インタビュー

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インタビュー

「勝てる場所で勝つ」という思考 陸と氷、2つの道で貫く結果を求める人生

中学生の頃から貫いた「結果が全て」の競技生活

 陸と氷、2つの道を駆け抜けた。ボブスレーで2014年ソチオリンピックに出場した佐藤真太郎氏。中学3年生の時、陸上400メートルで全日本中学校陸上競技選手権大会を制した。早稲田大学では1999年、2000年に日本陸上競技選手権リレー競技大会4×100メートルの連覇に貢献。2009年から大東文化大学で陸上競技部のコーチを務めながら、選手としてオリンピック出場を目指していたが、陸上一筋だった人生から32歳でボブスレーに挑戦した。きっかけは2013年に日本ボブスレー・リュージュ連盟(現 日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟)による選手発掘のためのトライアウトが行われたことだった。

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「キャリアの最後のタイミングでトライアウトがありました。競技の特性上、長年やってきた陸上競技の経験を生かせるので、チャレンジしてみようと思ったのが大きなきっかけです。もともと身体が強く、体重も重かったので、どちらかというと陸上以外の競技種目に向いているとよく言われていました。自分の能力は陸上以外で役に立つものがあるのか、ワールドクラスの身体能力を持つ人間と比べてどれくらいの力があるのか、ということを知りたかったんです」

 探求心で一歩踏み出し、トライアウトに合格。ボブスレーの4人乗り種目に挑戦した。やはり最初は怖かった。インターネットで動画を見ても、目立つのはクラッシュしたシーン。「本当に乗っても平気なのかな」。ハンドル操作を行う「パイロット」は経験者が務め、自身はそりを押す「ブレーカー」を担当。本物のコースに出る前に練習用の陸上コースに出たが、腰が引けた。

「下り坂で思い切り押しながら加速して飛び乗らないといけない。怖いですよ。本物のコースに出ると、上から第1コーナーが見えるのですが、途中から壁に張り付いたようにギュンって曲がるのが見えるんです」

 だが、3、4回と重ねていくうちに、徐々に「やれる」という自信がついてきた。不思議なことに怖さが減ると、次のスリルを求める。「ある程度、怖さがある競技じゃないとつまらない。例えば、スキーで初心者用のコースをずっと滑っていてもつまらないじゃないですか。それと同じです。難易度が高くならないと飽きてしまう」。レベルアップするとともにボブスレーの面白さにのめり込み、チームで100分の1秒を縮めることに熱中した。

 競技転向してまでも目指したのはオリンピックだった。中学1年生の時は駅伝が主戦場。中学の途中から400メートル、23歳から本格的に100メートルへと種目変更しても「結果が全て」という信条を貫いてきた。コーチとして学生を指導し、教育や研究を本業としながらも選手として陸上競技生活を続ける中で生まれたのは「オリンピックに行かないまま競技生活を終えていいのか」という迷い。自問自答を繰り返し、一人のアスリートとして答えを出した。

「そこは目指さないといけない。後でどう言い訳しても区切るのは自分。やはりオリンピックに出て終われるのであれば、目指したいと強く思いました」

 トライアウト合格で開けたオリンピックへの道。2014年に日本代表として参加したノースアメリカカップで優勝するなど結果を残し、ソチオリンピックの出場権を獲得。本大会は26位だった。夢の舞台を滑り切り「めちゃくちゃ嬉しかった」という心境になった。何より陸上選手時代からオリンピック出場を期待してくれた恩師に対し、夢の達成を報告できたことが喜びだったという。

「勝てる場所で勝つ」「勝てば後から好きがついてくる」という考え方

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 複数の陸上競技種目、ボブスレーを渡り歩いた中で、大事にしてきた考え方がある。それは「勝てる場所で勝つ」「勝てば後から好きがついてくる」というものだ。

 駅伝から400メートルに転向した中学時代。実は母親が心臓病を患っていた。元気づけたい一心で陸上と勉強に集中。「喜ばせようと思ったらやっぱり勝たないといけない。負けるとがっかりするので」。より勝てる可能性が高い種目として400メートルで戦う道を選んだ。長距離以上に自身の適正を感じ、努力次第では日本一に手が届く自信があったからだ。

「1日に200メートルを20本くらい走っていました。自主練習でもブラックアウトするレベルまで追い込んだ時期もあって、これ以上できないというくらい練習しました」。400メートルは陸上競技の中でも過酷とされる種目の一つ。「正直、最初はとても嫌いでしたね」とはじめは前向きではなかった。それでも、中学2年生の終わり頃に気持ちが変化。嫌いだった種目のことを、いつの間にか好きになっていた。

「技術的にいろいろなことを発見できました。動きを変えれば辛さもスピードも、全く変わってくるという面白さ。勝つためにはどうしたらよいか・どうやったら楽に走れるのかを研究し、自分で調べてやってみたことがうまくいった時。この練習方法が自分に合っていると知った時は楽しかったです。400メートルは、誰も積み上げられないところまで積み上げれば(上に)行けるかもしれない種目。頑張って終わった時に達成感を得られることや、家族や恩師に良い報告ができたこともあり、チャレンジしたことは非常に有意義でした」

 中学3年生の夏に全国制覇。勝てる場所で勝ち、勝てば後から好きがついてきた。競技生活終盤でのボブスレーへの挑戦も、よりオリンピックに出られる可能性が高いと感じたことが理由の一つ。この考え方があるからこそ、種目や競技の垣根を越えて活躍できた。

 2つの競技を通じて佐藤氏自身が学んだことは「継続して取り組む大切さ」。これは今のコーチ業にも生かされている。勝てる場所で勝てるよう、適正に合った競技をさせるのも大事。しかし、適正競技に取り組んでいたとしても、選手が順調に成長していくとは限らない。「コーチの方が忍耐が必要」と粘り強く向き合い、適正を見極めながら継続性を持って指導している。

競技普及にはトップチームの強化が急務

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 自身が競技生活の終盤をささげたボブスレーは競技普及が課題の一つだ。馴染みのない人に楽しさを伝えるためには、佐藤氏は競技だけでなく、そりなどの道具を間近で見てもらうことも大切だと考えている。自身も初めてそりに触れたのはトライアウト合格後。「感動しました。今まで使っていた選手の歴史が刻まれています」と機体の傷に目が留まり、競技への思いが高まった。

 陸と氷の上で努力を重ねてきた佐藤氏は「スポーツは取り組むだけで価値があると思います」と語る。自分の健康のためだけでなく、家族内でも話題にできるからだ。「例えば子どもが、『今日はかけっこ頑張ってきたよ』『みんなで楽しくやってきたよ』という報告ができただけで家族が喜んでくれる。活発に取り組んで、笑顔を見せてくれただけで十分意味があると思います」。スポーツはする人が喜びや達成感を得られたりするだけでなく、周りの人も巻き込んで生活を豊かにしてくれることがある。それが社会に提供できるスポーツの価値だという。

 そんなスポーツ界を支えているものの一つが、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金だ。スポーツの普及・発展のために活用されており、ボブスレーでは、大会の開催や選手の発掘・育成事業などに役立てられている。佐藤氏も選手発掘のトライアウトに参加したことでオリンピック出場につながった。

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 また、海外でも、高い身体能力を持った選手が転向してくることの多い競技。佐藤氏は競技の普及・発展のためにトップチーム強化の必要性を説く。

「選手が大きな大会で活躍して、ニュースで取り上げてもらうことが大切です。冬季スポーツはスター選手の存在が重要。トップチームを作っていくために助成金がトライアウトなどに使われていますし、支援していただくことでいろいろな活動ができます。そこからスター選手が出てくる可能性がありますから。特にボブスレーのような競技にとっては、助成金は凄く有意義なものだと思います」

 そもそも日本のボブスレー界に世界的選手がいない背景には、他競技の層の厚さも影響しているようだ。「海外では、他の競技で選手が押しのけられる競争原理が働いているんですよ」。佐藤氏が言うには、アメリカやイギリスなど陸上の強豪国では短距離やハードルの選手層が厚く、世界のトップレベルだった選手が早い段階でボブスレーなどの競技に転向することがあるという。

「転向してきた選手がとんでもなく強いんです。でも、日本でそのレベルの選手がいたら30代後半まで、専門としてきた陸上競技でも、日本代表で長く活躍できる。日本はそういった競争原理において、アメリカなどの強豪国にまだまだ及ばない部分があります。強い選手発掘には魅力的な情報発信ができるスター選手の育成は必須。そこは強い国と弱い国で根本的に違う部分ですね」

 現在、佐藤氏は大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科で准教授を務めながら、陸上選手たちを指導している。佐藤氏には、陸上とボブスレーの2つを経験したからこそ、できることや願いがある。

「僕は陸上競技の指導者でもあるので、ボブスレー界と連携していくことができます。向いている人材がいればトライアウトに参加させたり、ここ(大東文化大学)で合宿をしてもらうために場所を提供したり。新型コロナウイルス感染症が終息したら、陸上とボブスレーのタイアップができるよう、2つの競技を接続する存在になれればいいかなと思います」

 陸と氷を駆け抜けたアスリート人生。かつてそりを押した両手は、人と競技の背中を押している。

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佐藤 真太郎さとう しんたろう

1980年8月20日、埼玉県生まれ。中学から駅伝などで本格的に陸上競技を始める。途中で転向した400メートルで、3年時に全日本中学校陸上競技選手権大会を制覇。埼玉県立松山高等学校ではインターハイに出場した。早稲田大学では1999年と2000年に日本陸上競技選手権リレー競技大会の4×100メートルを連覇。大学卒業後に塾講師を経て、2004年に筑波大学大学院へ進学。修士課程1年時に茨城県代表として出場した国民体育大会男子成年100メートルで優勝。大学院修了後は狭山ヶ丘高等学校・附属中学校で教員を務め、2009年から大東文化大学で陸上競技部を指導。2013年5月にボブスレー日本代表の「選手発掘トライアウト」に合格。日本代表として出場した同12月のワールドカップ・レイクプラシッド大会は19位。2014年1月のノースアメリカカップで優勝を果たし、同2月のソチオリンピックは26位だった。現在は大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科で准教授を務める。

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