を掘り下げ、工夫を加えると、最後に達成できた。その瞬間が格別だった。「それが、こういう仕事をして良かったなという瞬間だったんです」。子どもを教えることの楽しさに気づいた。

「トップ選手がトップ選手を教えるという“普通”のルートは私じゃなくていい。トップ選手を教えるより街の子どもを教える方がいいな」と――。

 体操の魅力を伝えようとタレント業に挑む傍ら、都内を中心に複数の場所で体操指導をしている。多くの子どもたちに体操の楽しさを知ってほしい、という想いで指導を続ける中、厳しい現実に直面していた。

「器具があって初めてできるのが体操。床は1面1000万円かかります。平均台、跳馬もそれくらいかかる。体操ができる環境を整えるためには金銭面の問題がとても大きい。だから、指導される側も機会をなかなか得られないし、指導する側も現役引退して体操教室を開きたいと思っても、器具の手配や会場を借りる費用が必要になるので、ハードルはすごく上がってしまうと感じています」

 指導をしたい側も、受けたい側も環境が整わないことによって、機会が限られてしまう現実がある。このような、体操ができる環境の整備にも、スポーツくじ(toto ・BIG)の収益による助成が活用されている。具体的には、地域の体育館における床の設置、体操教室の実施、国内大会の開催などがある。

体操を教えたい人が教え、体操をしたい人ができる環境を

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「このようにスポーツくじの助成金が使われているのはうれしいことです。こういう助成があることで、体操を教えたい人が教えて、体操をしたい人ができる環境になっていく。例えば、子どもたちは選手用の器具を触れるだけで、体操選手になりたいというきっかけになる。実際の器具は高さも雰囲気も違う。私の教室でも触れたことがない子がほとんど。そういう機会を身近にして経験させてあげたいです」

 体操が身近なものになれば、体操に触れる子どもたちも増えていく。そのうえで、岡部さんは子どもたちにこんなメッセージを送る。

「まずは好きなことは、とことんやってほしいですし、色々なことに挑戦してほしいと思います。私は体操専門だけど、体操だけをやってほしいとも思わない。野球、サッカー、バスケットボール……体操で学んだことを色々なスポーツに生かしてもらえれば、今後につながる選択肢が増えていくと思う。その中から、体操をずっと続けていきたいという選手が一人でも生まれてくれたらうれしいです」

 心の真ん中にあるのは「子どもたちが体操を通じて成長し、未来の可能性を広げてほしい」ということ。では、自身はこれから先、どんな未来を描いているのか。

「今やりたいことは体操の発展、周知すること。例えば、野球、サッカーは草野球、草サッカーといったように、大人になっても競技を楽しめる環境が当たり前にあるけど、体操はそうじゃない。難しくてできないと思われてしまうスポーツ。でも本当は、できなかったことができるようになる、その達成感を味わえることこそ体操の魅力。大人にとっても気軽に楽しめ、身近に感じられるようなスポーツにしたい。競技としてオリンピックでメダルを獲るくらい強いけど、一般的に選手の名前は3、4人くらいしか挙がってこない。もっと多くの人に、体操の魅力を知ってもらえたらと思います」

 子どもから大人まで、体操がもっと身近に楽しめる競技になれば、競技人口も増え、競技全体が成長していく。そうすれば第2の内村航平、白井健三といった未来の金メダリストが生まれ、体操界の強化、発展の可能性にも繋がっていく。インタビューの最後には、華麗に「逆立ち女子」を披露した岡部さん。しかし、体操界の未来を見据える視線は、ひっくり返ることなく、しっかりと定まっている。

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岡部 紗季子おかべ さきこ

1988年5月16日、東京都生まれ。朝日生命体操クラブ出身。4歳で体操を始める。2002年、代表メンバー初選抜。明治大学在学時には2大会連続ユニバーシアード代表に選出。得意種目はゆか。引退後は明治大学体操部コーチを経て、体操教室で指導を行う。TBS系人気番組「KUNOICHI」でも活躍。自身のインスタグラムでは現役時代の経験を生かし、街、海など様々な場所で逆立ちを披露する「逆立ち女子」として人気を博している。

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