インタビュー

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インタビュー

オリンピックは「5回くらい出たい」 “想像の先”を歩き続ける成長物語

金メダル候補に挙がる東京オリンピックへの想い

 近年、大きな盛り上がりを見せる日本の卓球界。2020年に行われる東京オリンピックでのメダル獲得に期待が高まっている。その中で注目を浴びる一人が、男子の張本智和選手だ。15歳にして世界ランキング3位を記録し、日本をけん引する存在に。今、その視線に「オリンピック」という舞台はどう映っているのか。

「もし、出場することができれば、自分にとっては初めてのオリンピック。これから何回か出場する機会があったとしても、東京オリンピックが一番特別なオリンピックになるという気持ちは強いです」

 前回のリオデジャネイロ大会当時は13歳、中学校1年生だった。「初めて観たオリンピックがリオ大会だった」という。当時は男子シングルスで水谷隼選手が銅メダル、団体(水谷選手、丹羽孝希選手、吉村真晴選手)で銀メダル、女子も団体(福原愛選手、石川佳純選手、伊藤美誠選手)で銅メダルを獲得した。

 卓球ニッポンの底力は日本に大きな感動を呼んだ。「特に、男子の選手が活躍していて凄いなと思った」という張本選手。一方で「その時は『4年後に自分が出るんだ』という意識はなかった。オリンピックで戦う選手たちって凄いな、と思っていたくらい」と振り返る。しかし、たった3年で「金メダル候補」と言われるほど、目覚ましい成長を遂げた。

 リオ大会の翌年に行われた2017年6月の世界選手権ドイツ大会男子シングルスで準々決勝進出。大会史上最年少となる13歳で8強入りを果たし、「チョレイ!」という試合中の雄たけびとともに一躍、その名が全国区になった。同年8月のITTF(国際卓球連盟)ワールドツアー・チェコオープンで男女を通じて最年少優勝を達成。2018年1月の全日本選手権でも史上最年少優勝を記録した。

 なぜ、ここまで急成長することができたのか。本人は「リオ大会が終わってから半年くらいで強くなれた」と言う。ターニングポイントになったのは“ある敗戦”だ。2016年12月、南アフリカで開催された世界ジュニア選手権で史上最年少優勝を飾った直後、翌月の全日本選手権ジュニア男子シングルス準々決勝で敗れた。「メダルも獲れず、自分に失望したし、その後に選んでいただいていた(シニアの)世界選手権も自分に(出場する)実力があるのだろうかと思いました」。この一敗が卓球に取り組む意識を変えた。

「この大会の以前は100%真面目には練習に取り組めていませんでした。あそこで負けてから、100%真剣に打ち込むようになりました。挫折を味わったことが凄く良かったです」

「楽しさ」に魅了され、打ち込んだ15年の卓球人生

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 初めて「負けの悔しさ」を知ったという大会から、練習の質、量はもちろん、一球一打に対する集中力が研ぎ澄まされた。もう、あんな悔しさは味わいたくない――。その想いが、自分を“想像の先”に導く、成長の原動力になった。「リオ大会の時、3年後にこの立ち位置にいるのは想像できていなかったので、自分でもビックリしています」と振り返った。

 オリンピックが夢ではなく、現実的な目標になった。15歳にして濃密ともいえる卓球人生。「15歳にしては大人と接する機会が多いですし、普通の同級生よりは精神的に成長しているのかなと思います」と笑う。

 もともとは「楽しさ」に魅了され打ち込んだ卓球だった。卓球選手だった両親のもとに生まれ、初めてラケットを握ったのは2歳の時。当時の記憶はない。覚えている「最初の卓球の記憶」は4歳の時。「台に届かないので、椅子に乗って卓球をしていました」と言う。幼心に卓球の楽しさは刻み込まれている。

「あの頃が一番、楽しいと思ってやっていたのかなと思います。勝ち負けではなく、卓球というスポーツが楽しいなと純粋に思っていました。ボールを打ち抜く瞬間、それが思うように綺麗に決まった時が一番楽しかったです」

 小学生の時は特別、厳しい練習をしていたわけではなかったという。たくさん食べ、早寝早起きし、しっかりと勉強する。ただ、何事にも妥協しない性格だった。「卓球だけではなく、勉強もかけっこも全部1番になりたかった」。だから、何かで負けると「ほぼ毎日のように泣いていた」と振り返る。人一倍の負けず嫌いだったことが、卓球をする上で一番の武器になった。

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 中学生になると、東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)を拠点に、全国から発掘した有望選手を競技団体の一貫指導システムに基づいて育成する「JOCエリートアカデミー」に入校した。授業が終わると、NTCに戻って1日3時間みっちりと練習に打ち込む。「午後9時まで練習場が自由に使える。自分が100%満足できる練習ができた」。部屋は4人1組、門限は午後6時30分、就寝前には携帯電話を預ける。厳しい規律でも、その必要性を理解していたから、苦痛には感じなかった。「遊びたいと思ったこともあるけど、早く寝ないと体にも良くないので」と振り返る。

 食堂に入れる午後9時ギリギリまでいつも汗を流し、最後は慌てて練習場を飛び出していくような日々。練習漬けの3年間で実力を磨いた。

「技術はもちろんですけど、一番得たものは人間性。卓球だけではなく、英会話の講習だったり、言語技術という授業だったり、それらに日々取り組むうちに自然と人間力が向上して、それが卓球に生かされました。試合中、今までだったら焦ったり、取り乱したりした場面で落ち着いて、自分の気持ちをコントロールして試合ができるようになりました」

 こうして話を聞いていると、大人びた印象もあるが、卓球を離れれば、素顔は15歳だ。リラックス方法は「学校の友達と遊んだり、たまにカラオケに行ったりすること。何でも歌います、特に明るい歌が好きです」とはにかんだ。オンとオフを上手に切り替えられることも、強さの一つだ。

盛り上がる卓球界の“熱”を支える存在とは

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 目下の卓球界の人気ぶりについて「これまで時代を作ってきた水谷さん、福原さん、石川さん達のおかげで僕も注目してもらっている。最近はTリーグもあり、日本でも身近に卓球を感じてもらえていることは、選手としても嬉しいです」と歓迎する。

 張本選手も盛り上がりを感じている卓球界を支えているものの一つが、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金だ。張本選手を輩出したJOCエリートアカデミー事業や、将来有望な選手の発掘育成、地域で開催される大会の開催など、競技の普及・発展のために役立てられている。

 こうした積み重ねもあり、近年は張本選手のほかにも次々と10代の若い選手が台頭。張本選手自身、「未来の張本智和」を目指した子どもたちが卓球に打ち込む姿をニュースで見聞きする機会が増えたという。

「僕も水谷さんに憧れて頑張ってきましたので、自分を目標にしてもらうことはとても嬉しいです。たくさん練習して強くなって、いつか一緒に日本代表として戦いたい。そういう子がたくさん出てきてほしい。小学生は野球、サッカーをやる子も多いけど、当たり前のように卓球を部活などでやってくれるようになれば、僕たち(選手)のモチベーションも上がります。そういう存在になることを目指しています」

 オリンピックには「生涯で5回くらい出たい」と言うが、東京で行われるオリンピックは特別だ。「このスピードでもっともっと成長していかないと、東京オリンピックでの金メダルは難しいと思っています」と気を引き締め、残り1年余りの課題を挙げた。

「もし、決勝に行けば90%くらいの確率で樊振東(はん・しんとう)選手(中国)と当たると思います。東京オリンピックまでに一番伸ばさなければいけない部分はメンタル面です。技術は練習し、習得するのは当たり前。それをしっかりと試合で使うこと。自分はオリンピックを経験していないので、プレッシャーに動じないメンタルが大事になると思います」

 東京オリンピックで卓球王国・中国のエースを倒し、金メダルを獲得するという強い想いを明かしてくれた張本選手。最後に「これから競技を続ける上で、どんなアスリートになりたいですか」と聞いた。

「卓球をやる子どもたちに憧れられる存在になることが一番の目標。『卓球をやるなら張本選手みたいになりたい』と言ってもらえるような選手になりたいです」

 そんな言葉には、卓球界の未来を担う覚悟が感じられた。17歳で迎える2020年夏。成長の余白は十分にある。東京に最高の雄たけびを響かせるべく、さらなる高みを見据え、進化を続ける。

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張本 智和はりもと ともかず

2003年6月27日、宮城県仙台市生まれ。中国の卓球選手だった両親の下に生まれ、2歳から卓球を始める。小学校1年生から世代別で全日本選手権8年連続10回優勝。2016年世界ジュニア選手権大会優勝、初出場の2017年世界選手権大会8強。2018年は全日本選手権大会、ITTFワールドツアー・グランドファイナルで史上最年少優勝を達成し、2019年1月に自己最高の世界ランキング3位を記録。Tリーグでは木下マイスター東京に所属し、チームの優勝に大きく貢献した。

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