インタビュー
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高校生で決めた「競技者」の覚悟 悔しさをバネに目指す世界のトップ
陸上 橋岡優輝選手
「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、日本走幅跳界のエースとして活躍する橋岡優輝選手が登場する。アスリート一家に生まれ育ち、2019年の世界陸上競技選手権大会(世界陸上)ドーハ大会では日本人選手初の8位入賞を果たした。世界のトップたちとしのぎを削る若武者は、どのようにして競技者としての階段を上がっていったのか。後編では、成長を後押しした出会いや、東京オリンピックでの悔しさ、そしてパリオリンピックに懸ける想いに迫る。
(前編はこちら)陸上界のエースが送った普通の少年時代 両親と保てた心地いい距離感
恩師・渡辺大輔さんとの出会いと、成長を促したのびのびした環境
――橋岡選手が数多くある陸上競技から走幅跳という種目を選んだのはなぜでしょうか?
「小学6年生の時に体育の授業で初めて走幅跳をやってみて、それがすごく面白かったんです。中学生になって部活に入り、最初は走幅跳をやろうと思いました。でも、学校に砂遊び用の砂場しかなくて、やれる環境がなかったんです」
――それで他の種目からスタートしたわけですね。
「中学1年生の時は100メートル、2年生になってからは顧問の先生が変わったこともあってハードルをメインにしながら混成種目の四種競技をやっていました。110メートルハードル、砲丸投、走高跳、400メートルの4種目の成績をポイント化して競う種目で、ここでいろいろな身体の使い方を覚えたのも良かったと思います。陸上競技なので走ることは共通していますし、走高跳は我ながらかなり跳んだなという記録も持っていました」
――高校に進学して、ようやく走幅跳に全力投球できる環境が整った、と。
「四種競技の中でも走高跳が好きでしたし、砂場がなかったという事情もありましたからね。走幅跳を本格的にやりたいと思って八王子学園八王子高等学校に進学し、渡辺(大輔)先生に教わりたいと考えました。そこで、ようやく走幅跳の人生が始まりました(笑)」
――橋岡選手にとって叔父でもある渡辺先生の存在とは?
「恩師という言葉に尽きると思います。もちろん厳しさもありましたけど、基本的にはのびのびやらせてもらいました。高校3年間は陸上を続けていく上でのベースになっていますし、八王子学園八王子高等学校へ行って渡辺先生に指導していただいたことが財産です」
――前編でも「のびのび」という言葉が登場しました。
「僕は窮屈になってしまうと嫌になってしまうタイプなんです。自分がやりたいことに集中してのめり込んでいくタイプなので、周りから何かをやれと言われるとやりたくなくなってしまう。ワガママなだけかもしれません(笑)。自分のベクトルが自然と向いていることが重要という考えで、今も競技者をやっています」
――高校3年間は橋岡選手にとってどのような時間でしたか?
「とにかく充実していました。何か一つの感情に偏ることはなくて、楽しかったこともあれば、辛かったこともあります。大切な仲間とも出会い、競技人としてだけでなく人間としても成長できたと思います」
高校進学時には決めた「競技者」としての覚悟
――高校時代になると「橋岡優輝」の名前が日本中に轟くことになります。日本のトップが見えてきたのはいつ頃だったのでしょうか?
「高校2年生の時に7メートル70という大きな記録を出した時だと思います。なんとなくの手応えですが、『これで日本のトップクラスと戦い始める準備ができてきたのかな』と。あとは3年生の時に日本陸上競技選手権大会(日本選手権)で8位入賞したことで、トップとの差や力の差を感じたと同時に、そんなに遠くないという距離を測れたのも大きかったです」
――その1年後、大学1年生で日本選手権のタイトルを獲得します。今度は世界が見えてきたタイミングですか?
「日本選手権での優勝も大きかったですが、高校3年生の時に出場したU20世界陸上競技選手権大会も大きかったと思います。年齢のカテゴリーこそ分かれていましたが、世界のトップを肌で感じることができました。世界を相手にする際、どうやって戦えばいいのかを考えるようになって、その結果として大学2年生の時にU20の世界タイトルを獲ることができた。そこから今度はシニアの世界に目を向けていくという流れで、いい具合に階段を上っていっているなという実感はありました」
――大学生になる頃には陸上選手として生きていく覚悟を決めていたのですか?
「いえ、高校に進む時には部員というよりも競技者という考えに切り替わっていましたし、覚悟もできていました」
――「部員」と「競技者」の違いは?
「みんなが考えることと同じだと思いますが、競技で食べていく覚悟を持つか、趣味として楽しむのかの違いです」
――競技者として生きていく中で、先々を見据えたビジョンや計画は欠かせないと思います。
「ありがたかったのは東京オリンピックの存在です。中学3年生の時、2020年の東京開催が正式決定し、それが大きなモチベーションになりました。僕がちょうど大学4年生になっている年で、学生として陸上をやっていく集大成の年でもありました。これ以上ない目標ができたのは本当に運が良かったと思います。それまでに開催される世界陸上などが、逆算して目の前の目標になっていきました」
――競技者として生きていく覚悟を決めてるタイミングで、オリンピックの自国開催が決定する。とても運命的ですね。
「それは卒業文集に『オリンピックに出場する』と書きますよね(笑)。でも、その当時は1人の中学生が漠然と抱く夢で、まだ目標にはなっていません。大切なのは目標に変えるために一歩一歩進んでいく道筋だと思います」
――結果的に、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックは2021年に開催されました。夢舞台の雰囲気はいかがでしたか?
「正直に言うと、それほど実感は湧きませんでした。新型コロナウイルスの影響で無観客開催でしたし、開催することに対して否定的、悲観的な考えの人もいたと思います。だから、何とも言えなかったというのが本音で、コロナの影響がなく、しっかり開催されていたら、という“たられば”の気持ちはどうしてもあります」
――結果は日本人として37年ぶりの決勝進出で6位入賞でした。
「まったく納得していません。メダルを獲れると思っていましたし、実際の記録を見ても手が届くものでした。それを達成できなかったのは悔しさしかありません。環境的な部分だけでなく、結果としても悔しい記憶です」
悔しさを抱きながら目指すパリオリンピック
――現在はサニブラウン・アブデル・ハキーム選手が所属するチーム(タンブルウィード・トラッククラブ)の練習に参加しているそうですね。
「やはりプロのチームですし、ハキーム以外にもメダルを獲得するような選手がいるので、視覚的に得られるものがまったく違います。日本で活動していても自分がトップという状況になってしまいがちで、周りの選手を見て純粋に『すごいな』と思う環境は少ない。それがアメリカでは毎日あるので、とにかく刺激になります」
――いわゆる“怪物揃い”という環境ですね?
「そうですね。競技者としてベースにある基礎的なものは変わらないですが、メダルを獲るクラスまで卓越した選手になると、自分には真似ができないものになっていきます。同じやり方でやっていても僕は勝てないので、自分にとってのベストな方法で戦う必要があります」
――昨年の世界陸上は10位という結果でした。
「上手くいかなかったな、というところです。時間が経って、この失敗があって良かったと思えるようにしなければいけません。そして、パリオリンピック本番での失敗じゃなくて良かったな、と。そういった考え方で納得しています。予選まではいい内容だったのに、決勝で失敗してしまいました。技術面もそうですし、メンタルの部分も足りなかった。自分の中で世界陸上やオリンピックが特別なものになり過ぎている。ダイヤモンドリーグなど世界のトップと渡り歩くような試合を経験できていないからなのか、場慣れできていないのかもしれません」
――経験値が足りない?
「試合を終えた後の疲労感は、競技中の自分が感じていないものです。緊張はあまりないと思っているのですが、やらなければと考え過ぎていたり、気負い過ぎていたりするというか……。場慣れすることでのびのび跳躍できるでしょうし、周りにいるライバルといい関係を築きながら切磋琢磨できるのだと思います」
――周囲はパリオリンピックでのメダル獲得を期待していると思います。最後に、現時点での手応えやこれからの構想を聞かせてください。
「まずはブダペスト(今年8月に開催される世界陸上)でメダルを必ず獲得できるように準備して、その次に来年のパリオリンピックがあると思っています。今の時点ではあまり先のことを考えていなくて、目の前の試合のことで精いっぱい。大いに期待していただいて結構ですし、ドンと構えています。自分自身、それに対してプレッシャーを感じているわけではないですし、やりたいことをやっているわけですから、その中で結果を追い求めていきます」
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橋岡 優輝はしおか ゆうき
1999年1月23日、埼玉県出身。富士通所属。中学から陸上を始め、3年生の時には全国中学体育大会の四種競技で3位となる。高校から走幅跳に転向するとすぐに頭角を現し、日本陸上競技選手権大会(日本選手権)では2017年に大学1年生で初優勝してから3連覇。2019年の世界陸上競技選手権大会で8位となり、走幅跳では日本人初の入賞を果たした。2021年の日本選手権で自己最長、歴代2位となる8メートル36を記録。同年の東京オリンピックでは6位となり、日本人として37年ぶりの入賞を果たした。父・利行氏は棒高跳の元日本記録保持者で、母・直美さんも100メートルハードルで日本選手権優勝経験を持つ陸上一家。
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