インタビュー

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インタビュー

若き天才ジャンパーはなぜ飛躍したのか 快挙の裏にあったメンタルの成長

日本人初ワールドカップ年間総合王者が語るスキージャンプの魅力

 2018-19シーズン、スキー界で歴史的快挙を成し遂げた選手がいる。男子スキージャンプの小林陵侑選手は、ワールドカップ初勝利を挙げたのを手始めに、なんとシーズン13勝をマーク。2位に大差をつけて日本人初の年間総合王者に輝いたのだ。

 岩手県の小さな村が生んだジャンパーが手にした大きな勲章。本人をして「凄かった」と振り返る。幕開けとなったのは、2018年11月にフィンランドで行われたFISスキージャンプ・ワールドカップ男子個人第2戦ルカ大会。自身初のワールドカップ優勝を飾ると、以降、各地で優勝を重ねていった。

 年末から年始にかけては、オリンピックと並ぶほどの権威があると言われる伝統の祭典「ジャンプ週間」で4戦全勝。これは日本人としては初めてで、スキージャンプ史上でも3人目の快挙だった。表彰台には21回も上がり、スキージャンプ・ワールドカップの総合優勝という栄誉を勝ち取ったのだ。

「そんなに自信はなかったですけど、一戦一戦自分の良いジャンプができたので、このような結果になったと思います。毎試合の積み重ねだと思います」

 やってのけた快挙とは裏腹に本人は実に謙虚だが、世界を熱狂させたのはまぎれもない事実だ。特に「ジャンプ週間」には連日1万人~2万5,000人の観客が詰めかけた。スキージャンプは、欧州では国民的な人気競技。選手の超人的なジャンプが熱狂を生む。

「毎日のように超満員のお客さんが入って、ジャンプを観てくださっている。大きなイベントみたいに楽しんで観てくれているので、盛り上がりはすごいですね。そうやって、観に来てくれているお客さんが期待するグランドスラム(ジャンプ週間4戦全勝)を見てもらえたというのは、すごく大きな経験になりました」

 そのような体験をしただけに、もどかしい思いも口にする。スキージャンプが文化として成熟している国がある一方で、日本では、まだまだ人気競技とは言えない現状がある。

「たくさんの人が観に来てほしいという想いはあります。僕らは飛んで盛り上げることしかできないんですけど……。やっぱりジャンプがどんな競技かを知ってもらいたい。知ってくださる方が増えてくると、僕もすごく嬉しい気持ちになります」

飛躍のきっかけはメンタル面の変化「緊張しなくなりました」

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 改めて飛躍のシーズンを振り返ると、小林選手の中で何が変わったのだろうか。それまでワールドカップで一度も表彰台に上がったことのなかったジャンパーが、1シーズンで13勝を挙げ、ワールドカップポイント(各試合の順位に応じた得点)は歴代2位の数字(2,085ポイント)をたたき出した。

「周りから、次もワールドカップで勝ってくれと期待されるようになりました。日本チームも全体的に本当に強くなっています」と回想し、さらに技術的な面については「ジャンプの感覚は掴んだところはありましたね。アプローチ(助走)が良くなったので、飛び出し(踏み切り)も空中姿勢も良くなったという感じです」と説明した。

 小林選手にとって最高のジャンプは、2019年3月に行われたFISスキージャンプ・ワールドカップ男子個人最終第28戦プラニツァ大会(ヒルサイズ=HS240メートル)で記録した252メートルの大ジャンプだ。当地のジャンプ台でのヒルレコード。「会心のジャンプだった」と振り返り、「楽しかった。ジャンプの魅力は遠くに飛ぶこと。楽しくジャンプができないと距離は出ません」と心境を明かす。

 その背景には技術だけでなく、メンタルの面でも大きく変化があったと強調する。

「チームの取り組みで、メンタルトレーニングとして脳波トレーニングを始めました。そういう効果もあったからだと思います。実際の脳波を測って、カウンセリングをしました。それで今まで気づかなかったことが見えてきました」

 リラックス状態の際に出る脳波を特別な機器を使って測定。競技の際に理想的な脳波を作り出せるように、精神状態をコントロールする作業を繰り返す。やがて機器に頼らずとも、理想とするコンディションを作り、維持できるようになったという。

「もともとすごく緊張するタイプでした。今でも緊張はしますが、その度合いが減ったという感じだと思います。ジャンプは結構、メンタルが勝負なところもあるので、そこは成長したと思います」

 これだけの実績を残した小林選手ですら、未だに「怖いですよ」と語るスキージャンプ。時速90キロにも達するという速さで急斜面を滑降。身体一つで大空へ向かって、一番小さいノーマルヒルでも100メートル近くを飛翔。まるで鳥のように美しく飛型を決め、雪しぶきを上げながら着地する――。未経験者には想像を絶する競技だが、スキージャンプを始めたきっかけは、共に2018年の平昌オリンピックにも出場した兄・潤志郎さんの影響だったという。

 岩手県松尾村(現八幡平市)出身。4人兄弟の次男でジャンプ一家に育った。5歳でスキーを、小学1年生でスキージャンプを始めた。特に今の小林選手の礎となっているのは、地元・岩手県のタレント発掘・育成事業だ。スピードスケートやラグビー、レスリングといった様々な競技に挑戦した。

 小学5年生から中学3年生まで同プログラムを経験し、よりスキージャンプの魅力を感じることができたという。

「参加したきっかけは、宣伝しているのを見て楽しそうだなと思ったからです。いろんなスポーツを体験したり、栄養の勉強などもしました。どのスポーツも楽しかったけど、一番楽しかったのがジャンプでした」

 スキー以外の様々な競技にチャレンジしたことで運動神経の発達を促し、ジャンプに必要なバランス感覚などが自然と身についたという。「当時、いろんなスポーツを経験したことがよかった。それが今に生きていると思います」と振り返りうなずいた。

ジュニアアスリートにエール「目標をもってやることが大事」

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 今の小林選手が形成されたきっかけでもあるジュニア時代の発掘・育成プログラム。スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金は、地方自治体が行っている発掘・育成事業に活用されている。また、それだけにとどまらず、スキージャンプ場の設備やスキー教室の開催などにも助成金は役立てられている。小林選手の地元・岩手県八幡平市のスキージャンプ場もその一つだ。競技の普及、発展を願う若きジャンパーは「すごくありがたいことですね」と感謝の言葉を口にする。

 さらに、スキージャンプがもっと身近な競技になることも強く願っている。「なかなか子ども達がジャンプに触れる機会がない。僕の地元の岩手の八幡平だったり、長野の飯山とかだったり、そういう地方になってしまうので。都心部でもジャンプ競技を始めたいと思ってくれる子ども達が増えればいいなと思っています」と期待も語った。

 世界で戦い、かつ頂点に立ったアスリートとして、熱い視線を浴びるようになった小林選手。小さい頃に今の姿は「とても想像できなかった」というが、将来世界で戦うことを目指すようなジュニアアスリートたちにアドバイスを送った。

「目標をもって取り組むことが大事だと思います。僕も今のような姿は想像していませんでしたが、目標をもって練習に取り組んでいました」

 そんな小林選手にとっての次の目標は、2022年の北京オリンピックでのメダル獲得なのだろうか――。すると意外な答えが返ってきた。

「まだメダルとかは想像できないですね。まだまだ先の話。(北京では)ジャンプ台も完成していないので、何も考えられないですね」

 圧倒的な強さで年間王者に輝いた小林選手。「まずは今シーズン。まずは1勝すること(が目標)です」と冷静だった。期待されることには「重圧よりも、嬉しいです。(期待に)応えられたら一番いいですね」と笑顔も見せるが、2年後の大きな舞台に立つためにも、目の前の一歩一歩を大事に歩んでいくことが栄光への道。今の自身をより高めることだと信じている。

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小林 陵侑こばやし りょうゆう

1996年11月8日、岩手県生まれ。小学校1年生でスキージャンプを始める。全国中学校スキー大会では史上2人目となるジャンプとノルディック複合の2冠を達成。盛岡中央高等学校を卒業後に株式会社土屋ホームに入社。2017-18シーズンまではワールドカップで6位入賞が最高。2018年の平昌オリンピックでは、個人ノーマルヒルで日本勢最高の7位入賞。2018-19シーズンはワールドカップ第2戦で初優勝。以降は「ジャンプ週間」で4連勝するなど13勝をあげ、日本人初の総合優勝を飾った。

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