インタビュー
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逆境を力に変える「楽しめたもん勝ち」の心 代表エースの前向き思考
バレーボール 西田有志選手
「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、バレーボール男子日本代表で副主将を務める西田有志選手が登場する。破壊力のある強力なサーブと最高到達点350センチという驚異の跳躍力で頭角を現し、2021年の東京オリンピックでは29年ぶりのベスト8入り、今年のネーションズリーグでは銅メダル獲得に貢献。エースとして日本代表を牽引するが、2022年に原因不明の体調不良に襲われた。後編では、今も薬を飲み続けているというが至って前向きな思考を持つその裏側、そして逆境も力に変える人生観について迫る。
(前編はこちら)中学時代は同級生を指導 日本代表エースを夢に近付けた“負けず嫌い”
目標の舞台だったオリンピックで7位「あれだけ刺激的な大会はない」
――目標にしていたオリンピックという大舞台に立って、実際に見えた景色はいかがでしたか?
「テレビで見ていたオリンピックにはお客さんがたくさんいました。でも、東京オリンピックは新型コロナウイルス感染症の影響で無観客開催になってしまった。あの大会に出場した人間しか経験できないオリンピックだったと思います」
――オリンピックの雰囲気を感じることは難しかったですか?
「逆に燃え上がった部分もありました。選手たちの声がすべて聴こえる状況で、気持ちの高揚が分かりやすかった。流れが来ているチームは自然と声が大きくなる。だからドキドキしたし、ハラハラもしました」
――日本代表としては29年ぶりのベスト8入りでしたが、7位という結果には満足していない?
「満足している自分もどこかにいました。ベスト8という目標を達成しているわけですから。でも欲が出ますし、勝負になったら絶対に勝ちたい。負けてその大会が終わるのは悔しいし、絶対に勝って終わったほうがいい。そこの悔しさはあるけれど、並行して楽しかったという気持ちも大きかったです」
――夢や目標に到達すると達成感に浸ってしまう選手もいる気がします。
「それは確かにあったかもしれません。あれだけ刺激的な大会はありませんし、オリンピックの価値は言葉で語れるものではない。オリンピックに出場して引退を決意する選手の気持ちが少し分かった気もします。そこですべてを燃やし尽くすというか」
――いわゆる燃え尽き症候群になってしまう心理も理解できる、と。
「分からなくもないです。それだけ自分をプッシュしなければいけないですし、重圧もすごい。その大会での結果が日本代表の位置、国の位置になってしまうというのは、ものすごく大きなプレッシャーです」
――東京オリンピック終了後、イタリアのプロリーグ・セリエAへ挑戦しました。新たなチャレンジを決意した理由は?
「大会が終わった直後は、少し休みたいと思う自分もいました。それだけオリンピックのプレッシャーがあったのでしょう。なかなか100%の状態でプレーし続けるのが難しい時期でした。でも、イタリアではプレー以外にも、言語などいろいろな要素を求められたので、それにフォーカスしていました。結果として新たな環境でチャレンジしたのが人生においてプラスになったと思います」
生きることに精一杯だった原因不明の体調不良
――昨年12月の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会での優勝後、西田選手は原因不明の体調不良に苦しめられたことを公表されました。どのような状態だったのか、あらためてお聞きしてもよろしいですか?
「すべてが楽しくなくなりました。生きることに精一杯で、とにかくしんどかったです」
――症状としては?
「急に発熱して、最初はコロナやインフルエンザを疑ったんですけど、どちらも陰性でした。熱が下がったと思ったら次の日に高熱が出て、悪寒や倦怠感に襲われる。シャワーを30分くらい浴びて身体を温めていました。まだ10月なのに、寒くて耐えられないから暖房をつけながら寝ていたんですけど、見たことないくらいの汗をかいていました。服を着たままプールに飛び込んで、出てきてすぐの状態くらい汗びっしょり。普通ではないのは明らかでした」
――練習は続けていたのですか?
「病院に行くまでは意地でトレーニングを続けていました。気持ちで負けたら終わりだと分かっていたので。でも、だんだんLEDライトが眩しく感じてきて、目を開けられなくなりました。鏡で見たら真っ赤に充血している。それでドクターに相談して、病院へ行きました。最初、血液検査で正常値ではない項目がMAXで25項目くらいあったんです。白血球の数も異常で、白血病の検査をしたけど違いました。癌やリウマチ、ウイルス感染症の検査をしても該当しない。薬を7~8種類飲んで、胃がずっとムカムカして、脱水状態になって。病院へ行くたびに数値が悪くなって、1回の血液検査で8本くらい採血されて、それが肉体的にも精神的にもキツかった。今年はバレーボールをやるのはもう無理かなって。とりあえず生きることで精一杯でした」
体調不良をあえて公表した理由とは…
――苦しい時間はどれくらい続いたのですか?
「最初に病院に行ってから、1か月半から2か月くらいですね。安静にしていたら、だんだんと熱が下がって、症状も消えていったんです。ただ検査の数値だけが悪い状態で、薬は飲み続けました。それで先生に『もう我慢できないからバレーボールやっていいですか?』とお願いしました」
――運動を始めたら症状が出てしまう不安は?
「そういったリスクがあったのかもしれませんが、身体を動かさないと不安が消えなかったんです。ストレスが溜まっていく一方だったので、とにかくスッキリさせたかった。久しぶりに動いた時はものすごく疲れたけど、家のベッドで寝転がっているよりも全然いい。人と話して、身体を動かす。その時は選手としてのレベルアップではなく、ストレス発散に近い状態だったかもしれません」
――あえて公表した意図は?
「隠し事をしている自分が嫌だったんです。少なからず僕のことを応援するために会場に足を運んでくださっている方がいたので、その人たちのために説明しないといけない。天皇杯が終わってから公表しようと決めていて、優勝の感想を聞かれたタイミングで話をオープンにさせてもらいました。どんな反応をされるのか気になる部分はありましたけど、自分の中にあるわだかまりを取りたかった」
――さまざまな病気で苦しんでいる人たちにとって勇気や励みになるのでは?
「公表してからSNSのダイレクトメッセージをいただきました。似た症状の方もいらっしゃって、そこには『元気をもらいました』と書いてありました。僕はあくまでも自分の感情を表に出したかっただけですけど、結果として苦しんでいる方、闘っている方に、そういった言葉をいただくのは嬉しかったです」
――今も不安や怖さと戦っている部分があるのでしょうか?
「それはまったくありません。たまに当時の症状と似ている状態になるとドキドキするくらいです。身体が熱いなとか。トラウマになっているんですよね。でも病名もないし、いったい何なのか原因も分からない。とにかくいろいろな人を困らせてしまいました」
逆境をも力に変えるポジティブシンキング「楽しめたもん勝ちですよ」
――昨年12月31日にはNECレッドロケッツ所属の古賀紗理那選手との結婚を発表しました。苦しい時期の支えになった存在なのでは?
「とても大きな存在です。もし自分1人だったら、もう生きなくてもいいと思うくらい落ち込んでいました。外に出られず、寝ているしかない状態だったけど、ずっと話を聞いてくれました。心配をかけるので近い人にもほとんど言えなくて、精神的にも辛かった。一緒にいても僕はずっと寝ているだけで、邪魔にならないようにしていました」
――家庭を築くと新しい価値観が生まれるのでは?
「まだ自分の中でそれを見つけられていませんが、少なからず『人のために』という感情は生まれてきました。喜ばせたいという感情が湧いてきます。今までは自己満足でした」
――ここまでお話をお聞きして、西田選手は基本的にとてもポジティブシンキングだと感じました。
「スポーツ選手が楽観的に『なんとかなるでしょ』と言うと、めちゃくちゃ適当に聞こえますよね(苦笑)。でも、失敗したことを落ち込んでも、新しいことがうまく周り始めればそちらに頭が切り替わる。失敗したから新しいことで補って成功して、その繰り返し。ただ、トライすることだけはずっと大切にしています」
――トライし続ければ、もし結果を得られなくてもいい?
「そうですね、結果や成績以外にも得るものはたくさんあると思います。落ち込む時間もありますけど、あと何年生きられる中での上手くいかない時間なんだろうと考えれば、大きなダメージにはなりません」
――苦しい時間を経験したからこそ、言葉に重みがあります。
「成功したら楽しいし、失敗したら悔しい。それが人生だと思っていますし、ずっといい時なんてない。その時々の人生をいかに楽しめるかが大切だと思っています。苦しい時でも何か楽しいことを見つけて、リフレッシュして、それで本業がうまくいけばいい。楽しめたもん勝ちですよ」
――では最後に、東京オリンピック出場を経て、パリオリンピックの位置付けは?
「今度は予選があるので、僕としてはそこからオリンピックが始まるくらいの気持ちで臨みます。予選をいい形で突破できれば、本大会でも一気に上へ行ける。オリンピックは一度出たら、また出たくなる大会。結果が出るまでのプロセスは長いけど、だからこそやり甲斐があるし、燃えます。パリオリンピックで少しでも高い位置に行くことが今のターゲットです」
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西田 有志にしだ ゆうじ
2000年1月30日、三重県出身。パナソニックパンサーズ所属。ポジションはオポジット。元バスケットボール選手の両親を持ち、姉と兄の影響で幼稚園児の頃からバレーボールを始めた。高校時代は全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)への出場は叶わなかったが、U19日本代表に選ばれ、第11回アジアユース男子選手権大会で優勝。VプレミアリーグのジェイテクトSTINGSに高校生選手として参加し、卒業後に正式入団した。2020年にはチームをVリーグ初優勝、天皇杯初優勝に牽引した。日本代表では2019年に初選出され、若きエースとして活躍。2021年には東京オリンピックに出場し、2023年にはネーションズカップで銅メダルを獲得した。2021年にイタリアプロリーグのセリエAに移籍するも、翌年にジェイテクトSTINGSに復帰。2023年にパナソニックパンサーズへ移籍した。
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