インタビュー
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ユメミルノート vol.1|バスケ元日本代表から会社員へ…三好南穂が描く夢
元バスケットボール女子日本代表 三好南穂さん
闘い抜くアスリートたちはこれまでにどんな夢を掲げ、叶えてきたのでしょう? そして、その夢のためにどのような努力をし、失敗や苦労を乗り越え、どんな人やものに支えられてきたのでしょうか。
そんなアスリートの夢を紐解く連載「ユメミルノート by スポーツくじ」。初回となる今回は元バスケットボール女子日本代表の三好南穂さんが登場。幼少期から現役時代、そして現在のお仕事や夢、スポーツくじの助成金についても語ってくれました。
卒業アルバムに書いた「バスケットボール選手になりたい」という夢
子どもの頃はスポーツが苦手で、鬼ごっこで鬼になってもなかなかタッチができずに泣いていたという三好さん。そんな姿を見かねた両親のすすめで、小学2年生の時にバスケットボールを始めることになりました。
三好さんがバスケットボールを始める前、小学校1年生の頃の夢はパン屋さん。パン屋さんを題材にしたアニメのなかでパンのベッドに人間が寝ている描写に憧れて、「私もパンのベッドで寝たいという理由でパン屋さんになりたかったんです」と語ります。
苦手な運動を克服するためにバスケットボールを始め、全体練習にも入れず基礎練習ばかり。おもしろさを見出せず、最初は両親に「やめたい」と毎日言っていた三好さんですが、プレーするうちにどんどんバスケットボールが好きになり、小学6年生の頃には「バスケットボール選手になりたい」と考えるようになりました。
「バスケットボール選手になるのがどれだけ難しいのかという現実も知らずに、ただただなりたいと思っていました。でも、現実を見るタイプなので、大学を出て、いい企業に勤めて、結婚して……みたいなことを想像するようになったんです。
そんな中で大学に進学するかプロとしてやっていくか進路を決めるタイミングで、たまたま帰省して小学校の卒業アルバムを見たんです。そこにかつての自分が『バスケットボール選手になりたい』と書いていて。それを見た時に、小さい頃の夢を叶えられる人ってなかなか多くないよな、それができるチャンスがあるならやってみようと思ったのがプロになるきっかけでした」
これまでに叶えた一番の夢はオリンピック銀メダル
高校卒業後は、WリーグのシャンソンVマジックに加入。2017年からはトヨタ自動車アンテロープスでプレーしました。キャリアのなかで叶えた一番大きな夢は「東京オリンピックでメダルを獲れたこと」だと三好さんは語ります。
「メダルを獲れたことは“夢を超えた”くらいの出来事でした。日本代表の候補には10回ほど入ったのですが、A代表に選ばれたのはリオデジャネイロオリンピックと東京オリンピックの2回だけで、あとの8回は落選。悔しい思いをしてきたからこそ、東京オリンピックで銀メダルを獲れて、やっと報われたと思いました。本当に嬉しかったです」
代表落選を何度も経験し、時には「なんで監督は私を選出しないんだ」と他責思考になってしまっていたこともあったといいます。
「リオで代表に入れたことによって、ちょっと天狗になっていたんですよね。でも、翌々年のワールドカップでは落選して、それを人のせいにしていたんです。そしたら試合を観にきた母が私のプレーを見て『あなたが負けてるんじゃん』って言ったんです。
その言葉に結構グサッときて、それから自分が勝てるところってどこだろう、勝っているところを強みに頑張ろうと考えられるようになりました。それが東京オリンピックの代表選出につながったのかなと思います」
「バスケットボール、楽しかった!」という気持ちで引退したい
トヨタ自動車アンテロープスではキャプテンも務め、華々しいキャリアを辿っていたように見えますが、「メンタルをトップパフォーマンスで維持することが一番大変だった」と現役時代終盤を振り返ります。
「身体的なことやプレーはもちろん、メンタルもトップレベルで維持できなければ辞めようと思っていたんです。キャプテンになってからはチームのことも考えつつ、自分自身も活躍したい気持ちもあるし、スタッフとの円滑なコミュニケーションも求められる。いろんなことを同時にやることがすごく大変でした。そういった蓄積が徐々に身体にも表れはじめ、『あ、私、今だいぶストレスがかかっているんだ』と気づいたんです」
自分の心身の変化に気づき、2020年に「今年で辞めよう」と考えるように。しかし、長年やってきたバスケットボールの最後の年を苦しい思いで終えるのはもったいないという気持ちも芽生えてきました。
「『バスケットボール、楽しかった!』って気持ちで辞めたいと思ったので、あと1年続けると決めて、2021-22シーズンもプレーすることにしました。最後は自分のためにバスケットボールをしたいと思ったので、キャプテンも降りたいとチームに伝えて。その結果、変な心配が全然なくなって、競技人生のなかで自己最高の成績をおさめることができました。チームも優勝しましたし、自分で言うのもなんですが完璧なバスケットボール人生だったんじゃないかと思います」
引退後は会社員としてアスリートのサポート業務に従事
引退後、2023年にはトヨタ自動車のサポートコーチを務め、2024年からはトヨタ自動車のトヨタスポーツ推進部に所属となった三好さん。アスリートのサポートを行ったり、アスリートキャスターとして自社の動画番組に出演したりと、これまでにやったことのない役割に挑戦しています。
三好さんが担当したパリオリンピックの盛り上げ施策のチームリーダーだった同僚の河村遥さんは、「社業の経験が長くある方でも苦労するような業務内容を泣き言一つ言わずやりきる姿が、さすがアスリート出身ですね。次はリーダーとしてやっていけると思います」と三好さんへの期待を語ります。また、三好さんにとって会社員人生で初めての後輩であり同じくアスリート出身の竹中七海さんも、「どんなに忙しくても目の前の一つひとつの業務に全力で向き合っているところや、常に相手の立場に立ってアスリートのサポート業務に就かれているところを見習いたいです」と感化されています。
育成世代を支える“スポーツくじの助成金”への感謝と自身の夢
アスリートとしてサポートされていた立場だったのが、今はサポートする側として全身全霊でスポーツに向き合う三好さん。社業をしていくなかで、「バスケットボールだけでなくスポーツ全体を盛り上げたい」という気持ちが強くなり、これからの夢も明確になってきました。
「これだけ楽しい思いをさせてもらったバスケットボールで恩返ししたいという思いはずっとありました。それに加えて、会社に入ってからバスケットボール以外の世界を見る機会が増え、超人的なことをしているのに日の目を見ない競技がたくさんあると感じたので、そういったスポーツの盛り上げにも少しでも貢献したいなと思っています」
そんな三好さんが夢を叶えた自分の姿を見せたい人は「未来を背負う子どもたち」。現在アルバルク東京のユースのテクニカルアドバイザーとしても活動している三好さんは、バスケットボールに真剣な子どもたちの表情を見つめながらこんな思いを抱いています。
「なんで自分はメダルをもらうことができたんだろうと考えた時に、今後の未来を背負っていく子どもたちに夢を与えるためだなと思ったんです。私は今アルバルク東京のユースのテクニカルアドバイザーとして育成世代の選手の指導もしています。(日本バスケットボール界の)育成世代はスポーツくじの助成金で環境面などをサポートいただいていますが、子どもたちの輝く目を見ていると、私は技術面でサポートして子どもたちの力になりたいと思うんですよね」
スポーツへの向き合い方を変えて進み始めた三好南穂さん。アスリートとしての経験を活かしながら新たな夢に向かう姿を応援し続けます。
(取材:2024年10月)
※スポーツくじの収益は、グラウンドの芝生化をはじめとしたスポーツ施設の整備、地域のスポーツ大会・教室の開催や未来のトップアスリートの発掘・育成など、日本のスポーツ振興のために役立てられています。
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三好 南穂みよし なほ
1993年12月21日、千葉県出身。小学2年生の時にバスケットボールを始める。ポジションはガード。桜花学園高校在学中に年代別日本代表としてU-17世界選手権5位や3x3ユース世界選手権3位に。高校卒業後の2012年、WリーグのシャンソンVマジック加入。2017年、トヨタ自動車アンテロープスに移籍。日本代表としてリオデジャネイロオリンピック、東京2020オリンピックに出場。東京オリンピックでは銀メダルを獲得。2021-22シーズンをもって現役を退く。引退後はトヨタ自動車株式会社トヨタスポーツ推進部で勤務しながら、アルバルク東京ユースのテクニカルアドバイザーも務める。
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