インタビュー

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インタビュー

試練を越えて大躍進 女子やり投界・期待のエースが見据える世界の頂点

1年に2度も日本記録更新、笑顔が目映い新女王の誕生ストーリー

 2019年、陸上界では21歳が持つ明るく弾けんばかりのビッグスマイルが太陽のように輝いた。その笑顔の持ち主とは、女子やり投のエース、北口榛花選手だ。

 5月の木南道孝記念陸上競技大会(木南記念)で64メートル36を投げ、それまでの日本記録を56センチ更新する日本新記録を樹立。9月にドーハで開催された世界陸上競技選手権大会(世界陸上)こそ予選敗退の悔しさを味わったが、10月の北九州陸上カーニバルでは66メートル00のビッグスローを披露。5月の記録を大幅に更新し、1年に2度も日本記録を打ち立てた。

 幼い頃から英才教育を受けてきたのかと思いきや、北口選手とやり投の出会いは高校進学後だった。故郷の北海道では3歳の頃からスイミングスクールに通い、小学校、中学校時代にはバドミントンも経験。「生活の中に組み込まれている感じだった」という水泳では自由形を得意とし、様々な大会で好成績を残した。北海道旭川東高等学校では水泳を続けるつもりだったが、入学後まもなく陸上部の顧問だった松橋昌巳氏と出会う。

「陸上部の顧問だった松橋先生にお誘いいただいたのですが、最初はずっと断っていたんです(笑)。でも、来るだけでいいから、と誘われて、とりあえずお話を聞いて、やりを投げさせてもらったら楽しくて。最初はなかなかやりを投げられなかったり、やりが地面に刺さらない人が多いのに、私の場合、最初からやりが刺さったんです。その時の地面に刺さる音が気持ち良かったですね」

 やり投は6回の試技※のうち、最も飛距離の出た1投の記録で争われる。「1投に全部の力を注いでいい。そういうところも自分の性格に合っているのかなと思いました」と、競技との相性もピッタリだった。とはいえ、長さ2メートルを超えるやりを助走をつけて遠くまで投げるのは至難の業。「最初はやりを持って走るとか考えられなくて、短い助走をずっと続けていました」と、笑いながら振り返る。

 試行錯誤はあったが、小中学校と続けた水泳とバドミントンの経験が生きた。「周りには野球経験者が多くて、助走をつけてバックホームする感じで投げているのかな、と。私は何かを投げる競技はしていなかったので、感覚を掴むまで少し苦労しました。でも今、自分が投げる時の特徴は、腕の振りの速さと身体をしなやかに使えること。これは水泳やバドミントンの動きが今でも生きているんだと思います」と胸を張る。

初めてやりを持ってから2年で世界の頂点も、大学進学後に迎えた試練

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 しばらく水泳と両立していたが、高校1年生の秋にやり投に専念することを決意。すると、見る見るうちに結果が表れた。高校1年生の時に北海道大会で優勝すると、2年生では全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、日本ユース選手権大会(日本ユース)、国民体育大会(国体)で優勝し、3冠を達成。2015年1月に日本陸上競技連盟から2020年の東京オリンピックやその後の国際大会での活躍が期待される次世代の競技者「ダイヤモンドアスリート」の第1期生に認定され、同年7月には女子主将として出場した第9回世界ユース陸上競技選手権大会(世界ユース)で60メートル35を投げて優勝。初めてやりを手に持ってから、わずか2年で世界の頂点に立っていた。

 日本大学に進学後も、入学まもない2016年5月にセイコーゴールデングランプリ陸上 2016 川崎で日本歴代2位となる61メートル38を記録。将来を嘱望されるアスリートとして、このまま順風満帆に進むのかと思われたが、陸上の神様は北口選手に試練を与えた。大学入学後に師事したコーチが、退任してしまったのだ。

「大学2年生からコーチがいなくなって、私の中でまだやり投がどういうものか、理解していないまま1人になってしまったんです。何をしたらいいのか分からなくて……」

 途方に暮れていた北口選手を支えたのが、高校時代の恩師やユース代表で知り合ったコーチ陣、大学の先輩たちだった。当時のことを振り返れば、感謝の気持ちで一杯だが同時に「大学の先輩方には一番負荷が掛かっていたと思います。自分で修正箇所が分からないまま投げ続ける私を、先輩方は自分の練習が終わった後も見てくださっていたので」と、今でも申し訳なさそうに語る。

 現役アスリートでもある先輩たちに負担をかけ続けたくない。何よりもしばらく自己記録を更新できていない状況を打破したい……。その矢先、2018年の日本陸上競技選手権大会で予選落ち。北口選手のトレードマークとも言える、弾けるような笑顔が消えた。「このままじゃ本当にダメになってしまう。自分でなんとかしなくちゃ」。沸き上がってきた悔しさと危機感が、行動力に火を着けた。

行動力でたぐり寄せたチェコ人コーチとの出会い

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 同年11月、フィンランドで開催された「ワールド・ジャベリン・カンファレンス」に北口選手の姿はあった。世界各地のやり投関係者が集う場で出会ったのが、やり投の強豪国・チェコ出身のデビッド・シェケラック・コーチだ。母国ではユース世代も指導するシェケラック・コーチは、ユースで優勝経験を持つ北口選手の存在を知っており、その場で動画を見ながらアドバイスをくれたという。

「いろいろ話をする中で『実は今、コーチがいないんです』と伝えたら、『東京オリンピックでメダルを獲りたいんじゃないの? もっと遠くまで投げたいでしょ?』と。『もちろんです』と答えると同時に、今このタイミングで練習を見てほしいとお願いしたら受けてくれそうな感じがしたので、思い切って聞いたら『いいよ』と言ってくれました。すぐに名刺を交換して、日本に帰ってきてからメールを送りまくって(笑)、まずは(2019年)2月に1か月間、チェコで一緒に練習させていただきました」

 チェコでは「下半身の使い方」を改善。どのコーチにも指摘される課題だったが、それまでは「求められることが難しくて、私の足ではそんなことはできない」と苦しんだ。シェケラック・コーチがそれまでの指導と違ったのは、「できないと言ったら、少しレベルを下げて教えてくれました」と、北口選手に寄り添い、導いてくれた点だ。結果はすぐに実を結んだ。チェコ修行から帰国直後の5月、木南記念で64メートル36の日本新記録を樹立。合わせて東京オリンピックの参加標準記録も突破した。夏には再びチェコに渡り、シェケラック・コーチ指導のもと3か月間のトレーニングを実施。10月の日本記録更新に繋げた。

「インターハイに出たいという気持ちで始めたのに、まさか世界ユースで優勝したり、今は日本記録を更新したり。そんなことは考えていなかったので、自分自身がすごく驚いています。今、日本のトップになりましたけど、アジアや世界に視野を広げると、まだまだ挑戦者でいられるし、やれることはある。守りに入ったらダメなので、挑戦し続ける気持ちでいます」

ジュニア世代に教えたい「世界との繋がり」を持つ大切さ

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 スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金は、未来の陸上界を担う将来有望な選手の発掘・育成事業や陸上教室、大会の開催などに役立てられている。北口選手も、高校生の頃から強化選手として海外での合宿や研修、大会出場を重ねた経験が自分の考え方に大きく影響しているという。「ジュニア世代の選手たちにも海外を見てほしい。チャンスがあれば、積極的に海外に出ることは大事じゃないかと思います。競技に対する考え方が日本と違う部分もあるので、バンバン質問することも大事。うまくいったいかないよりも、海外と繋がることに意味があると思うので」と、ジュニア世代から海外の選手やコーチと親交を深め、ネットワークを広げ、繋がることの大切さを説いた。

「私は海外で試合に出るだけではなく、毎年合宿にも行きました。そこで友達ができたり、知り合いのコーチが増えたり。今回の世界陸上は予選落ちしましたが、日本人だけでなく海外の方からもたくさん声を掛けていただいて、日本人だけど世界(の人々)と繋がれている気持ちになれたんです。技術的な面や体力的な面も大事だけど、世界に仲間を作ることは大事。私がチェコのコーチと出会えたのも繋がりがきっかけですから」

 開催が迫る東京オリンピックに向けても、シェケラック・コーチとの二人三脚で進んでいく。

「オリンピックでメダルを獲得したい、68メートルを投げたいということを伝えて、今のコーチに見てもらっているので、その目標に向かって頑張っていきたいと思います。今まで投てき種目はヨーロッパの選手が強くて、日本人は戦えないという風潮がありました。その中で自分がメダルを獲得して、日本人でもできるという姿を見せたくて。投てきでの日本人女子で初のメダルを目指していきます」

 ただ、東京オリンピックはあくまで「ゴールじゃなくて通過点」。その先には、さらに大きな目標を見据えている。

「日本での開催だからオリンピックで頑張りたい気持ちは強い。でも、その先も競技は続きます。オリンピック、世界陸上で金メダルを獲ったり、世界記録を狙えるような選手になりたいですね。2019年は日本人でもヨーロッパに行って、しっかりと練習に取り組めば、結果が出せることを証明できた。オリンピックの後も海外の試合にたくさん出て、日本人やり投選手という立場を確立させたいです。そして、やり投と言えば……(北口)と言われるような選手になりたいです」

 その大輪の花のような笑顔は、場を一瞬にして温かく包み、和ませる魅力を持っている。試練を乗り越え挑戦をしていくことで、成長し続ける北口選手。東京オリンピックはもちろん、その先も「榛花スマイル」で世界を包み込むことだろう。

※やり投の決勝では、計6回のチャンスが与えられる。4回目以降を投げられるのは、最初の3回で上位8人に残った選手のみ。

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北口 榛花きたぐち はるか

1998年3月16日、北海道生まれ。日本大学所属。3歳からスイミングスクールに通い、小学校からはバドミントンも始める。北海道旭川東高等学校でやり投に出会うと、一気に才能が開花。競技開始からわずか1年で、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、日本ユース選手権大会(日本ユース)、国民体育大会(国体)で3冠を達成する。2015年1月に日本陸上競技連盟から「ダイヤモンドアスリート」に認定され、同年7月の世界ユース陸上競技選手権大会(世界ユース)で優勝。大学4年生の2019年5月、木南道孝記念陸上競技大会(木南記念)で64メートル36を投げて日本新記録を樹立すると、その5か月後の10月には北九州陸上カーニバルで66メートル00を投げて日本記録を更新した。

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