インタビュー

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「何か変えられないかな」 人生を豊かに変えたパラスキーとの出会い

クロスカントリースキー・バイアスロン 阿部友里香選手

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、クロスカントリースキーとバイアスロンで活躍する阿部友里香選手が登場する。スキーの強豪校として知られる岩手県立盛岡南高等学校時代の2014年、ソチパラリンピックに出場してクロスカントリー・クラシカルで8位入賞を果たすと、平昌パラリンピック、北京パラリンピックと、ここまで3大会連続で出場中だ。前編では、阿部選手をパラリンピックへ導いた果敢にチャレンジしていく行動力と、その結果として自分の中に芽生えた変化について聞いた。

運命を変えたパラリンピックとの出会い

――阿部選手は小中学生の頃にはバレーボールに熱中されていたそうですね。

「母がママさんバレーをやっていたので私も好きになったんです。出身の岩手県山田町にバレーボール教室ができたことがきっかけでした。体格も周りの子たちより大きくて、実際やってみると楽しかったです。ただ、中学生になって続けていく中で、左腕を動かせないハンディキャップを抱えることで、うまくいかないとか反則を取られやすいとか、次第に難しさを感じるようになりました。健常者と一緒にやる競技に、自分の中でちょっと限界が見えたと言いますか」

――中学2年生の時にテレビで観た2010年バンクーバーパラリンピックが運命を変えることになります。

「大きなきっかけになりましたね。障がい者スポーツがあることも、パラリンピックみたいな大きな大会があることも知りませんでしたから。元々スキーは好きでした。両親が“ゲレンデスキー世代”でスキーをやっていましたし、私も幼少期に入っていたボーイスカウトで2泊3日のスキー合宿に行って、結構滑ることができました。障がい者スポーツのスキーをインターネットで検索したら荒井秀樹さん(現パラノルディックスキー日本代表チームリーダー)のブログが毎日更新されていて、それを見て連盟に連絡しました。家族や周りの人に相談したわけではなくて、そこはもう自分で決めて」

――最初からノルディックスキーをやりたい、と。

「いや実は、アルペンの方をやりたかったんです。そのつもりで連絡したら、事務局の人から『ここはアルペンじゃないですよ』と。でも(連盟への連絡で)“勇気1”を使ってしまっていたので、また違うところに(連絡をする)“勇気2”を使う気力はなかった(笑)。じゃあ、もうこっちでいいかなと。

 すると、選手の発掘に力を入れていた荒井さんが山田町まで来てくれました。口が上手でうまく乗せられてしまったところもありましたけど(笑)。荒井さんは当時日立ソリューションズのスキー部監督(パラスポーツ「チームAURORA(アウローラ)」)でもあったので、ジュニアチームの合宿にも参加させてもらい、続けてみようと思いました」

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――やりたいことを自分で見つけて、行動に移していくことはなかなかできません。

「バレーボールをやっていても、これ以上先に行けないと思いましたから。今では車を普通に運転していますが、中学生の頃は将来、運転できるとも、やりたい仕事ができるとも思っていませんでした。将来に対する不安もあって、何かやりたいことが見つかっても自分はハンディキャップを抱えているからできないんじゃないかと思い込んでいたところがありました。周りの視線みたいなものもすごく気になるようになってきて、何か変えられないかなと思っていました。そんな時に障がい者スポーツと出会ったんです」

――阿部選手が起こした行動一つが人生を変えていくことになります。

「確かに行動派ではあるのかもしれませんね。競技を始めるかどうかは別として、連絡するくらいならお金も掛からないじゃないですか(笑)。ただ相当勇気はいりましたけど」

スキー強豪校で培った技術とメンタル

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――スキーを始めていた中学3年生の卒業間際に東日本大震災が起こります。自宅も津波に流されてしまったと伺いました。

「学校から帰ろうとしていた時だったと思います。すごく揺れて、本とかバタバタと落ちてきて。みんなで一夜を過ごして、翌日に両親が学校まで迎えに来てくれました。確かにショックはショックなんですけど、これが果たして現実なのか非現実なのかよく分からない。そんな感覚だったことを覚えています」

――被災した学生を受け入れたスキーの強豪校・岩手県立盛岡南高等学校に進学します。ここで鍛えられたことが阿部選手の土台となっていきます。

「本当は地元の高校に通ってバレーボールとスキーの両方をやっていこうと考えていました。ただ、被災や荒井さんの紹介もあって盛岡南のスキー部に入り、下宿生活になりました。ここは本当にトップレベルの強豪校。健常者の先輩、同級生はみんな小さい頃からスキーをやっている人たちばかりなので、何とかついていこうと毎日が必死でしたし、練習に慣れるまでは学校生活も楽しくなかったですね。

 1か月の練習メニューが出されて、それを見て『今日はこれ、明日はこれ』とやっていました。合宿になるとすごかったですね。朝5時から(練習用の)ローラーに乗って、朝ごはんを食べてからまた練習して、午後も練習。人生の中で一番きつかった練習でした」

――辞めたいと思ったことはありましたか。

「毎日『部活は嫌だ』と言っていました。でも、メンタルがあまり強くないから“辞めたい”なんて言い出せなかった(笑)。90分間走をやったら終わりとかメニューをこなせばいいので、辛くても時間が過ぎるのを待っていました。そうすると段々と慣れてきて、嫌だった90分間走も3年生になったら『これで終わってラッキー! 帰ったら何をしようかな』というくらいの余裕ができました」

――慣れていくと同時に、競技成績も伸びていきます。

「高校で練習をやっていく分には健常者の速い人たちとの比較になるので自分の変化は分かりにくい。でも、パラの日本代表合宿に参加した時に、今までついていけなかった先輩たちと同じくらいにやれていくようになりました。1年生よりは2年生、3年生と段階的に伸びていったとは思います。スウェーデンでの世界選手権で入賞して、ソチパラリンピックに出ることができました」

パラスキーと出会って変わった将来像「何倍も豊かになっている」

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――パラスキーと出会う前は「周りの視線みたいなものもすごく気になる」とおっしゃっていましたが、そういったことも自分の中で変わっていったのでしょうか。

「変わりましたね。パラの合宿に行くと、色々なハンディキャップを抱える方がいらっしゃいます。昔はあれもこれもできないと思っていたのに、皆さんを見ているとあんなこともこんなこともできる、と。何もできないことないんじゃないかって思えるようになりましたし、自分の可能性をどんどんと見出せるようになっていきました」

――高校3年生でソチパラリンピックに出場し、クロスカントリー・クラシカルで8位入賞を果たしました。この経験をきっかけに世界大会でも次々に結果を出していくことになります。2016-17年シーズンのワールドカップ初戦・フィンランド大会ではクロスカントリー・クラシカル・スプリントで優勝。そして、パラリンピックはソチに続き、2018年平昌、2022年北京と3大会連続で出場しています。

「ソチはもう単純に楽しかったですね。高校できつい練習をこなしてきたおかげで自信はつきましたし、そこで自分のベースがしっかりと作られたので、大東文化大学に進学してからも、日立ソリューションズに入社してからも『私はあの練習をこなしてきたんだから』と心の拠りどころになったと思っています。それは今でも同じですね」

――2026年にミラノ・コルティナダンペッツォが舞台となるパラリンピックにも挑戦する意思を示しています。阿部選手の人生においてクロスカントリースキー、バイアスロンとはどんな存在なのでしょうか。

「パラ競技のクロスカントリーとバイアスロンにたまたま出会うことができて本当に良かったと思っています。それまでは将来の不安を抱えていましたが、スキーとの出会い、人との出会いによって自分の人生が変わっていきました。大学に進学して、会社にも入れて、好きなスキーをやれているわけですから。小、中学生の時に想像していた自分の人生が、何倍も豊かになっていると感じます。クロスカントリー、バイアスロンは私にとって、とても大切なものです」

後編では、2023年の出産を経て挑戦する育児と競技の両立や、阿部選手の目標の置き方などについてお聞きします。

(後編はこちら)出産後も活躍できる事例に パラスキー選手がめざす育児と競技の両立

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阿部 友里香あべ ゆりか

1995年10月7日、岩手県出身。日立ソリューションズ「チームAURORA(アウローラ)」スキー部所属。出生時の事故の影響で、左腕が動かない障がいがある。小学生の頃からバレーボールに励むが、中学2年生の時にテレビで観たバンクーバーパラリンピックをきっかけにクロスカントリースキーを始める。2011年に東日本大震災で被災したこともあり、スキーの強豪・岩手県立盛岡南高等学校に進学。健常者と一緒に練習し、スキーの腕を磨いた。高校3年生の時にソチパラリンピックに出場し、クロスカントリー・クラシカルで8位に入賞して以来、3大会連続出場中。2021年に結婚、2023年4月に第一子となる長女を出産した。

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