インタビュー
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失意から立ち返ったスキーの原点 楽しさと基礎の再確認で呼んだ成長
フリースタイルスキー・モーグル 堀島行真選手
不安な気持ちで臨んだ平昌オリンピックで結果が出ず「苦しかったです」
2018年2月12日、平昌オリンピックで行われたフリースタイルスキー・男子モーグル。当時20歳だった堀島行真選手は、金メダル候補として期待を一身に受けてスタートラインに立った。
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「前年(2017年)の世界選手権で優勝したことで、金メダル候補と期待されるようになりました。でも、ただ1試合で優勝しただけで、ライバルと比べた時に自分が100%勝てるという要素がなかった。その現実と周りからの期待とのギャップで、かなり不安な気持ちでスタートラインに立っていたのを覚えています」
予選は通過したものの、決勝2回目で転倒し、結果は11位。「4年間目指してきた舞台の本番で自分の実力を出せずに、自分がどこまでできるか分からないまま終わってしまった印象でした」と振り返る。がむしゃらに世界一になりたいという気持ちのまま、金メダルだけを目指したが、追い求めた結果は掴めず。「自分は何を求めてやってきたのか、喪失感というか、そこは苦しかったです」と言葉を繋いだ。
自分に足りなかったことは何なのか――。失意の中で現実と向き合うと、見えてきたものがあった。「結果だけを求めすぎて、自分の技術を高めたり新しいことにチャレンジしたりできていなかったと気づきました」。ポジティブな気持ちで競技生活を再スタートさせるためにも、自分にとってスキーは楽しいものという原点に立ち返ることにした。
両親の影響でスキーを始めたのは1歳の頃。「自分の年齢がスキー歴みたいな感じです」と笑う。「きれいに整地された場所より、難しいコブ斜面にトライすることが楽しくて」と、小学4年生で本格的にモーグルに取り組み始めた。「コブ斜面を下る間にジャンプが2つある。運動会の障害物競走で壁をよじ登ったり網の中をくぐったりする感じと似ていて、どれだけ速くどれだけきれいに滑れるか、そういうところがすごく楽しいんですよ」と声を弾ませる。
少しでも上手くなりたいと毎日練習を繰り返し、できなかったことが一つずつできる楽しみを味わった少年時代。平昌オリンピック後すぐに出場した大会では、エアの技をいつもより多くひねったり回転させたり、楽しさを思い出す工夫を重ねていくと、ふと視界が開けた。
「オリンピックは自分の好きなスキーで成長し続けるための過程にあるものだったんだと思いました。結果は天気などで左右されやすいけど、自分が得た技術やそれまでの努力、感じた気持ちは積み上がるもので、誰にも取られることはない。メダルやリザルトの他にも大切なものがあると学べました」
平昌で味わった苦しさは、より大きく成長する上で必要なステップだったのかもしれない。
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