インタビュー

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文武両道を後押しした母との約束 男子とともに築いたサッカーの基礎

女子サッカー 熊谷紗希選手

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、主将としてサッカー日本女子代表・なでしこジャパンを率いる熊谷紗希選手が登場する。まだ女子サッカーの認知度が低かった小中学生の頃には、男子や大人の女性たちと一緒にプレーして腕を磨いた。また、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)でプレーしながら大学で勉学に励むなど文武両道を実現させ、のちに海外に活躍の場を見出した。後編では、幼少期や学生時代を振り返りながら、育った環境や大学進学のきっかけとなった母との約束について聞く。

(前編はこちら)先輩から学んだ代表主将の姿 導き出した“私らしい”キャプテンシー

男子と一緒にサッカーに明け暮れた小学生の頃

――高校2年生で初めてなでしこジャパンに選出され、以降は女子サッカー界を牽引してきた熊谷選手。どのような幼少期を過ごしてきたのか、とても興味深いです。

「とにかく活発で元気な子どもでした。止められなければ一生動いていたと思います(笑)。家の中で遊ぶよりも外で走り回るタイプで、小学生の頃は休み時間も放課後もずっとサッカーをやっていました。家でおままごとをやった記憶がないですし、かわいいお姫様の人形を持っていたこともありません」

――やはりお兄さんから受けた影響が大きかったのでしょうか?

「兄の影響でサッカーを始めましたし、遊びの部分でも兄がミニ四駆で遊んでいたら自分も一緒に遊んでいました。クラブチームに所属した小学3年生からは、学校が終わったら帰宅してランドセルを放り投げ、すぐにボールを持ってグラウンドへ走っていました。クラブチームに入っていた女子は私だけだったので、男子と一緒に過ごした記憶ばかりです」

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―――ご両親は文武両道を大切にする方だと伺いました。

「両親ともに小学校の教師なので、学業も両立させることを重要視していたと思います。遠方での試合後も、母親が運転する車に乗って塾へ向かいました。全国大会が終わって、疲れてしまって車で寝ているのに、目が覚めたら塾の前とか(苦笑)。やらないと家に帰してもらえないので、眠い目をこすりながら課題に取り組みました」

――心に残っている教えや言葉はありますか?

「母からは『好きなことをやりなさい。好きなことをやるなら、やるべきこともやりなさい』と口酸っぱく言われていた記憶があります。当時はだいぶ苦戦していましたが、今となっては両親に感謝しています。この経験があったから、自分は学ぶことが嫌いではないですし、時間がない中で勉強する術を覚えて、考えるようになりました」

男子とプレーする中で身につけた「目の前の敵に勝つ術」

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――当時は現在ほど女子サッカーの認知度が高くなかった時代。男子に混じって女子がボールを蹴ることの難しさや抵抗はありませんでしたか?

「なかったですね。周りの男子は私をいい意味で女子として扱っていなかったと思います。中学生になっても小学校の仲間がそのまま上がって、一緒にサッカー部でボールを蹴っていました。今の自分がある原点ですし、男子とずっと一緒にやれたことが大きかったです」

――小学生くらいの年齢なら、成長スピードは女子の方が早い時期でしょうか?

「小学生の間は私が一番、足が速かったです。ただ、中学生になって男子のすごい成長期を目の当たりにしました。そこですごく考えるようになりました。目の前の男子にスピードでは勝てないことを痛感させられて、どの部分で戦えば勝てるんだろうと考えました。どうやったら目の前の敵に勝てるか考えるのは、当時からまったく変わっていないかもしれませんし、自分のサッカー観に大きな影響を与えました」

――男子に勝つために、具体的にどのような方法を用いたのですか?

「例えば、同じ動作を繰り返して1位になった選手から抜けていく、みたいなゲーム形式に似た競争練習があるとするじゃないですか。それがスプリント競争の場合、男子は最初からすべてを全力で走るので、4回目とか5回目になると疲れてくる(笑)。だから私は最初、力を温存しておいて、周りの男子が疲れてきた頃に全力で走っていました。全体の4~5番目に足が速いわけではない私でも、それくらいの順位であがれる。そういう戦い方をしていました」

――海外クラブや国際大会でプレーする今にも生きている部分はありますか?

「私は外国人選手と比べて足が速いわけではありません。だから、勝つためにはフライングと予測の部分で勝つしかありません。勝ち方、勝つための方法を考えて、ルールの中でズルをするしかないんです。その技術はいろいろ持っているつもりです(笑)」

中学ではサッカー部と並行して女子クラブチームでも活動

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――中学時代は男子との部活動だけでなく、クラブチームで社会人女性にも混じってボールを蹴っていたとか。

「北海道には中学生だけの女子チームがありませんでした。でも、女子として協会に登録しないと選抜(チーム)に選ばれる権利がなくなってしまうという話があって……。クラブチームでの練習は週3回だったので、部活の顧問の先生にお願いしてテストを受けて所属しました」

――大人の世界に混ざることへの抵抗感はありましたか?

「まったくありませんでした。むしろ若くて動けたので、良かったと思います。当時は週7回サッカーをやっていましたね。部活を15~17時でやって、電車に乗って、18~20時のクラブチームの練習に行ったりするのが普通でした」

――女子中学生だけのチームがあれば、違った人生があったかもしれません。

「自分は運良く男子や大人と一緒にプレーできましたけど、女子チームがないことを理由にサッカーをやめてしまう選手もたくさんいたはず。だから、選択肢として女子チームがあれば、違った人生を切り拓いていた選手はいると思います。当時、私はなでしこジャパンの存在もほとんど知らなかったですし、女子サッカーの認知度という課題はあったのかもしれません」

――女子がもっとボールを蹴りやすい環境、あるいはスポーツに熱中できる環境があれば素晴らしいですよね。

「日本の女子サッカー人気は大きな課題だと思っています。なでしこジャパンの結果がそこに紐づいているというか、直結しているのは間違いありません。2011年にワールドカップで優勝した影響を受けてサッカーを始める女子がものすごく増えました。それが、今は状況が大きく違っていて、その責任を感じています。興味を持ってサッカーを始めた女子が競技を続けられる環境を作らないといけない。なでしこジャパンを目指す女子がいるのならば、影響力のある選手が子どもたちのモチベーションにならないといけないですし、今後はそういった働きかけもしていきたいと思います」

大学進学のきっかけとなった母との約束

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――高校卒業後、熊谷選手は浦和レッドダイヤモンズレディース(以下レッズ)に加入すると同時に筑波大学に進学しました。まさしく文武両道ですが、どのような思考があったのでしょうか。

「高校進学のタイミングで親元を離れて仙台の高校に進学させてもらいました。その時に母とした約束が『大学には行く』でした。(高校卒業時には)先にレッズへの加入が決まって、浦和から通える場所ということもあり、筑波大学に進学しました。日本代表チームで一緒にプレーさせてもらっていた安藤梢さんの影響がとても大きかったんです」

――安藤選手には選手として成長するためのアドバイスをもらっていたのでしょうか?

「梢さんはレッズに所属しながら筑波大学でトレーニングしていたので、一緒に汗を流していました。私が高卒1年目で、レッズがなでしこリーグで優勝した時、梢さんはすべてのタイトル(MVP、得点王、ベストイレブン)を獲って、海外移籍しました。身近にいた人がドイツへ行って変わる姿を目の当たりにしたんです。ドイツから帰ってきて日本代表チームで一緒にプレーした時に、心身ともに逞しくなった梢さんと対峙して驚きました。こんなに変わるのか、と。ドイツでの話を聞く機会も多かったですし、私がその後にドイツへ渡ったのは梢さんの影響が大きかったからです」

――安藤選手は今年40歳で女子プロサッカーリーグ、WEリーグでMVPを獲得しました。今も第一線で活躍している偉大な先輩ですね。

「記者会見で『年齢は数字だということをまだまだ証明していきたい』と言っていましたもんね。本当にカッコいいです。ずっと一緒にトレーニングしていたので、すごさも知っています。リスペクトしかない方です」

――熊谷選手は多忙の中、いつ勉強をしていたのですか?

「浦和から大学までの行きと帰りの電車の中で勉強していました。移動時間が約2時間と長かったのと、そこしか時間がなくて。練習後は何回も寝過ごしてしまいましたけどね(笑)。高校2年生の時に初めてなでしこジャパンに選ばれて、当時はU-19日本代表の活動もありました。おそらく年間100日以上は学校に行けなかったと思いますが、限られた時間を有効活用して勉強していたつもりです」

――学ぶことや物事を両立する力は、サッカーやそれ以外の人生にも生きる部分がありそうです。最後に、少年少女たちへメッセージをいただけますか?

「母との約束を守りたかったですし、そういった時期があったからこそ今の自分があると思えます。もう1回やれと言われてもできる自信はありませんけど(苦笑)。大変さを乗り越えられたからこそ、自信や糧を得られたのも間違いありません。それにサッカーがあるから勉強ができないという言い訳はしたくなかった。少年少女たちには自分なりのやり方や向き合い方を見つけて、人間としての幅を広げてもらいたいです」

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熊谷 紗希くまがい さき

1990年10月17日、北海道出身。アソチアツィオーネ・スポルティーヴァ・ローマ(ASローマ)所属。2009年に常盤木学園高等学校から浦和レッドダイヤモンズレディースに入団し、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)に初出場。同年に筑波大学へ進むと、2011年に女子ブンデスリーガの1.FFCフランクフルト(現・アイントラハト・フランクフルト)へ移籍。2013年にはフランス女子1部のオリンピック・リヨンへ移籍し、2021年にFCバイエルン・ミュンヘンと契約してブンデスリーガ復帰。2023年6月にイタリア・セリエAのASローマと新たに契約を結んだ。2008年に高校2年生で日本代表初選出。2011年FIFA女子ワールドカップでは20歳で優勝を経験し、2017年から日本代表主将を務める。FIFA女子ワールドカップは2011年、2015年、2019年大会、オリンピックは2012年ロンドン大会、2021年東京大会に出場。

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