インタビュー

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自分で限界を作らない 夏冬“二刀流”に挑むパラリンピアンが見る景色

パラアルペンスキー 村岡桃佳選手

平昌パラリンピックでの快挙後に直面した苦悩とは

 二刀流の挑戦を続ける人がいる。パラアルペンスキー/パラ陸上競技(短距離)の村岡桃佳選手だ。単に2競技を掛け持っているわけではなく、いずれも世界トップを競うレベルなのだから凄い。

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 パラアルペンスキーでは、2018年の平昌パラリンピックで女子大回転(座位)での金メダルを含む出場全5種目でメダルを獲得。パラ陸上競技では2021年の東京パラリンピックで100メートル(T54クラス)に出場して6位入賞。そして現在は再びパラアルペンスキーに舵を切り、2022年3月の北京パラリンピックに向けて最終調整に取り組んでいる。

 村岡選手にとって二刀流の道は自然な流れだった。4歳の時、脊髄炎の影響で車いす生活となった。小学3年生でチェアスキーと出会い、中学2年生から本格的にパラアルペンスキーの世界に入った。だが、実はパラ陸上との出会いの方が早かった。「陸上を始めた翌年にチェアスキーを体験して楽しさを知りました。その後、スキーは年に1、2回行く程度で、陸上は継続して大会にも出ていました」と振り返る。

 スキーを本格的に始めた後は自然と陸上から離れる形になったが、再び真剣に向き合ってみようと決めた。主な理由は二つある。一つは東京パラリンピックの開催、そしてもう一つは平昌パラリンピックで見せた自身の活躍だ。

 自国がパラリンピックの舞台となる機会は滅多にない。パラアスリートであれば誰もが「出てみたい」と願う舞台だろう。だが、その想いを夢で終わらせるのか、現実の目標としてチャレンジするのか、そこに大きな分岐点がある。村岡選手は後者を選んだ。

「平昌で想像以上の結果を残すことができて、次の目標を考えた時に2022年の北京より先に頭に浮かんできたのが、陸上に競技レベルでしっかり取り組みたいということでした。本当にいろいろ悩んだ結果、陸上への再挑戦を決意しました」

 夏と冬の二刀流挑戦を宣言したのは、2019年4月のこと。IPCアルペンスキーワールドカップで初めてシーズン総合優勝を飾った直後だった。平昌で5種目のメダルを獲得した後に臨んだワールドカップは「すごく辛いシーズンでした」と振り返る。

「周囲からもそうですし、何よりも自分が自分に対して『メダリストだから勝って当然』『勝たないといけない』と必要以上にプレッシャーをかけていました。もちろんワールドカップの総合優勝は簡単に獲れるものではなく、最後の最後まで競り合った末のこと。『このレースで転んだら……』『ここで順位を落としたら……』と不安や恐怖に襲われる中、夜に宿泊先のベッドで泣きながらポイントの計算をしたこともあったほどです」

 今でこそ「スキーが楽しくなくて嫌になってしまうと、今度は好きなスキーを嫌になっている自分が嫌で。負の連鎖ですよね」と苦笑いするが、当時は心がギリギリの状態。少しスキーと距離を置いた方がいいかもしれない――。そんな心の揺れも陸上への再挑戦を後押しした。

◆次ページ:陸上挑戦で取り戻したスキーの楽しさ「やっぱり雪上にいるのが好き」

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