インタビュー

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陸上界のエースが送った普通の少年時代 両親と保てた心地いい距離感

陸上 橋岡優輝選手

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、日本走幅跳界のエースとして活躍する橋岡優輝選手が登場する。両親は元陸上選手で、叔父はシドニーオリンピック男子走幅跳日本代表の渡辺大輔さん。さらに、サッカー日本代表の橋岡大樹選手(シント=トロイデンVV)を従弟に持つアスリート家系に生まれ育った橋岡選手は、どのような少年時代を過ごしたのか。前編では、陸上競技との出会い、そして両親との心地いい距離感などについて聞く。

アスリート一家に生まれ育つも「両親から受けた影響はほとんどありません」

――橋岡選手のご両親はともに陸上の元日本記録保持者で、いわゆるアスリート一家を想像します。やはり幼少期から自然と陸上競技に触れて過ごしてきたのですか?

「いえ、両親から受けた影響はほとんどありません。両親の教育方針は『子どもの人生に何かを押し付けることはしない』というもので、仮の話として僕が野球やサッカーをやりたいと言っていれば、おそらくやらせてくれたでしょう。陸上をやれ、と言われたことは一度もないですし、両親が現役時代にどんな選手だったのかを知ったのは中学生になって陸上部に入ってからです(苦笑)。家にトロフィーやメダルといった類のものが飾られていることもなかったですし、陸上をやっていたことをなんとなく知っているだけでした」

――それは驚きです。家庭での教育は元アスリートならではの厳しさがありましたか?

「社会へ出て行く上で必要なことを習った記憶はあります。マナーの部分や人として困らないような礼儀作法ですね。特に箸の持ち方は口酸っぱく言われた記憶があります。でも、両親はあまり厳しいタイプではなかったと思います。締めるところは締めて、自由にさせてもらえるところは自由というか。共働きだったこともあって、僕は祖父や祖母と家にいることが多かったです」

――中学生になって陸上部に所属し、少しずつ競技者への階段を上がっていきました。その決断の背景に両親の存在は?

「両親は僕の人生を尊重してくれていますし、あくまでも自分で決めた道です。僕自身も『自分がやっている陸上に両親は関係ないよね』というスタンスで、のびのびと陸上をやらせてもらいました。だから、両親の存在や実績をプレッシャーに感じたことはありませんし、自分でも図太く成長したと思いますね(笑)」

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――では、ご両親と陸上競技について会話をする機会は?

「両親は、中学校で部活を始めた時から指導については顧問の先生に一任していました。高校も大学も、顧問の先生やコーチにすべてを委ねていました。具体的な指導を受けた記憶はほとんどありません」

――ほとんど、と言うと?

「高校生になって試合があった時に、父親が記録として動画を撮影してくれていました。その映像を家に帰ってから両親と一緒に見て、『この時はこうしたらいいよね』というほんの少しのアドバイスをもらった記憶があります。それは親目線の言葉というよりも、競技者としての言葉でした」

――その後、壁や困難にぶち当たった時に相談したことは?

「高校生になって、踏切の足を圧迫捻挫してしまった経験があります。その状態での試合は少しリスクを取らないといけなかったこともあって、気持ちがネガティブになっていました。まだ高校生だったので自分だけでは消化しきれず、『次の試合は多分だめそうだ』とこぼしてしまったんですね。その時、親と競技者としての中間の立ち位置を取ってくれた記憶があります。日常的に指導を受けていたら弱音を吐くこともできなかったでしょうし、救われた思いでした」

――適度な距離感で見守りつつ、応援するというスタンスだったわけですね。

「本当にありがたかったです。陸上をのびのびとやらせてもらって、陸上を窮屈に感じたことは一度もありません。両親は何かをやれとは一切言わなかったですし、逆に両親が逃げ道になってくれていた気がします。どうすればいいのかわからなくなった時、迷った時に、両親に相談できる状況をうまく作ってもらえていた気がします」

小学生で野球やサッカーを始めようと考えた経験も

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――あらためてのお話になりますが、橋岡選手が初めて陸上に触れた瞬間の記憶は?

「小学3年生の時に参加した市の陸上競技大会です。種目は100メートルで、応募すれば誰でも出場できる大会でした。学校単位で申込用紙が配られて、参加費用を支払えば絶対に出場できました。少しだけ足が速いんじゃないかなと思って参加してみたら、優勝できたんです。でも、その時は子どもながらに周りに少し自慢したくらいで、陸上競技に真剣に目を向けるというきっかけではありませんでした」

――いきなり優勝してしまうあたりにポテンシャルの高さを感じずにはいられませんが、幼少期はどのように過ごしていたのですか? 陸上競技は始めていなかったということで、他の競技にのめり込んでいたのでしょうか?

「その時々の気分で友だちと遊ぶ普通の少年でした。放課後の校庭で野球やサッカー、テニス、バスケットボールなどをやっていました。でも、友だちの家でゲームに没頭する日もありました(笑)。落ち着きのないタイプだったので身体を動かすことは好きでしたけど、インドア派かアウトドア派と聞かれたら、半々くらいだったと思います」

――オリンピックにも出場するトップレベルのアスリートともなれば、小学生の早い段階からスポーツに熱中しているイメージを抱いていました。

「正直な話をすると、野球やサッカーの少年団に入ろうかなと考えたことはあるんです。でも、どのスポーツにしても土日に試合があるじゃないですか。土日にも活動があると、遊ぶ時間がなくなってしまう。友だちと遊びたいという気持ちが先行していました(苦笑)」

「陸上をやってみたいと思った気持ちを大切にして」

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――中学生になって陸上部に入部した、その決め手は?

「部活動を必ずやらなければならない学校だったので、いろいろなスポーツを考えました。でも、野球やサッカーの場合、小学生の時からクラブチームに所属している子が多いですよね。スタートの時点で差がついているのは負けず嫌いの僕にとって許せなかった(笑)。陸上であればあまり差がなく始められると考えたんです。両親が陸上選手だったというのもなんとなく知っていましたし、とりあえず陸上でいいかと」

――中学3年間の陸上部生活はいかがでしたか?

「うーん、すごく楽しんでいた記憶もあまりなくて、よくいる1人の部員でした。今だから言えることかもしれませんが、練習をサボって友だちと遊ぶ日もありました。それが原因で試合に出させてもらえなかった経験もあります(笑)。陸上一筋といった表現からはかけ離れていた3年間だったと思います」

――それでも中学3年の時に全国中学校体育大会で実績を残してしまうのが、未来のオリンピアンですよね。

「全国大会で3位になれたのは、いろいろな巡り合わせが重なった結果だと思っています。成長期がちょうどその時期と重なって、あまり練習してなくても身体的な部分で補えました。あとはあまり練習をハードにやらなかったおかげで成長痛もなかったんです(笑)。毎日の部活動を程よくこなしていたことが成長曲線とフィットしたのでしょう」

――ただ全国大会3位という結果が、高校生になって本気で陸上競技で上を目指そうと思った一つのきっかけなのでは?

「そうですね。当時は四種競技という混成種目で出場したのですが、陸上の楽しさに気づけたという意味で大きな出来事でした。高校からは陸上をしっかりやってみたいな、と。そこから本格的にのめり込んでいきましたね」

――選手にとってきっかけは大事ですね。まだ陸上競技に触れていない小中学生にも夢を与えるお話です。

「子どもには何かのきっかけで陸上をやってみたいと思った気持ちを大切にしてほしいですし、それを育んでいける環境がもっとあれば素晴らしいと思います。僕が少年団に入ろうか悩んだ時、野球やサッカーを始めることはできましたが、陸上という選択肢はまったくありませんでした。地域にクラブチームがあれば違った人生や可能性があったかもしれません」

――スポーツくじの助成金はアスリートの育成をはじめ、地域のスポーツ施設の整備、大会の開催など、幅広い用途に活用されています。陸上競技界のトップアスリートとして感じる部分もあるのでは?

「陸上競技というところだけにフォーカスすると、競技人口そのものはすごく多いと思います。でも、サッカーや野球と比べるとマイナーで、進んでいないとすごく感じます。そういった部分をスポーツくじの助成金にフォローしてもらい、裾野が広がるのはものすごくありがたいことです。自分が陸上教室を開催したり、そういった場に参加して(メディアに)露出したりすることが競技の発展にもつながっていくと思っています」

――これから陸上を志す少年少女へメッセージがあれば、ぜひお願いします。

「競技者として結果を求めると同時に、周りに何かを伝えていく、残していくことも重要と考えています。まだ陸上競技に触れた経験のない少年少女には、この場を借りて『一緒に陸上を楽しもうよ』と伝えたいです」

 後編では、橋岡選手の成長を後押しするキーワードや、東京オリンピックでの悔しさ、そしてパリオリンピックに懸ける想いについて迫ります。

(後編はこちら)高校生で決めた「競技者」の覚悟 悔しさをバネに目指す世界のトップ

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橋岡 優輝はしおか ゆうき

1999年1月23日、埼玉県出身。富士通所属。中学から陸上を始め、3年生の時には全国中学体育大会の四種競技で3位となる。高校から走幅跳に転向するとすぐに頭角を現し、日本陸上競技選手権大会(日本選手権)では2017年に大学1年生で初優勝してから3連覇。2019年の世界陸上競技選手権大会で8位となり、走幅跳では日本人初の入賞を果たした。2021年の日本選手権で自己最長、歴代2位となる8メートル36を記録。同年の東京オリンピックでは6位となり、日本人として37年ぶりの入賞を果たした。父・利行氏は棒高跳の元日本記録保持者で、母・直美さんも100メートルハードルで日本選手権優勝経験を持つ陸上一家。

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