インタビュー

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インタビュー

集大成として臨む5度目のオリンピック 母娘の二人三脚で歩んだ現役生活

ママアスリートが目指す東京オリンピック、1年延期に「喪失感はありました」

 2020年7月29日。クレー射撃・日本代表の中山由起枝選手は、自身5度目となるオリンピックの舞台で女子トラップ個人本戦に臨み、愛用するベレッタ社製の銃を構えているはずだった。だが、新型コロナウイルス感染症が世界中に拡大し、東京オリンピック・パラリンピックの開催延期が決定。およそ1年後の2021年7月23日に開幕することになった。

 5度目のオリンピック出場は、女性アスリートとしては柔道金メダリストの谷亮子氏と並び、夏季オリンピックで2人目の快挙となる。18歳でクレー射撃を始め、今年で23年。数多くの国際大会を経験する中で、オリンピックを特別な舞台と感じるようになったのは、実はつい最近だったという。

「東京オリンピックに出場できれば5度目になりますが、自分の中ですごいと思ったことはないんです。すごいなって実感できたのは、新型コロナウイルスの影響でオリンピックの延期が決まってから。それまで周りから『5度目なんてすごいね』『メダルを獲ったのと同じくらいの価値がある』と言われても、正直あまりピンと来なかったんです」

 シドニー大会、北京大会、ロンドン大会、リオデジャネイロ大会。これまで出場した4大会は「大会ごとにさまざまなドラマがありましたが、どちらかというと淡々と時間が過ぎていく中で迎えるという感じでした」という。だが、「今回はなかなか5回目に到達しないのがありまして……」と笑う。

「子育てと並行でやってきた私にとって、東京オリンピックは最後の集大成として位置づけていたんです。娘は18歳になりましたし、私の競技人生としては最後になるだろうと。6回目、7回目と言う人もいますが、まず5回目が迎えられるかどうかという状況になってしまった。集大成として位置づけていただけに、1年延期になったこともあって、喪失感はもちろんありました」

 2020年のオリンピック出場を目標に、逆算をして練習計画を立てていた。それも「全部白紙になりました」。当初は何をどうすればいいのかモヤモヤした気持ちを拭えなかったが、緊急事態宣言が解除された5月頃、「一度自分の頭からオリンピックを外さないといけない」と思ったという。

「自分のやれること、やるべきことだけを一生懸命やろう、という気持ちに切り替えることができました。そうできたのも、東京オリンピック出場を集大成として強く思っていた部分があったからだと思っています」

何気ない父親の言葉で実感したスポーツの価値「スポーツがないとつまらないな」

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 コロナ禍に身を置いて、競技と「すごく大きく向き合いました」という。誰しもが実感した健康であることの有り難み。オリンピック延期で揺れた自身の心。様々な要因が入り混じり、5度目のオリンピックが特別だという実感が沸いてきた。

「オリンピック出場が叶ったとしても1度か2度の出場が多い中、5度目となれば、健康であって、一つのことをやり続ける信念と忍耐力がなければ、到底叶わないんじゃないかと思えるようになりました。これまでオリンピック出場を自力で獲得してきた自負もあったのかなと思います」

 緊急事態宣言が発令されると、日本のスポーツ界の動きが一気に止まった。5月後半にアマチュアスポーツ界から活動再開の動きが始まると、6月にはサッカー、野球などのプロスポーツが規模を縮小して再開。スポーツ界は感染防止対策を講じながら、かつての盛り上がりをめざして再スタートしている。スポーツがある日常は、実は当たり前のものではなかったと気づき、その価値を再認識している人は多い。中山選手の場合、父親が呟いた何気ない一言が心に刺さった。

「父がふと放った言葉なんです。『スポーツがないとつまらないな』って。プロ野球もゴルフも相撲もテレビ観戦すらできない。普段だったらなんとなく聞き流すところでしたが、その時は『あぁ、なるほど』と受け止めました。私の身近にいる人間が発することで、すごく重く意義のある言葉に感じられたんです。スポーツの魅力を発信するためにも健康でないといけないんだなと感じました」

 日常生活からスポーツが失われた時、「私が与える影響なんてちっぽけなこと。多くの人にとってスポーツはほとんど意味がないと感じた時期もありました」と振り返る。だが、父親の言葉で「スポーツが社会にもたらす価値をすごく感じて、自分もその一員なんだという想いを強くしました」。喪失感や悲しみを覚えることもあったが、今では東京オリンピックに向けて「ポジティブに前向きに頑張りたいと思います」と笑顔が弾ける。

クレー射撃は「究極のメンタルスポーツ。普段から乱れない心を持つことが大切」

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 競技人生の集大成と位置づけた東京オリンピック。18歳から歩み続けたアスリートとしての道は、決して平坦ではなかった。

 小学生の頃からソフトボールに熱中し、強豪・埼玉栄高等学校に進学。だが、進路を決める高校3年生の時、クレー射撃競技をシンボルスポーツとしてオリンピック出場をめざすため、射撃部を創設した日立建機からオファーが舞い込んだ。突然の話に「当初は困惑しました」と明かすが、「チーム競技から個人競技に移っても競技者としては変わらない」というソフトボール部顧問のアドバイスもあり、未知の挑戦に乗り出した。

 狩猟をしていた祖父の影響で散弾銃の存在は知っていたが、クレー射撃というスポーツ競技があることは知らなかった。ましてや実弾と実銃を扱うのは初めてのこと。さらには、いきなりオリンピック出場という目標も掲げられている。18歳が背負うには大き過ぎるプレッシャーだが、「ワクワクドキドキ、これからどうなるんだろう、という期待感の方が大きかったですね」と振り返る。

 入社早々、クレー射撃の先進国であるイタリアに留学をした。言葉が分からず苦労したが、3か月が過ぎ、ようやくコミュニケーションを取れるようになると、競技の腕はメキメキ上がった。

 クレー射撃の中でも中山選手が専門とするトラップは、射台の15メートル先から飛び出すクレー(皿)を撃つ種目。射手の掛け声に合わせて、高さや方向がランダムに飛び出すクレーを撃ち落とす。1ラウンドにつき25枚のクレーを射撃し、1枚のクレーを2発以内(決勝では1発)で撃破することができれば、得点となる。

 数多くのルーティンをこなすものの、射台の上では「無の境地」という中山選手。クレー射撃の大きな魅力は「実弾と実銃を使った迫力」と「究極のメンタルスポーツ」である点だという。

「クレーを瞬時に発見して引き金を引く。対人競技ではないので自分との戦いですし、究極のメンタルスポーツだと思っています。普段から乱れない心を持つことが大切。日常生活の中で平穏に過ごすことを心掛けています」

 ソフトボールとは全く異なる競技に、あっという間に心惹かれた。「楽しかった。練習に行くのがとにかく楽しかったです」という姿勢が結果に結びつき、競技を始めて3年の2000年、初めてのオリンピック出場を果たした。

 一度競技から離れ、翌年には長女を出産。その後、競技にも復帰し、ママアスリートとして子育てと競技を両立させながら、2008年の北京大会で2度目のオリンピック出場。愛娘が甘えたい盛りの頃は「もう辞めてほしい」と言われ、引退すべきか迷ったこともある。だが、世界を相手に活躍する母の姿に感じるものがあったのだろう。辞めてほしかった気持ちは「頑張ってほしい」に変わり、大学1年生となった今では「唯一無二の存在」と誇りに思ってくれている。

「私たちらしい色であって、私たちらしい形。オリンピックまでのプロセスを通して成長した親子、ここにあり、みたいな(笑)。本当に愛おしいし、本当に私の宝物になっていることが、何よりもうれしいです」

愛娘と歩む東京への道「私たちにしかできない生き方だったり、プロセスだったりを大切に」

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 競技と子育てという二足のわらじを履くだけでも大変だが、なんと“三足のわらじ”だった時期もある。2017年から順天堂大学大学院に入学し、女性コーチの存在の重要性や、女性アスリートが結婚、出産を経ても競技者として活躍できる環境作りについて学んだ。

「リオデジャネイロ大会が終わった後、日本スポーツ振興センター(JSC)の助成(※)を利用して、大学院に進学しました。競技と子育てと並行しながら学業にも挑戦して、修士論文も書きました。大学院へ進んだのは、将来、未来に向かって選手を育成、輩出することに関わりたいという想いがあったからです。スポーツはまだまだ男性中心の社会で、どうしても女性が少ない。どうしたら女性アスリートをもっと輩出できるかを研究したので、セカンドキャリアでは役立てられるように頑張りたいと思います」

 他にも、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金は、クレー射撃のクレー放出装置をはじめとしたスポーツ用品の設置、未来を担う有望選手の発掘・育成事業、地域のスポーツイベントの開催などに役立てられている。

 東京オリンピックの後には選手の育成や競技の普及活動の道へ進もうという中山選手。競技人生集大成の場では、メダル獲得を狙う。

「オリンピックを通して得るものが大きくて、子育てをしながらやってきた自分がいなければ、ここまで成長することはできなかったと思います。娘が『唯一無二』と言ってくれたことが私にとっては励みになり、私にしか経験できないことと思えた瞬間でした。東京オリンピックまでの日々を、私たちにしかできない生き方だったり、プロセスだったりを大切にしながら過ごせればいいなと思います」

 愛娘からもらった『唯一無二』という母としての“メダル”。東京オリンピックでは競技者としてメダルを獲得し、両立生活の有終の美を飾りたい。

※スポーツ振興基金助成の選手・指導者研さん活動助成

(リモートでの取材を実施)

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中山 由起枝なかやま ゆきえ

1979年3月7日、茨城県生まれ。日立建機所属。小学生の頃からソフトボールを始め、強豪・埼玉栄高等学校ではキャッチャーとして活躍した。高校3年生の時、射撃部を立ち上げた日立建機からスカウトされ、卒業後に入社。すぐにイタリアへ射撃留学に向かい、約1年間の修行に励む。2000年のシドニー大会でオリンピックに初出場。その後、出産を経て2003年に復帰。2008年の北京オリンピックでは女子トラップ種目で4位入賞を果たす。2010年の広州アジア大会で女子トラップでは日本人初の金メダルを獲得。2013年のISSF世界クレー射撃選手権大会では、日本人初の銀メダルを手に入れた。2012年ロンドン大会、2016年リオデジャネイロ大会と、これまでオリンピックには4度出場。2021年の東京オリンピックへの出場も内定しており、実現すれば柔道の谷亮子氏以来、日本人女子では2人目となる夏季オリンピック5度目の出場となる。

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