インタビュー

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46歳で立ったパラリンピックの舞台 アラフィフでも挑戦し続ける理由

バレーボール(座位) 飯倉喜博選手

「スポーツから学ぶ、成長のヒント」GROWING byスポーツくじ。今回は、パラスポーツのバレーボール(座位)で東京パラリンピックに出場した飯倉喜博選手が登場する。46歳でパラリンピアンとなった飯倉選手は、40歳でアンプティサッカーと出会い、本格的にスポーツを始めたという遅咲き。東京パラリンピック出場に向けて仕事と競技の両立を図る毎日を送っていたが、そのパワーの源になったのは家族の存在だったという。後編では、目標に対する向き合い方、家族との絆、これからの夢などについて、想いを語ってもらった。

(前編はこちら)40歳で知ったスポーツの楽しさ 実現させたパラリンピック出場の夢

とび職から物流会社に転職し、出場権を手に入れた東京パラリンピック

――バレーボール(座位)未経験者から東京パラリンピックに「ワンチャン行けるかも」と意欲を持って始めた中、個人練習でレベルアップを図っていきます。

「ちょうどコロナ禍だったので、練習場所がありませんでした。関西で一緒に練習していたメンバーが兵庫の山奥にある小屋を借りて、そこに簡易的なコートを張って一緒に練習しました。仕事が終わって1時間半から2時間かけてそこに行って、練習して大阪の自宅に帰ったら大体深夜0時を回っていましたね。翌朝5時に起きて仕事に行くという生活を1年間やりました。その意味では(パラリンピックが)1年延期となったことも、僕にとっては大きかった。いっぱい練習できましたから。一番下手くそな僕が何とか東京パラリンピックのメンバーに入ることができました」

――仕事と競技の両立を図りながら、大変だったと思います。

「(とび職から)物流の会社で働くようになって、きちんと定時まで仕事をこなしました。それでも国際大会に出る時は休みをもらえますし、本当にありがたかったですよ。(両立は)大変って言えば大変ですけど、スポーツでやり甲斐を感じているから仕事には張り合いがありますし、逆に会社には競技のことを理解してもらっているという想いがあるので、競技も頑張らなきゃいけないなって」

――実際に出場した東京パラリンピックの舞台はいかがでしたか。

「東京パラリンピックを目標に置いてきましたから、頑張った甲斐があったなとは思いました。家族にも『すごいこと』と言ってもらえました。無観客の中、国立競技場で開会式が行われましたけど、僕は満員のお客さんを想像しながら入場行進しました。『JAPAN』と紹介された時、嬉しくてゾクゾクっとしましたもん(笑)。選手村も食事も楽しくて、何もストレスはなくて。ただ地元開催やし、勝たないといけないというプレッシャーは、メンバーみんなあったんかなとは思いますね」

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――結果は1次リーグで3戦全敗。中国代表と戦った7、8位決定戦にも敗れて、8位で終わりました。

「中国戦の最後、僕が手を伸ばした先でボールが落ちたんですよ。もうちょっと手を伸ばせていれば届いたんじゃないかと思ったら、これがもうめちゃくちゃ悔しくて。東京パラリンピックに出場できて嬉しかったけど、最後は悔しい気持ちの方ばかり。消化不良と言いますか、次は絶対に拾うと思って練習に取り組んでいます」

世界で感じた環境と力の差、競技環境の改善が競技普及に一役か

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――世界との差というものはどのように感じたのでしょうか。

「世界は強いです。特にイラン代表は別格でした。攻撃力がすごいんですけど、何よりミスをしない。イランにはプロリーグみたいなものがあって、競技人口も多い。日本も裾野を広げて、底上げしていかないと差は埋まっていかないでしょうね。僕らは一緒に練習する機会も少ない。僕のように働いている選手もいれば、アスリート雇用の選手もいてマチマチなので、短い時間の中でどうやってレベルを上げていくかというところも真剣に考えなきゃいけないと思いました。

 海外のチームは、どこもすごく楽しそうにしているんですよね。日本はどうしても真剣に向き合うとかになりがちですけど、海外は楽しんだ末に試合に勝っちゃうみたいな。そういったところもちょっと参考にはしたいですよね」

――練習機会が少ないという話もありました。環境面における課題として他に感じていることはありますか。

「練習機会もそうですが、やっぱり身銭を削ってやっているので家族に負担を掛けてしまっています。そういったところも改善されていけば競技人口も含め、裾野が広がっていくのかなとは感じます」

――中国戦で拾えなかったボールを拾えるようにする。大会が終わると同時に新しい目標もできました。

「自分の場合、別にパラリンピックで金メダルを取るとかでっかい目標じゃなくていい。今これができひんから、できるようにやる。小さいというか目の前に作った目標をクリアしたら、また次のできひんことが出てくるからまた頑張る。その繰り返しやと思うんです。目標って、自分が欲して生まれるもの。仕事でも何でもそうじゃないですか。1つクリアしたら、また次ってなる。そういう探求心を持つことで、ポジティブになれるとも感じています。目標があるから頑張れるし、次に進めるんじゃないか、と」

「家族がいるから頑張れる。嫁さんにも子どもたちにも感謝しています」

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――飯倉選手は4人の子どもを持つパパでもあります。家族の支えがパワーになっているところもあるのでしょうか。

「長男が今、23歳で長女が22歳、次女が19歳、一番下の次男が15歳になります。娘は2人ともバレーをやっていたので、中学のバレー部で一緒に練習させてもらったこともありますし、逆に(所属先の)大阪アタッカーズの一員として試合にも出ています。仕事と競技で僕が家にいないことも多いですけど、長らく『お父さんおらんくても全然ええやん』みたいな状態ですよね(笑)。僕もそれくらいの方が気兼ねもいらないし、ちょうどいい。ただ長男が結婚して別で暮らすようになって、ちょっとした寂しさはありますが。

 目標に向かって取り組んでいくことは大切です。それも家族という軸があってこそ。宝である家族の存在なくして頑張ることはできませんから。嫁さんはいまだにバレーボールのルール、まったく分かってないですけど、一生懸命に応援してくれます。何も言ってないのに、わざわざ大会に来てくれることもあります。そりゃあ嬉しいですよね。家族がいるから頑張れる。嫁さんにも子どもたちにも感謝しています」

――キャリアは短いとはいえ、アラフィフになってもなぜ競技に対する高いモチベーションを維持できているのでしょうか。

「やっぱり年齢は関係なくて、やり甲斐があることに取り組めて、かつ、しっかりと目標を持って臨めているからだとは感じます。個人競技じゃなくて団体競技だから、みんなで強くなっていくということ自体楽しい。強くなっていけば、もっと楽しめると思っています」

健常者と障がい者が一緒になってできる競技の魅力を伝えたい

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――飯倉選手にはこのバレーボール(座位)をもっと世に広めていくという目標もあると聞きました。

「人生で一度でもバレーボールを経験した人は多いはず。それでもまだバレーボール(座位)を知らない人、結構多いと思うんですよ。このスポーツの魅力は、座ってみんなでボールをつないで得点につなげていくこと。相手にどうやってミスを起こさせるかというスポーツでもあって、すごく頭も使います。相手のコートにボールを落とした時の喜びはたまりませんよ。それに健常者と障がい者が一緒になってできることも魅力。健常者チームと障がい者チームで分かれてガチンコ勝負もできます。バレーボールをバリバリやっている人でも、僕らの土俵に来たら負けないぞって思いますから。スピーディーで迫力もある。もっと世に出るべき競技だと思うので、個人としてもどんどん発信していきたいですね。

 僕のちょっとした夢としては球技大会の種目にしたい。僕が住んでいる東大阪の小学校と中学校にこのスポーツを広めていけば、いつかやってみようってなるんじゃないかと。現役生活が終わったら、そういった活動をぜひやっていきたいと考えています」

――そして、2024年にはパリパラリンピックが控えています。

「エジプトで行なわれたワールドカップでは出場権を獲得できませんでした。4月の最終予選は厳しい戦いにはなると思いますが、頑張りたいです」

――それでは最後に。スポーツくじの収益による助成金がパラスポーツ振興のためにも役立てられています。アンプティサッカーやバレーボール(座位)を通じて何か実感を得ていることはあるでしょうか。

「いい設備のなかでスポーツがやれているのは、そういった助成金のおかげもあるのだとよく分かりました。海外に遠征に行くと、違いを実感します。一例を挙げれば、日本だと大体どこでも床はピカピカですが、海外はそうとも限りませんから。自分たちは恵まれているんだなと思いますね。感謝しかありません」

※スポーツくじの収益は、グラウンドの芝生化をはじめとしたスポーツ施設の整備、地域のスポーツ大会・教室の開催や未来のトップアスリートの発掘・育成など、日本のスポーツ振興のために役立てられています。

(前編はこちら)40歳で知ったスポーツの楽しさ 実現させたパラリンピック出場の夢

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飯倉 喜博いいくら よしひろ

1975年、大阪府出身。25歳の時に仕事中の事故で左足を切断。40歳でアンプティサッカーの体験会に参加したことでパラスポーツを始める。サッカー仲間がバレーボール(座位)の日本代表選手だったこともあり、東京パラリンピックの選手発掘イベントに参加。競技の楽しさに触れ、東京パラリンピック出場を目指すことに。仕事と練習の両立を図りながら、46歳でパラリンピアンとなる。現在は2024年のパリパラリンピック出場を目指し、練習を続けている。

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