インタビュー
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悔しさから学んだ練習を楽しむ大切さ 恩師とともに歩むメダルへの道
パラサイクリング 川本翔大選手
「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は東京パラリンピックの3キロメートル個人パーシュートで4位入賞を果たしたパラサイクリングの川本翔大選手が登場。生後間もなく病気のため左足を付け根付近から切断した川本選手は、19歳の時に競技と出会い、わずか8か月でリオデジャネイロパラリンピックへの出場を果たす。だが、そこで味わったのは大きな悔しさだった。壁にぶち当たった川本選手はどうやって乗り越え、東京パラリンピックでの好成績に繋げたのか。後編では、目標を達成するために臥薪嘗胆した日々に迫る。
(前編はこちら)何事にも挑戦し続けた子ども時代 感謝する恩師との運命的な出会い
リオデジャネイロパラリンピックで味わった大きな悔しさ
2016年9月、20歳になったばかりの川本翔大選手はリオデジャネイロにいた。
日本パラリンピック委員会の選手発掘イベントに参加してパラサイクリングに出会ってからわずか1年ほど。パラリンピックの大舞台に自分が立っていることが、まだどこか信じられずにいた。
トラックの3キロメートル個人パーシュート(C2・2番目に障がいが重いクラス)では8位入賞にしたものの、1キロメートル個人タイムトライアル(C1-3)は13位にとどまる。順位そのものより自己ベストの更新が止まったことに悔しさを覚えた。
「緊張しすぎてほとんど覚えていないんです。会場にいた記憶はあるんですけど走った時の記憶がなくて、それほど緊張したんじゃないかと思います。ここまで順調にタイムが伸びていたのに、リオでは(自己ベストが)出なくて……。自分とトップの選手の間には、えっ!?と思えるくらいタイム的に(想定した以上の)差があって、これから先どうしようかな、と正直思いました」
右肩上がりが止まった時に、トップ選手との差を突きつけられた気がした。「続けても無理なんじゃないか」と心の中で何度もつぶやいた。競技を辞めることも選択肢にはあったという。それほどのショックであった。
川本選手の気持ちを十分すぎるほど理解してくれたのが、当時、日本代表チームを率いた権丈泰巳監督だった。
「(練習拠点の)静岡から地元の広島に戻って1人でトレーニングしてみてはどうか、と。気持ちを落としたまま(静岡に)いたら、ずっと立ち直れていなかったかもしれない。この前、権丈さんにその時の話を聞いたら『立ち直らせるために一度帰らせた』と言っていました。実際、地元で友達にも会えたりしてリフレッシュできたし、自分で練習メニューを考えなきゃいけなかった。1年くらいやって、1人のトレーニングに限界を感じてきたので、ステップアップするために静岡に戻ることにしました」
環境を変えたことによって、逆に自分がよく見えるようになる。飽き性なのに自転車は別だと気付かされ、競技について考えるようになった。悔しい経験をターニングポイントにできた。
悔しい経験を乗り越え、変化した競技との向き合い方
全日本自転車競技選手権大会、アジア・パラサイクリング選手権大会で優勝を遂げ、再び成長のサイクルに入っていく。午前、午後のトラック2部練習、1日掛かりのロード練習と、“自転車漬け”の日々も苦にならなかった。
食事は栄養士の指導を受けながら、自分で作るようにしたという。筋力トレーニング、体力トレーニング同様に、身体づくりの大事なポイントに位置づけた。
「肉野菜炒めはよく作りますね。もやし、えのき、豚肉をシンプルに塩コショウで味つけします。得意ってほどじゃないですけど(笑)。栄養士さんに教えられたメニューを自分でアレンジしながらやっています」
地元に戻って1年間生活したことで、気分転換の大切さに気付いた。オフは疲れが残っていても自宅にこもらず、ドライブや釣りに出掛けた。翌日からの自分のパワーになった。
川本選手がちょうど膝を痛めていた頃、新型コロナウイルス感染症の影響により東京パラリンピックの延期が決まった。しっかりと治す時間ができたと同時に、練習に対する意識も変わった。
「強度を上げると膝に負担が掛かってしまう。だから軽くして、練習自体をもっと楽しむようにしたんです。楽しくやっていけば、自然とメンタルも良くなると感じました。練習でたとえタイムがメチャメチャ悪くても『疲れているだけだから』と思い込むことで、悪い方向にいくこともありませんから」
引きずってしまうのが一番良くないこと。楽しめれば、割り切れる。割り切れば、楽しめる。ドライブや釣りの時間も大切にした。それが競技にとってプラスになると確信していた。
競技を楽しむ心で掴んだ東京パラリンピックでの入賞
ずっと目標に置いてきた東京パラリンピック。
3キロメートル個人パーシュート予選では世界記録をマークしつつも、5位に。ただ、失格者が出たため繰り上がり、3位決定戦に出場することになった。
「もう次の日(の種目)に備えようとダウンして、着替えてリュックを背負って会場を出る階段のところで、スタッフから『3位決定戦に出る』と聞いてビックリしました。うれしいというより、準備をやり直さなければいけなかったから焦っちゃって。メダルには届かなかったけど、3位決定戦を走れた経験は次に活きてくるはずだと感じました」と次につながる4位入賞となった。
1キロメートル個人タイムトライアルも6位入賞。リオデジャネイロパラリンピックを上回る結果がついてきたことは自信にもなった。パラサイクリングを楽しもうという想いのもと、昨年10月のパラサイクリングトラック世界選手権(フランス)では3個の銀メダルを獲得した。世界の舞台で初めて表彰台に立つことができた。
どうすれば強くなるか、どうすれば結果を出していけるか。
経験を重ねるにつれ、競技を自分なりに工夫するようになった。健常者の自転車競技を参考にすることもある。
「(健常者の自転車競技のように)身体を動かさずに固定したまま走るというのを真似してみたけど、あまりうまくいきませんでした。(パラサイクリングとは)まったく違うんだなとも感じましたね。今はちょっと大胆に身体を動かしながら反動で漕いでみたらどうかなって試してみて、いい結果が出ています。とにかく速く走ったもん勝ちなんで、これからも追求してきたいと思っています」
たとえ失敗しても引きずることなく、それも楽しみながらパラサイクリングと向き合う。競技への追及の日々が、パリオリンピックのメダルに通じていると川本選手は信じている。
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川本 翔大かわもと しょうた
1996年8月19日、広島県出身。悪性腫瘍のため、生後2か月で左足を付け根から切断。幼少期から活発でサッカーやテニスなど色々なスポーツを経験する。高校では担任の勧めもあって野球部に入り、健常の部員とともに白球を追った。高校3年生で障がい者野球と出会い、2014年には日本代表として世界大会に出場。その後、知人に勧められてパラスポーツの選手発掘イベントに参加し、パラサイクリングを始めることに。日本代表チームの監督を務めた権丈泰巳さんの指導の下、頭角を現し、2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場。3キロメートル個人パーシュート(C2)と団体チームスプリント(C2)で8位入賞を果たす。2021年の東京パラリンピックでは3キロメートル個人パーシュートで4位入賞。2024年のパリパラリンピックではメダル獲得を目指す。
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