インタビュー

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頂点で持ち続けた挑戦者の精神 「俺は最強だ!」で払拭した弱気の虫

車いすテニス 国枝慎吾氏

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、4大大会(全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープン)やパラリンピックで優勝を重ね、車いすテニス界では唯一の生涯ゴールデンスラムを達成した国枝慎吾氏が登場する。年間最終世界ランキング1位に10回輝いたレジェンドが、長らく座右の銘としてきた「俺は最強だ!」という言葉はあまりに有名だ。ラケットにシールを貼り付け、常に意識し続けた言葉に込められた真意とは……。後編では、ターニングポイントとなった出会いを振り返りながら、「俺は最強だ!」と現実のものとした過程に迫る。

(前編はこちら)世界が称賛する前人未到のキャリア 車いすテニス界レジェンドの原点

試合でも練習でも奮い立たせてくれた大切な言葉

――国枝さんと言えば、やはり「俺は最強だ!」という言葉です。20歳の時に開催された2004年のアテネパラリンピックにおいて男子ダブルスで金メダルを獲得。世界トップの座に向かっていた2006年にメンタルトレーナーであるアン・クインさんと出会い、この言葉が生まれます。

「カウンセリングの時に『ナンバーワンになれるでしょうか?』と尋ねたら、彼女から『あなたはどう思っているの?』と。『ナンバーワンになりたい』って言うと『“なりたい”じゃなく“なる”にしましょう』と返されたんです。それでいいワードがないかなと考えていたら、通訳の方から『最強』というワードが出てきて、ナンバーワンよりも最強の方がしっくりくるなと思って『俺は最強だ!』になりました。朝、トイレに行った時に鏡の前で声に出したり、コート上ではラケットにシールで貼ったその言葉を目に入れるようにしたりして、常に最強というオーラをまとえ、というのが彼女の教えでしたね。

『俺は最強だ!』が知られるようになると、この人は自信過剰なヤツなんじゃないかって思われがちなんですけど、全然そうじゃないんです(笑)。テニスってアベレージで2時間くらいのプレー時間がある。その時間ずっと強気でいることって無理なんです。たとえ相手とかなりの実力差があっても、2時間もやっていれば相手に少なくとも1回は流れがいくもの。弱気になることは試合中に何回もくるし、そのたびにラケットの文字を見る。ダブルフォルトしちゃうかもと思ってサーブを打ったら、そうなっちゃうのがテニス。このまま打ったらやばいと思った時に、一度心を落ち着けて『俺は最強だ!』と言いながら打つとちゃんと入る。試合を通じてメンタルの重要さっていうのはすごく感じるようになりました」

――実際、その年の10月に初めて世界ランキング1位にたどり着きます。言葉の効果というものは他にも何か感じられたことはあったのでしょうか?

「人間なんで、練習でもやる気のない日だってあります。集中力のない日だってあります。本当にそれは最強の選手がやることなのかって自分に問うようにその言葉を目にすると『さあ、やるぞ』ってスイッチが入るんですよね。練習のクオリティまで上げることにつながったとは思います」

自信を持つために弱さを振り払うスキルの習得

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――アン・クインさんとの出会いが大きなターニングポイントにもなったわけですね。

「彼女はメンタルトレーナーというよりも、基本的にピークパフォーマンスのスペシャリストなんですね。2年とか4年とか計画を立てて、目標とするこの大会で勝つためにはどの大会で勝つのが大事かとかピークを設定していくんです。彼女はテニスもうまいし、フィットネス、栄養の部分でも知識が豊富なので、メンタルじゃないところもいろいろと学べました」

――何か一つ挙げていただくとすると。

「運動生理学の分野では3万回同じことを繰り返すと身体にしっかり染みついて無意識で打てるようになるから、そこまでやりましょう、と。これをマッスルメモリーと言うんですが、同じシチュエーションにならないのが特にテニス。相手からのボールの高さもハイ、ミドル、ローと違う。どうすればいいのか聞くと、バックハンドで3万球の練習と言ったら、ハイ、ミドル、ローとそれぞれをやりなさい、と。大変と言えば大変なんですが、この状況でこうすれば相手のコートに収まると身体に染みつけてきたので、その甲斐あってエラーの少ない選手ではありましたね」

――リアルに「俺は最強だ!」になっていきました。

「メンタルトレーニングと聞くと、心を強くするみたいなイメージがあると思います。心が強くなって常に自信が持てるというような。でもそうじゃなくて、メンタルのテクニックを身につけることなんだなって思ったんです。フォワハンドやバックハンドの練習をするのと同じで、スキルを上げていくという考え方。その場で起こった問題に対処する方法として『俺は最強だ!』と言ったりだとか、手で(弱気を)振り払う動作だったりとか。ルーティンだってそうですよね。自信を持つために弱さを振り払って、いかにマインドセットした状態でプレーできるか。そこを心掛けていたつもりです」

――試合を行う2時間の中では自分との攻防もあるんですね。

「試合時間は2時間でも、動画で編集すると30分ほどで終わるんです。つまり打っているのが30分間で、残りの1時間半は“間”。今、MLBでピッチクロック(投球間の時間制限)が注目されていますけど、テニスも数年前からショットクロックが導入されていて、前のポイントが決まってから25秒の間にサーブを始めなければなりません。25秒の間にどう『俺は最強だ!』に持っていけるかが勝負。その間に何をするかというルーティンだとか、自分をどう持っていくかという部分は、他の選手よりも長けていたのかもしれませんね」

――コート上でも国枝さんにはいろいろとルーティンがありました。

「要らなくなって省いたものもあるし、ずっと変えなかったものもあります。変えなかった方で言えばファーストサーブは2回ボールをつく、セカンドサーブは4回。連続でポイントを取られたらタオルで1回顔を拭う、あとは3球持ちもそうですね。チェンジエンドの際はスポーツドリンクを飲んで、バナナを食べて、水を飲んだら、審判からちょうどタイムと言われていましたね」

トップで迎えたスランプ、挫折から得た成長

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――長年にわたって勝ち続ける、トップに君臨するということは至難の業。いかにしてこの難しさを乗り越えられたのでしょうか?

「(2006年に)初めて世界ランキング1位になった後、実はスランプになりました。前からボールが飛んできているのに『自分はどうしてテニスをやっているんだろう』と思ったこともあったんです。スランプ状態のまま、ある大会に出場して1回戦を6-0、6-0と勝った時にふと、『まだ打ちにくいコースがあるし、ミスもする。やるべきことがまだ残ってるんじゃないか』と。ランクが2、3位の時は対1位の選手で考えられるけど、1位だと他の選手の背中が見えない。そこに気づかされてからは対相手じゃなくて、対自分になっていきました。対誰かになってしまうと波が大きくなってしまう。でも対自分にすると、やることがブレなくなるので高いレベルで小さな波になっていく感じでした」

――逆に勝てない時期もありました。2016年に右ひじ痛の再発によってクリーニング手術を受け、リオデジャネイロパラリンピックではベスト8止まりで、シングルス3連覇を果たせませんでした。この年はグランドスラム大会でもシングルスは優勝できていません。

「リオデジャネイロ大会で挫折を経験して、負けることも多くなっていきました。でも敗因があるから、何をすべきかが分かる。すぐには分からなくても、分析して探り当てていくわけです。それってある意味、宝のような価値なんですよね。勝っている時、1位の時は自分のあらを見つけるのがどうしても難しいので。負けた帰りの飛行機で自分のテニスを分析していくと、やりたいことがどんどん出てくる。そうすると早くコートに戻って、試したいという気持ちになる。負けたことで本当にいろんな発見がありました」

――苦しみもあったとは思うのですが。

「もちろんありましたよ。でもリオの前より、リオの後の方がテニスに対してより純粋に向き合えた感覚がありましたね

変化を恐れぬ永遠のチャレンジャー精神

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――バックハンドの打法を変えていくなど取り組みが奏功して、再び勝ちまくるようになっていきます。

「見直したのはバックハンドだけじゃなく、ラケットやチェアなども。そして、新しいコーチに指導を受けることにもなりました。変えることに対する怖れみたいなものがなくなって、むしろ変えることって楽しいなって思うようになりました。2018年に(世界ランキング1位に)返り咲いてから、2021年の東京パラリンピックの2週間前くらいまでバックハンドは変えていました。1位であってもチャレンジャー精神を持って取り組むという状況を作り出せたことが、東京パラリンピックでの金メダルにつながったのかなと思います」

――変化を怖れないマインドが、あの東京パラリンピックの金メダルに結びついていきます。「俺は最強だ!」の他に、アン・クインさんから「I know what to do(何をやるべきか分かっている)」「I can do it(俺はできる)」という言葉を授かったそうですね。

「東京の大舞台では緊張もあって1、2回戦は硬さがありました。アンさんからその言葉をもらって、やるべきことは分かってんだって言いながらプレーしていったらどんどん良くなっていきましたね。『I can do it』と言いながらフォアハンドを打ったりして。決勝の舞台はそれこそ、何をやるべきか分かっているっていう状態で臨めましたし、本当にベストなプレーができました」

――実績を積み上げてからの変化は決して簡単なことではなかったはずです。これはどの競技においても、どの世界においても同じことが言えるのかもしれません。

「成功体験が邪魔してしまうので確かに難しいこと。成功しているものを変えるのはやっぱりリスクなので。僕はリオデジャネイロパラリンピックで挫折を経験して、変えることの楽しさに気づけたし、いかに効果があるかって感じられたので、変え続けることができました。コートの上では『俺は最強だ!』と言っていますけど、コートを離れたら自分を疑いまくりましたよ(笑)。まだここは弱点なんじゃないか、とか。でも、それが良かったんだと改めて思いますね」

――では最後に。プロの車いすテニスプレーヤーとしては引退されましたが、これからどんなセカンドキャリアを歩んでいきたい、と考えていらっしゃいますか?

「(引退した)今はバスケをやったり、水泳をやったり、楽しみを求めるのが結局はスポーツになっちゃっています(笑)。今年1年くらいはテニスの世界から離れて、いろんな価値に触れてみたいですね。もう少し英語も勉強したいので、留学も含めて考えているところ。自分の知見を広げていくなかで熱を注げるものが見つかったら、より素晴らしいセカンドキャリアになるんじゃないかと思っています」

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国枝 慎吾くにえだ しんご

1984年2月21日、千葉県出身。ユニクロ所属。9歳で脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いす生活となり、小学6年生で母の勧めもあって車いすテニスを始める。20歳だった2004年にアテネパラリンピックに出場し、斎田悟司氏とダブルスで金メダルを獲得。2006年10月にアジア人初の世界ランキング1位となった。以来、2023年1月22日に引退表明するまでグランドスラム車いす部門で男子世界歴代最多50回の優勝(シングルス28回、ダブルス22回)、パラリンピックでは金メダル4個(シングルス3個、ダブルス1個)を獲得し、生涯ゴールデンスラムを達成している。2023年3月17日に国民栄誉賞受賞。

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