インタビュー

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「家族はパワーの源」 競技へのモチベーションを高めた家族の存在

パラバドミントン 山崎悠麻選手

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、東京パラリンピックのパラバドミントン女子ダブルス(WH1-WH2)で里見紗李奈選手とペアを組み、見事金メダリストとなった山崎悠麻選手が登場する。女子シングルス(WH2)でも銅メダルを手にしたパラリンピアンが競技を始めたのは、長男を出産後のこと。さらに、パラリンピックを目指すようになったのは、次男を産んだ後だった。後編では、「競技」と「育児」のバランスをどのように保っているのか、そして山崎選手にとっての家族の存在について聞く。

(前編はこちら)人生を変えた競技との出会い 金メダリストが描くパラスポーツの未来

趣味で始めたパラバドミントン、いつしか目標は世界へと変化

 女性アスリートにとって「競技」と「育児」の両立。これは、競技続行を望む女性アスリートたちが抱える問題の一つであり、今日のスポーツ界が抱える大きな課題でもある。

 そんな中、母になってから競技を始めた選手がいる。東京パラリンピックで2個のメダルを獲得した、パラバドミントンの山崎悠麻選手だ。

 山崎選手は東京パラリンピックに出場し、女子シングルス(WH2)で銅メダル、里見紗李奈選手(NTT都市開発)と臨んだ女子ダブルス(WH1-WH2)で金メダルを獲得。現在は、パリパラリンピックの出場権を懸けたポイントレースの真っ只中にいる。

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「東京大会後、すぐに次の目標はパリ、と決めました。ダブルスで金メダルを獲れたことがすごく嬉しくて、もう1回、あの場所に立ちたい、とちょっと欲が出ました(笑)」

 パリパラリンピックの出場権は、指定の国際試合で獲得したポイントランキングで上位に入ることが条件。「大会でしっかり点数を取っていかないと出場権に届きません。今は1試合1試合を積み重ねていくのみです」

 山崎選手がパラバドミントンと出会ったのは25歳の時。長男の育休中のことだった。

 小・中学生の時にバドミントンをやっていたが、高校1年生で車いす生活になって以降、運動は「ダイエット目的でプールに入ったぐらい」。趣味で始めたい、と夫に相談すると、「やりたいのなら、やってみればいいよ」と返ってきた。

「夫も、互いの両親も、競技を続けることを全面的に応援してくれました。夫とは保育園のお迎えや寝かしつけなどを役割分担し、子どもが小さい頃は合宿や大会中、夫の両親が預かってもくれました。そのことが競技を続ける上で、すごく追い風になりました」

 次男の妊娠・出産でしばらく休んだ後、2014年に競技を再開。間もなく、「日本選手権の申し込みが始まるけど、出る?」と聞かれた。「せっかくやるなら出てみようかな」。準備期間2か月で出場すると、いきなりシングルスで準優勝した。

「自分の中に『もしかしたら世界と戦えるかもしれない』という想いが芽生えたのは、翌年の世界選手権です。結果はベスト8でしたが、その年の優勝者となる選手を相手にファイナルゲームまで持ち込めた。東京パラリンピックを目指そうと思ったのは、この時からです」

競技に対するモチベーションを高めてくれる家族の存在

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 しかし、順風満帆とはいかなかった。当時、東京都・調布市役所の職員だった山崎選手の練習時間は平日夜と週末のみ。合宿や遠征は有休を消化しての参加だった。

 有休を消化するたびに「あと何日、残っているかな」「子どもが急に熱を出した時に休みが残っていないと厳しいな」と気が気でない。「今の環境ではこれ以上強くなれない」山崎選手は、転職を決意した。

「転職の条件は夫と一緒にシビアに考えました。希望は正社員。家のローンを抱えていたし、競技引退後も仕事を続けられる会社でないと厳しかったからです。ところが当時、パラアスリートの求人は契約社員ばかり。加えて、練習時間を確保すると、子どもと接する時間が削られるような条件が多く、バランスも難しかったんです」

 その後、仕事で縁があった人を介し、現所属先のNTT都市開発を知る。転職したのは約半年後。そこで、やっと競技に集中できる環境を手に入れ、現在ペアを組む里見選手とも出会った。以来、大会に出場するごとに結果を残し、目標の東京パラリンピック出場権を獲得する。

「今思い返しても、転職活動中の半年は本当に大変で、競技、仕事、家庭をどう回していたのかわかりません(笑)。でも、子どもにちゃんと時間をかけて接したいという気持ちがあったからこそ、諦めず、いい環境に出会えたと思います」

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 一方、母として、「子どもたちに寂しい想いや我慢をさせている」というジレンマを常に抱えていた。それでも、「ママ、頑張って!」「ママ、メダル持って帰ってきた?」という息子2人の言葉をモチベーションにして、東京パラリンピックまで駆け抜けた。

「よく『競技と仕事と家庭を両立させるのは大変では?』と聞かれますが、逆に私は家族がいるからこそ、競技を続けていられます。私にとっては子どもや夫、そして愛犬の存在がパワーの源。もしも、仕事とバドミントンだけの生活だったら、きっと息詰まっていたと思います。家族がいるからこそ、どんなに忙しくてもモチベーションを高く保てるし、頑張れるんです」

 だからこそ、東京パラリンピックでは『メダル』という目に見える形で結果を残せてよかったという。

「私は家族や周囲のたくさんの協力があって、競技を続けてこられました。みんなへの“ありがとう”の気持ちを、ちゃんと形にできてすごく良かった。私はバドミントンを始めた時からずっと、カッコいい母になりたかったんですね。東京では楽しく、頑張った上で、ちゃんとメダルという結果も残せた。子どもたちには、“カッコいい”姿を見てもらえたかな、と思います」

 輝くメダルは唯一無二の愛の証。その重みと温かさを胸に、山崎選手は再び、世界のてっぺんを目指す。

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(前編はこちら)人生を変えた競技との出会い 金メダリストが描くパラスポーツの未来

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山崎 悠麻やまざき ゆま

1988年4月8日生まれ。東京都出身。小学2年生から中学卒業時までバドミントンをプレー。高校1年の時に交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活となる。2013年に全国障害者スポーツ大会でパラバドミントンを観戦し、大会に出場していた選手に誘われて趣味として始める。出産のため一時競技から離れたが、2014年に復帰。同年12月の日本障がい者バドミントン選手権大会で準優勝、2015年のパラバドミントン世界選手権でベスト8となり、本格的に競技に取り組むことに。2017年に調布市役所を退職し、NTT都市開発に移籍。2018年アジアパラ競技大会では里見紗李奈選手(NTT都市開発)と初めて臨んだダブルスで銅メダルを獲得した。2021年東京パラリンピックではパラバドミントン女子シングルス (WH2)で銅メダル、女子ダブルス(WH1-WH2)で金メダルを獲得。世界ランキングは女子ダブルス1位。シングルス2位(2023年8月時点)。

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