インタビュー

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インタビュー

小学生から夢を語った理由 奥深い世界で得た「探究心と諦めない心」

陸上 飯塚翔太選手(ミズノ)

2大会連続でオリンピックを経験、飯塚翔太が語る「走る魅力」とは

 夢を語り、人を惹き込み、想いに応えてきた。陸上競技・男子短距離種目の飯塚翔太選手。200メートルと4×100メートルリレーでオリンピックに2大会連続で出場した。リオデジャネイロオリンピックでは4×100メートルリレーの第2走者を務め、史上最高の銀メダル獲得に貢献。幼い頃から夢に見た舞台で戦うまで、目標を公言しながら成長してきた。

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 6月に30歳を迎えた飯塚選手が陸上競技を始めたのは小学3年生の時。ホームルームで記録会の申込書が配られた。地元の静岡県で行われた地域の大会に出場し、100メートルで優勝。陸上クラブの監督から誘いを受けた。「最初は断ろうと思って(勧誘から)逃げようとしていた」と前向きではなかったが、クラブの上級生と走って完敗。「悔しくて『次も行きます』って。ハマってしまいました」とのめり込んだ。

「がむしゃらに走るのが楽しくてわかりやすい。勝ち負けがはっきりしているところが魅力的でした。負けても次は勝ちたいと思う。陸上は記録よりも勝負の世界。その気持ちは今も続いています」

「オリンピック選手になりたい」。小学校の卒業文集に夢を記した。自由研究の発表会では「モーリス・グリーン選手(アメリカの陸上選手で、男子100メートルの元世界記録保持者)の紹介をしました。『こういう選手がいて何秒で走って』って」と憧れの選手をテーマにするほどのめり込んだ。今振り返ってみれば、周囲に夢を語ることで得たものも大きかったという。

「語ることで周りに見られる。努力の手を抜けないような状況をつくること。練習で諦めそうになった時、『この前、オリンピックに出られるように頑張ってねって言われたな』と思うと頑張れる。そうしたら、手を差し伸べてくれる人が現れる。人を紹介してもらえたり、練習方法のアドバイスをしてもらえたり。だから、夢を語った方がいいと思います」

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 中学、高校とレベルが上がるにつれ、トレーナーや海外のコーチを紹介してもらうなど周囲のサポートが増えていった。「高い目標を言い続けることで自分の人生が変わった。人と近くなるきっかけができた」。大学1年生の時に出場したU20世界陸上競技選手権大会では200メートルで優勝。短距離種目において日本の男子選手初の快挙を成し遂げ、オリンピック出場の夢が現実味を帯びた。

 そして、大学3年生の時、ロンドンオリンピックに出場し、夢を叶えた。会場にはテレビで見たことのある人ばかり。ウサイン・ボルト選手の姿に興奮した。「競技者の気持ちでスタートラインに立てなかった。いざ走ると、何もできずに終わってしまった」。4年後のリオデジャネイロオリンピックは「戦う気持ちでスタートラインに立てた」と成長を実感。4×100メートルリレーの銀メダル獲得に貢献した。

◆次ページ:スポーツで学んだのは「探究心と諦めない気持ち」

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