インタビュー

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必死の努力を重ねながらも忘れなかった原点「やっぱり好きで始めた」

競泳 北島康介氏

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックの100メートル、200メートル平泳ぎで金メダルを獲得し、日本人初2種目2連覇を達成した元競泳選手の北島康介氏が登場する。平井伯昌コーチと二人三脚で、高校時代から4大会連続入賞を果たした“オリンピックの申し子”は一体、どのように誕生したのか。前編では、ライバルや周囲で支えてくれた人々の存在、現役時代から大切にし続ける意識について迫る。

オリンピックという夢に向かって必死に努力した少年時代

――2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックにおいて競泳100メートル、200メートル平泳ぎの2種目2大会連続制覇という偉業を成し遂げられました。しかしながら、子どもの頃から飛び抜けた存在であったわけではなかったと聞きます。少年時代、オリンピックという夢に向かってどのような姿勢で競技に取り組んでいたのかを伺っていきたいと思います。

「僕は子どもの頃から、目の前にあるものを必死にこなしていくというマインドが強かったですね。小学校の授業が終わって放課後遊びに行きたくても、行けない。嫌だなって思っても練習に行かなきゃいけない。そんな毎日が当たり前になっていました。その後、自分が強くなっていく過程において逃げずに水泳と向き合えたのは、忍耐力や競技に対する好奇心といったものがそこで培われたからこそ。今の時代は目標設定をして、練習して、生活をしていくってロジカルになっているところがありますけど、僕らが少年の頃は本能の赴くままにというか、理論的、科学的ではない原始的なトレーニングをしてきた最後の方の世代。水泳って、逃げたくても逃げられない競技なんです。練習しなかったら結果は出ないし、もし休んだりしたら次の日の練習はめちゃくちゃしんどい。身をもってそれを理解していきましたから、(課せられたことに対して)一生懸命やっていくしかなかった」

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――北島さんには、中学3年生の全国中学校水泳競技大会で勝つまでずっと負けていた関慎介さんというライバルの存在がありました。

「僕は萩野公介みたいに飛び抜けた選手でも何でもなかった。僕より速い選手は関くんもそうですけど、他にも何人かいましたから。特に関くんはライバルというよりちょっと憧れていた存在。この人より速く泳ぎたい、勝ちたいと、強い気持ちはあったし、負けたらもちろん悔しい気持ちもありました。全国中学で勝てないとずっと思っていた相手に勝てたわけですから、殻を破れたなって。ただ、敵みたいに思うんじゃなくて、一緒に泳げる喜びみたいなものも感じていました。

 目標の存在もそうなんですが、僕の場合は指導者、家族、学校の先生、友達といった周囲の人にすごく支えてもらった。全国大会で頑張っているからと友達が応援してくれたり、脱線しそうになった時には指導者の方がレールに戻してくれたり。強くなっていったのは、そういった周囲のおかげだと思っています」

中学時代に訪れた平井伯昌コーチとの出会い

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――北島さんでも脱線しそうなことがあったのでしょうか?

「もう、しょっちゅうでしたよ(笑)。だって人間ですから、練習をやりたくない時はやりたくない。コーチの顔だって見たくないし、みんなと遊びたい。だけど、逃げ出したいとか辞めたいとか思ったことは一度たりともなかった。やっぱり水泳と向き合っている自分がいましたから。結局、水泳しかないってなるんです」

――ライバルに勝ったことでオリンピックを現実的に捉えるようになった、と。

「オリンピックは小学生の時からの夢でしたからね。そこを目指してもいい選手なんだって気付かせてもらったところはありましたね」

――中学時代には平井伯昌コーチとの大きな出会いもあり、高校3年時にはシドニーオリンピックに出場するなど才能を一気に伸ばしていくことにもなります。

「コーチが出してきた練習メニューを120%でこなすようにしていました。今振り返ってみると、コーチも自分も当時実績があったわけではないので、お互いに試行錯誤しながら、見極めをしていくことが大事でした。うまくいかないことに対してやめるのか、それとも効果があると信じて続けるのか。続けた方がいいと思って結果がなかなかついてこなくても、自分自身、耐えてやり通せるというのは小さい頃から培ったものが大きいし、結果を出せたことで自信にもなりました。

 高校生まではあんまり深く考えてはなかったと思います。やっぱり毎日が反復練習で、脳ミソも窮屈になってくるので自分が考えるキャパシティを少なくしていたところはありました。任せるところは任せる、と。自分の泳ぎがダメな時にきちんと自己分析するようになったのはだいぶ後ですね。自分で知識をつけたりとか、目標が明確になったりすると、それに対して逆算して、自分はこういう時にどんな状況でいなきゃいけないんだっていうのは、自分の身体が教えてくれるような感覚でした。そこはもうこれまでの積み重ねだし、自分の感覚に従うことで成果を得ていくっていうことができたのかなとは思いますね」

現役時代に続けた強気発言が持つ本当の意味

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――ライバルの存在が自分を引き上げるという意味では、アテネオリンピックでも最大のライバルであったブレンダン・ジョセフ・ハンセン選手もそのような存在だったのでしょうか?

「死ぬほど負けたくなかったですよ。それでも選手として長く同じ時間を過ごしてきた中で、自分の最後の踏ん張りに背中を押してくれる存在でした」

――北島さんには強気だったり、有言実行だったりといったイメージもあると思います。

「僕の場合、日本水泳界が沈み気味にあった時に出てきたので、それを何となく理解して盛り上げるためでもあったし、そういう発言を求められているところもありました。目標をきちんと口に出すことで、逃げない自分をつくるという意味では重要だったのかなとも思っています。勝負にいくわけだし、いろんなものを自分の中で積み上げてきて、どうぞその成果を見てくださいよって感じでした。だから、負けたらどう思われるんだろうとか考えて(発言を)していない。それって勝つことのイメージができていないとも言えると思うんですよ。どう思われるか、なんて考えたら心が窮屈になってしまう。やっぱり好きで始めた競技じゃないですか。本人が楽しめないと見ている人だって楽しめないし、これから始めてみようって思う人もあんまり出てこなくなるんじゃないかって」

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――北島さん自身、楽しむという意識を大切にされてきた、と。

「僕は現役を引退してもう7年経ちますけど、特に最後の方は本当に楽しくやらせてもらっていました。結果はともあれ、競技生活をやらせてもらって感謝しかないです。ただ2大会続けて2種目で金メダルを取ったことが、逆に後輩たちを苦しめていたところもありました。だから、後輩の萩野公介や大橋悠依たちには『金メダリストになって結果を残しているんだから、あとはもっと競技を楽しめばいい。背負わなくていい』と伝えたこともあります。自分の心を豊かにするための競技生活であってほしいので。

 確かに金メダルを取るのは大変。世界中の選手がそこに向かって狙っているわけですからね。でも、一生懸命やってトライしてダメであっても、それが自分の誇りになる。競泳って競技の性質上、FUN(遊び)の要素が少ないと思うんです。どうしても忍耐、辛抱が必要だし、記録競技でもありますから。結果を残さなきゃいけないってイコールでつなげすぎると、どうしても自分がきつくなる。楽しむ姿勢は大切だと思うし、負けることを怖れないでほしいという想いはあります」

――楽しむことは自分のためだけではなく、競技の普及や発展にもつながっていくのかもしれません。

「楽しむということでは大谷翔平選手を見ていてもそうだと思うんです。プレーする本人がエネルギッシュだから、見ている方もワクワクする。話を戻すと、金メダルを取ることも重要なんですけど、好きな気持ちを忘れないで競技をやっていくことが、今のスポーツ界に求められているんじゃないかなって。自分も楽しんで、見ている人も楽しめて。スポーツがもたらす社会性を考えても、それってすごく大切なことなんじゃないかって感じますね」

 後編では、引退後もなお北島氏が抱く水泳に対する深い愛情や、自身の経験を基に考える保護者と子どもの距離感などについてお話しいただきます。

(後編はこちら)“生涯スポーツ”水泳の魅力を再認識 貴重な経験を社会の未来へ還元

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北島 康介きたじま こうすけ

1982年9月22日、東京都出身。5歳から水泳を始め、中学2年生から平井伯昌コーチに師事。中学3年生の時に全国中学校水泳競技大会で優勝を飾る。高校3年生だった2000年、シドニーオリンピックに出場して100メートル平泳ぎで4位に入賞すると、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックでは100メートル、200メートル平泳ぎで日本人初の2種目2連覇を達成。2012年ロンドンオリンピックでは100メートル平泳ぎで5位となるも、2016年オリンピック5大会連続出場を逃した後に引退。現在は株式会社IMPRINT代表取締役社長兼CEO、東京都水泳協会会長として活動する他、東京をホームタウンとする14のスポーツチーム・団体の連携プロジェクト「TOKYO UNITE」の発起人としてスポーツの普及に力を注ぐ。

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